『空中都市アルカディア』26

二、コロッセオ

 ホバークラッシュの試合当日、コロッセオは数万人の観客で埋め尽くされた。上には青空が広がっている。

この円形闘技場は昔は剣闘士が戦うため平らな地面の周りを壁が丸く囲み、その外側に階段状の観客席があった。しかし、現在はホバークラッシュ用に改修されていて、巨大な中華鍋のような形になっている。鍋の縁に低い壁がありその外側にすり鉢状に観客席が周囲を囲んでいる。

 北側の十段目にある貴賓席きひんせきには三権の長が座っていた。行政長官オクティスと立法長官シマクレス、それから司法長官。シマクレスの隣にはアイリスが座っていてその周囲に護衛官が座っている。オクティスの周囲にも護衛官がいるがライオスの姿はない。ライオスは選手としてホバークラッシュに出場するからだ。シロンは一般席の最前列、貴賓席が左の離れた所に見える位置にいた。

 選手紹介が行われた。ライオスが登場すると観客席は割れんばかりの歓声に包まれた。シロンはライオスの人気に驚いた。こんなにスターになれるなんて、もしかしたら自由市民になることよりも価値があるんじゃないか、と思ったりもした。

 カルスが登場した。今年の金メダリストと紹介されると会場はおおいに盛り上がった。

 出場者は十人だった。同時に滑走するサバイバルの一発勝負。最後まで残った者が優勝だ。選手たちはやはり安全のために防具を着けている。

 ホイッスルが鳴り、試合が始まった。すり鉢状のコロッセオを選手たちは回り始めた。

 ライオスが集中的に狙われた。スターだからだ。が、そのライオスを狙う選手を横からクラッシュした選手がいる。カルスだ。クラッシュされた選手は倒れホバーボードから落ちた。これで残りは九人となった。

 カルスは貴賓席のシマクレスを見た。シマクレスは軽蔑するような眼で会場を見下ろしている。

 と、カルスを攻撃してきた選手がいた。カルスはその攻撃を避け、逆に攻撃し倒した。その選手はナイジェリア出身の選手だった。残り八人となった。

 ライオスもロシア出身の選手を倒した。残り七人。

 シマクレスは貴賓席で隣を向いて言った。
「アイリス、君はこんなものが楽しいと思うのか?」

アイリスは答えた。
「今は楽しくは感じないけれど、下界にいた頃は興味はありました。ライオスは幼馴染で彼の試合はよく見ました」

シマクレスはライオスに少し嫉妬し、前を向いたときには、選手は六人に減っていた。

 観客席最前列のシロンは祈っていた。
「ライオス、カルスを倒してくれ。あいつはシマクレスを殺して自分も死ぬ気だ」

シロンは事前にライオスにカルスの企みを明かさなかった。護衛官であるライオスに言えば責務として事前に通報してしまう可能性があったからだ。もしそうなれば、シロンはカルスを裏切ることになると思った。だから、試合でライオスがカルスを倒すことを祈るしかなかった。

またひとり、インド出身の選手が倒れた。それを倒したのは中国出身の選手だったが、その中国出身選手をカルスが攻撃し、残る選手は四人となった。

 カルスは常に貴賓席を伺っていた。カルスの目的は試合に勝つことではない。シマクレスを殺すことだ。そんなカルスに攻撃したブラジル出身の選手をカルスは逆に倒してしまった。残り三人。シマクレスが狙いならば、カルスはチャンスを伺うために他のプレイヤーを倒すべきではなかったが、カルスの体にはホバークラッシュに忠実に動く感覚が染みついていたし、他のプレイヤーのレベルが高かったのも倒さねばならない理由にあった。

 アルゼンチン出身の選手とライオスがやり合っていた。ふたりが貴賓席のある位置から遠く離れていくのを見たカルスは、「いまだっ!」と思った。

 カルスはシマクレスに向かって斜面を猛スピードで上がって行った。シロンはついにこの瞬間がやって来たと思った。カルスは鍋底の斜面から飛び出て、一度観客席前の低い壁よりもはるかに高くチックタックフライを使って跳び上がり、貴賓席にいるシマクレスに向かって滑降して行った。

「死ね!シマクレス!」

シマクレスは青ざめた。

 そのとき、シマクレスの前にアイリスが両手を広げ立ちはだかった。

カルスは言った。
「どけぇ!アイリス!」

アイリスはどかなかった。

 アイリスを避けたカルスは護衛官たちのいる場所に突っ込んでしまった。そして、すぐ後ろ手に縛られた。

「ちくしょう、アイリス、おまえが一番大事なところで邪魔するとはな」

アイリスはカルスを無視してシマクレスに言った。
「ケガは?」

シマクレスは言った。
「ない」

そして、シマクレスは叫んだ。
「やっぱり、ホバーボードは野蛮だ。テロリストが出た。すぐに死刑にしろ!」

縛られたカルスは言った。
「ちくしょう、ちくしょう、アイリス、俺はなぁ、俺はおまえのことをずっと前から・・・」

カルスは口に猿轡さるぐつわを 噛まされた。それでも、う~う~、と唸っていた。

 コロッセオはもう試合どころではなかった。三権の長は闘技場を抜け出しそれぞれの公邸に引き上げた。カルスはアゴラで裁判を受けることもなく、エンペドクレスの飛び込み台に連れて行かれた。町は厳戒態勢になり、三権の長はエンペドクレスの飛び込み台のある野原に多くの護衛官と共に現れた。テロリストの処刑を見届けるためだ。オクティスには、まだホバーボードの防具を着けているライオスが付いていた。シマクレスの側にはアイリスがいた。シロンも現場にいた。多くの市民がカルスの処刑を見に集まった。カルスは小さな凱旋門をくぐり、エンペドクレスの飛び込み台から飛び降りるのだ。もちろん飛び降りたら死ぬ。




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