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【超超短編小説】カメオ出演の女

 この女は陽が昇る直前の消えかけた蝋燭の火なのだと思った。
「ホテル、行きませんか」
 まだ値段の付かないその女が無性に欲しくなった。その女を抱くなら今だし、抱かないのなら永遠に抱かない。
 腐肉の様な湿った埃の臭いが肺を満たす。
 胸の中に花が咲く。

 
 白い顔をしたその女に見覚えは無かったが、何となく上司の様な気がした。
 明確な事は分からない。
 自分の仕事も役職も分からなかった。
 名前すら曖昧だった。アンタは誰だ。


「私ね、この仕事と並行してソープランドでも働くことにしたの」
 薄いくちびるで女が喋る声に聴き覚えは無い。
「そうですか」
 答えた自分の言葉も薄皮に包まれたみたいに聞こえる。


 地下鉄の駅は湿気と埃の混ざった独特の臭いで満たされている。どこかにラフレシアでも咲いている気すらした。
「どこのお店ですか」
 訊かないのもご挨拶だろう。
 別に割引だとかNNだとかを期待した訳じゃない。セックスは間に合っている。


 女に出した社交辞令は愛想笑いに熨斗紙をつけて送り返された。
「高級店だよ、意外かも知れないけど」
 既に訓練された感のある笑顔が笑う。
 少なくとも上司であると認識している女が大衆店勤務は厭だ。それは存在理由の曖昧な自分の為かも知れない。


「それに、お店の事は訊いても指輪については訊かないんだね」
 凍った枝のように青白く細い指に光る金色の指輪を見せながら女は呟いた。
 呟いたと言うには明確に聞かせる目的のある声だった。
「あんまり関係無いですから」


 関係が無い。
 それがソープランドなら尚更だ。指輪をつけたままと言うオプションだってあるだろう。
 そこにある価値が本物かどうかは問われない空間だ。
 セーラー服、スクール水着、ナース服。
 いつ誰が着ても構わない。名前だってどうでも良いように。


「そっか」
 女は俯いた。
 薄く笑っていた気がする。
 やがて擦り減っていくその女は地下鉄駅で青白い光を放ちながらこちらを見た。
 ゆっくりと顔を近づけて唇を重ねると女は爆発四散した。
 馘の上には大きなラフレシアが咲いていた。


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