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山ラーメン。毛無山より富士山を望む

私は富士山の西側、朝霧高原を挟んで立っている外輪山のひとつ、毛無山に独りで登っていた。
単調な景色が続くその登山道はなんの面白みもなく、ただハードな急登だった。

はさみ石


途中で目を楽しませてくれるものと言ったら、不動の滝とか言うのが、谷を挟んで向こう側に流れ落ちているのを見るくらいで、あとは山頂近くの岩を登れば、南アルプスが見える、そして、後ろを見れば葉が落ちた木々の間に常に富士山が見えるだけだった。

不動の滝
木々の向こうに富士山が見える


富士山が常に見えるなど最高ではないか、と思われる方もいるかと思うが、木々の枝の向こうに見える富士山というのはなんともつまらないものなのだ。
しかも、常に見えているというのはありがたみが非常に軽減しているように思われる。
私のこの日の楽しみは山頂でのラーメンだった。
おにぎりもふたつ持って行き、ラーメンのために湯を沸かしている間に食べるつもりだった。
 
急登がずっと続く登山道は、途中、一合目から九合目までその旨を示した看板が立っていた。
私はその看板のあるところで小休止をした。
私は山に登るときはいつも、十五分歩いたらザックを降ろし、しゃがみ込まず立ったまま水を飲んで、呼吸が整ったら出発という歩き方をしている。
この毛無山では合目ごとにちょうど十五分程度だったので私は十五分インターバルではなく、合目の看板が来たら小休止ということにした。
 
私は過去にこの山に二回登っている。
一度目は大学生の時、叔父さんに連れられて登った。
そのときは、叔父さんについて行けず、下山したときは膝を地について、「おじさん、まってください」などと情けないことを言っていた。
今思えば、叔父さんはこの急登を登ることで、その夏、後ろ立山連峰縦走に堪えられるか試したのかもしれない。
二度目は十年ほど前に自分で単独登山をするようになった頃のことだ。
その日は雨で、私はなぜか雨でも登った。
富士山も見えず惨めな思いだけを経験したが、下山して駐車場のマイカーに入ったときの安堵感は今でも覚えている。
雨の登山も思い出としては悪くない。
しかし、今回は、本当は雪山に登りたかったのだ。
標高1900メートルある毛無山にはまだ雪が残っているかもしれないと、軽アイゼンを持って行ったが、当ては外れた。
山頂近くに年輩の男性がひとりいて、そこの岩の上に登れば南アルプスが見えると教えてくれたので登って見ると、南アルプスは頭に雪を頂いていたので、やはり三千メートル級の山でなければ四月のこの時期に残雪はないと思い至った。

南アルプスを望む


 
雪がなければ今回の楽しみはやはり、山頂の食事になる。
そして、ユーチューブで見たが、この毛無山の山頂は三角点はあるものの、一番高いピークではなく、もう少し奥に進んだところに最高標高点があるとのことだった。

毛無山山頂


私はそこまで行こうと思っていたが、山頂に着いてみると、その気力はなく、「めんどくせーや」と思い、行くのをやめた。
山頂は西側ばかりが木に覆われ強い風が吹いていた。
その強い風が私の最高標高点に行こうと思う気持ちを萎えさせた。
東側は木がなく富士山が見えた。

毛無山山頂から富士山を望む

私はザックを降ろし、食事に必要な物を取りだして、湯を沸かし始めた。
風は西側だけで吹いていたので、私が腰を下ろした東側の斜面には風が来なかった。
おかげでコンロの火が消えることはなかった。

私は湯が沸くまで、コンビニで買ったおにぎりを食べた。
今回はツナマヨと辛子明太子のふたつのおにぎりである。
それを食べ終える頃、湯が沸き、ラーメンを投入した。
何の変哲のないインスタントラーメンである。
家で食べれば粗末な食事である。
しかし、山の上で食べるそれは特別だった。
それがあればこの毛無山のつまらない登山道を登りきったことも、有意義であったと思うことができた。
私は山に登るのはその景色を見るためであるのはもちろんだが、山の上で食事をするのも重要な目的と思っている。
富士山は頭の付近に雲を被っていた。
眼下には富士山の麓、朝霧高原があり、キャンプ場のテントがゴマ粒のように小さく見えた。
ラーメンができると、私はすぐに食べ始めた。
私はラーメンを食べている間、富士山を見ることはなかった。
ラーメンのほうこそ歓びであった。
景色を見ながら食べるのではなかった。
この山頂で食べているという意識がおかずだった。
景色はおかずにならなかった。
ただ、顔を上げるだけで富士山が見える、そう思うことだけで贅沢だった。
山頂にいるのは私だけだった。
しかし、独占しているという満足感はなかった。
そのことについては特に何も思わなかった。
私はもっと名のある山、アルプスの山頂などにいるときは独占の歓びを感じることはある。しかし、毛無山ではなかった。
やはり、人気の山を独占することが人の心理として独占欲を満たすことになるのだろう。
それでもそこで食べるラーメンは特別だった。
スープも全部飲み干すと、私はようやく富士山を再び見た。

再び富士山を見る


霊峰である。
日本人を大昔から惹きつけ続けてきたこの山は、登山者もそうでない者も特別の山と見る。
この外輪山もそうであるし、南アルプスも、そこから見る富士山は特別である。
私は朝日の昇る富士山を見るために南アルプスに登るというところがある。
それは何度見ても飽きないのだ。
やはり毛無山のことを書きながら、いつのまにか思いは南アルプスに向いている。
毛無山は日本二百名山に選ばれているらしい。
しかし、私は思う。
「たいした山じゃねーぞ」
そう思いながらも、下山してみると、登ったことを後悔していない自分がいる。

山頂付近は標高の高いことを窺わせる雰囲気である

山はいい。登ったことを後悔したことは一度もない。もうすでに次にどこに登ろうかと考えている自分がいる。

途中にある富士山展望台

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