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悪魔たちの声をタイプする少女。

いまあなたが少女で、そしてあなたがセレブな世界にあこがれ、たとえ末端でもいいからセレブのそばでなにかの仕事がしたい、とおもったとします。そんなあなたに待っているのは、もしかしたら地獄かもしれません。60年代末から70年代にかけて、アンディ・ウォーホル専属タイピストのひとりだった少女のお話です。



まず最初に背景説明。1960年代後半のアメリカは完全にイカれていました。ヴェトナムへの爆撃反対運動が盛り上がって、若者たちは髪を伸ばし、LOVE&PEACEをとなえセックス、ドラッグ、ロックンロールに夢中になった。マリファナはおろか、LSDやコカインに手を出すことさえもイケてる証明でした。



あの時代アンディ・ウォーホルは、セレブ中のセレブ。かれは白子の虚弱なゲイながら、神亡き資本主義社会をシニズムで冷笑し、自分自身をスター化することに冷たい情熱を傾けた。その影では多くの無邪気な若者たちがかれの餌食になってゆきました。



ウォーホルはもともとグラフィックデザイナーだったものの、しかしシルクスクリーンを使って作品を作り、アート界の寵児となることに成功します。やがてかれは作品をかれがファクトリーと呼ぶ工房で、多くのスタッフによって生産するシステムを作りあげる。また、ウォーホルはビルの壁をただ映した退屈きわまりない「映画」を撮って、多くのまじめな人たちを呆れさせもした。ウォーホルは音楽プロデューサーとしてヴェルヴェット・アンダーグラウンドを手掛けた。ヴォーカリストの美少女ニコはショートヘアの似合う卵型の顔の美少女だったが、しかし、これがきっかけとなって、その後はヤク中になってボロボロな歌手人生を歩み出すことになる。ウォーホルの魔力に吸い寄せられて人生を棒に振ってしまった人たちは山のようにいる。


ウォーホルはIntereview と名づけた隔週週刊誌を発刊し、自分のまわりにいるスターたちを取材して、自分のセレブ感をアピールして、悪魔的に微笑んだ。1969年の創刊号では、ピーター・フォンダジェーン・フォンダが。1972年7月の第23号ではデイヴィッド・ホックニーが取り上げられた。たしかトルーマン・カポーティがフィーチャーされた号もあったはず。


ウォーホルは口述日記でれの日常生活を出版した。週刊誌 Interviewの厖大な取材テープ、そしてかれの口述日記を、ひとりの少女Nicole Flatteryが17歳のときから、朝から晩までひたすらタイプした。それまで彼女はたとえ母がアル中であり、家にいるのがいたたまれず無駄にデパートに入り浸ったり、喫茶店を根城にするなどろくなことをしなかったにせよ、しかし、それでもまだ彼女はかろうじてまともな社会に踏みとどまって暮らしていた。ところがウォーホルの工房のタイピストになってから、彼女が耳を傾けるその内容は、乱脈な暮らしに明け暮れるセレブたちの生の声なのだ。ドラッグ中毒の声、誇大妄想狂の声、野心家たちの声、なにかに怯えている人々の声・・・。彼女は毎日毎日そんな声を聴き、タイプに書き移す。頭がおかしくなっても不思議はないでしょう。ならない方が不思議です。さぁ、いったい彼女はどのようにこの恐怖と闘ってゆくでしょう?


Nicole Flattery;"Nothing Special"(2023)



こちらはLou ReedとJohn Cale によるSongs For Drella。アンディ・ウォーホルの人生を歌っています。なお、Drellaとはウォーホルのあだ名で、ドラキュラとシンデレラを合体させています。


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