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二十歳の進路。夢か保身か。小説家か教師か

私は大学生の頃、マンガ家になりたかった。
大学は國學院大學で文学部哲学科だった。
高校時代の友達に自分が國學院に入ったことを話すと、
「教師になるの?」
と必ず訊かれた。
私は教師など絶対になりたくなかった。
教師である父の背中を見てきたからだ。
私の父は中学教師で、しかも私の中学の教頭だった。
中学時代から、
「教師になるの?」
と訊かれた。
私にとって将来の夢とはプロ野球選手とかロックミュージシャンとかマンガ家とかだった。
教師になるなどそのような夢に破れた者が保身のためになる職業だと思っていた。
こう言うと、教師に憧れている人に申し訳がないが、中学教師など凡庸な奴がなる職業であると思う。そして、これは私の偏見だが、教師はたいがい、退職してから、芸術活動とか畑を耕すとか福祉活動をするとか政治家になるとかするものだ。それを人生の最後に持ってくるならば、なぜ初めからそれをやらないんだ?
それはやりたいことに人生を賭けるのが怖いからだろう。
私の家系は、祖父が百姓から警察署長に出世した人で、その人のために家柄が日本社会に職業カーストがあるとすれば中流家庭の上の方だった。警察署長の息子である父は、ただ、地元の国立大学に進み、ただ、教育学部に入り、ただ、教師になって、その流れから落ちないようにしていれば校長になれるという安全な道を生きて来た。保守保身で生きていけば出世できる安全な道だ。なんのサクセスストーリーでもない。面白くない、退屈な人生。私は教師の息子が教師になるとはただの保守に過ぎないとずっと意識していた。
中学三年生からマンガ家になりたいと私は強く思うようになった。手塚治虫、ディズニー、宮崎駿、先人の残した足跡が私の進路のイメージだった。大学など興味がなかった。
高校時代の友達にアニメが好きな男がいて、声優になると言って受験勉強をまったくしていなかった。当時、九十年代後半、アニメブームで声優はアイドルみたいな存在になっていた。彼は高校を卒業すると東京の声優養成所に進んだ。私は、受験勉強をまったくせずマンガのことばかり考えていたのでどこの大学にも行けず、受験浪人をすることになった。受験生を装いながら親から生活費を出してもらうところが保身だが、今だから言えるがこのとき私は精神を病んでいた。で、一年浪人し、東京の國學院大學に進学した。
一人暮らしが始まった。
私は読書とマンガの描画技術の研鑽に打ち込んだ。
國學院大學は冒頭に述べたように教師になる人が多いらしいと知った。また、私の所属していた哲学科では美学芸術学コースというのがあって、美術館や博物館の学芸員の養成課程があった。私は教師も学芸員も興味はなかった。芸術家になりたかったのだ。画家になりたい人が学芸員になるために勉強に打ち込んだらおかしいだろう?そんなことに時間を費やすならば絵を描きまくった方がいいだろう?私はマンガ家を選んだ。
ところで私が大学二年生になったとき、國學院大學の食堂で、意外な人物に再会した。例の声優を目指していた男だ。
彼は一年で声優は諦め、受験浪人し、國學院大學に入学したとのことだ。アニメやマンガは趣味でやっていくことにして、教職を取ることに決めたよ、と言っていた。保身だ。
私はそれは夢からの逃げだと思った。
私はマンガに賭けた。
しかし、描いたマンガをどこの出版社に持って行っても「絵が下手すぎる」と言われた。
三年生になり、ようやく私は自分が精神を病んでいることを認め、実家に帰り、精神科を受診した。あのとき、本当に絶望を味わったのかもしれなかった。いや、思い出せば、私は療養を始めてから油絵に取り組んだ。しかも、世界的な画家であると自分を思い込んで描きまくった。そんな生活をしていて一年半、休養してから私は大学に復学した。それは精神科のソーシャルワーカーに「大学を出てるのと出てないのではどちらが有利ですか?」と訊いたら「それはもちろん大学を出てる方だよ」と言われたので復学した。保身である。
しかし、大学を卒業するも就職はせず、しばらく療養を続けた。
世の中では新卒がどうのとかくだらない言葉を聞いたが、私には関係ない言葉だった。
「新卒だと就職に有利だよ」
そう言う誰かに私はこう質問したい。
「マンガ家になるには新卒が有利なんでしょうか?」
芸術家とは自分の力量次第でいつでもデビューできるものだ。
私は二十代でマンガ家志望から小説家志望に夢を変えた。
働かないのはまずいと思いパートの肉体労働を始めた。
この苦労の果てに栄光があると信じてがんばった。
三十代半ばでさすがに定職につかないのはまずいと思い、誰でも就職できそうな介護職を選んだ。就職するためにホームヘルパー二級という資格を取った。
もちろん小説家を諦めたわけじゃない。むしろ小説家を目指し続けるには都合のいい仕事として介護職を選んだ。ほどほどに身体と精神を使う仕事。家に帰っても小説を書く余力のある仕事。二十代の肉体労働では家に帰るとただ疲労感がありダラダラするばかりだったので良くないと思った。
これは正解だった。
私は毎年、主に新潮新人賞に小説を投稿していた。
そして、17年、初めて一次選考を通過した。雑誌に自分の名前が載った。生まれて初めてのことだった。
國學院に受かったときはホッとしたが、新潮新人賞の候補になったことは「やったー」と全身で喜ぶくらいな興奮があった。もちろん受賞しなければデビューじゃないので、それからも努力を続けた。
「ホッとする」のは保身で、「やったー」と喜ぶのは何かを成し遂げたときである。
私は高校受験に合格したときもホッとしただけで「やったー」というのはなかった。受験合格でガッツポーズしている奴らとかアホかと思った。横で落ちて泣いている人がいるんだぞ。
小説はその点、合格者不合格者がいるわけではないから健全だ。
ようするに価値の高い作品を書けば売れるのである。
そんな私は現在四十五歳、独身で子供はいない。
夢を追う若い人が私のこの文章を読んだらどう思うだろうか?
私みたいになりたいと思うだろうか。
思わないだろう。
結婚して子供が欲しいだろう。
そのためには教職など手堅く行く道を選択したくなるだろう。
だが、ちょっと待て、二十代の若さで保身に走るのか?
それ以降は一生保身の人生が待っているんだぞ。
おまえの夢は公務員か?教師か?学芸員か?
もちろんそういう夢もいいだろう。
しかし、私のようにかつてプロ野球選手に憧れ、マンガ家に憧れ、ロックミュージシャンに憧れた人は、二十歳の岐路で保身を選ぶのか?安定した職業を選ぶのか?それはかつてのおまえを否定する生き方だぞ。
夢を追いかける生き方を否定する生き方だぞ。
そして、もしかしたら、その保身の果てに、夢を追いかける人を笑う自分になるのかもしれないぞ。
逃げ道に努力を注いでどうする?
実は、私は三十八歳で介護福祉士という資格を取り、それから二年勉強して四十歳で社会福祉士という資格を取っている。このときの意識は、もし、小説でコケても、福祉があると思えば、精神は安定し、小説にもいいだろう。そう思ったのだ。これは逃げ道だ。
手塚治虫は「夢はふたつ以上持ちなさい」などと言ったそうだが、社会福祉士を目指していた当時はそれを信じていた。しかし、四十五歳になって、覚悟を決めた。
「俺は小説でいく。ダメでも介護の仕事がある」
私は介護を極めようとかいう志はない。
私は社会福祉士会を退会した。
十九歳で声優を諦め、手堅く教職を選んだ彼は今頃幸せだろうか?たぶん結婚して幸せな生活をしているだろう。だが、そこに「夢を努力によって実現した」という達成感はあるだろうか?
おい、十代二十代の君たち。
君たちは今、人生の岐路に立たされているか?
もしそうならば、夢か保身かどちらのほうに向かおうとしている?
たしかに手塚治虫の言うように「夢はふたつ以上持つ」と生きやすいかもしれない。
しかし、保身で、例えば教師になるとして、それはそれで大変な道のりだと思う。君は保身のために大変な努力をしたいのか?保身のために人生を捧げたいのか?
先に「新卒は有利」みたいなことを書いた。
君が今新卒だとして、それを生かして就職をと考えているだろうか?そのために就職活動で落ちただの内定が取れただのと落ち込んだりホッとしたりしていないか?
その会社に入ることは君の人生を賭けた夢なのか?
君は社会に自分を合わせて人生まで社会に合わせるのだろうか?
無論、私の夢である小説家になるというのも社会が作り出した夢であり職業ではある。
しかし、二十二かそこらの若さでそれまで大事にして来た夢を諦め、安全な道を行くのは人生として面白いのか?
私の目指している小説家はもしかしたら八十代でデビューするようなジャンルかもしれない。四十五歳でプロ野球選手を目指していたら、やっぱりそれはおかしいかもしれない。しかし、小説家など芸術家はいつまでも夢を追いかけることができる。
冒頭の話に戻るが、教職を退職してから、芸術活動をする人がいる。
私の父は国語教師で校長になってからは時間ができたのか、『平家物語』の現代語訳を突然始め、それを十年続け、退職記念に自費出版した。地方新聞社から出し、県内の本屋に置かれた。その年の自費出版賞にも選ばれ、嬉しそうにしていた。しかし、私が読んでみたら、文体がない、面白くない、読むだけ時間の無駄、という感想を持った。それは父の訳ではなく「現代語訳」なのだ。父の文体ではないし、父の解釈でもない。自費出版するまで誰にも見せず、誰の評価も得ないまま自費出版。私が母にその馬鹿らしさを言うと、母は「いいじゃないの?自分のおカネでやるんだから」と言う。しかし、文学とはそういうものではない。出版にこぎ着けるまで私が何年苦労しているか。マンガ家を目指し始めた十四歳をスタートとすれば、私は三十一年、物語芸術でプロとしてデビューすることに生きている。私はそんな私より本が売れ残った父の方が惨めだと思う。大卒二十二歳から先生と言われてきた人間は、自分が先生であり、教育者であり、偉い存在だと思っているのかもしれない。しかし、実態は保守保身の人生しか知らない、世間知らずなのだ。いや、世間というか人生を知らない。
保守保身は人生の醍醐味を見失った生き方だと思う。
最後に若い人に言っておく。
もし、君が夢か現実かで悩んでいたら、絶対に夢を取りなさい。現実とは保守保身の言い換えに過ぎないから。

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