『空中都市アルカディア』16

四、パルテノン神殿と空中列車

 オリンピアの祭典で、ホバークラッシュで優勝したのはカルスだった。カルスは以前の善行がオリンピア省に評価されアルカディア行きが決まった。

 シロンはカルスの試合を見なかった。シロンは自分の受験勉強に集中した。

 試験当日、アクロポリスに入った。世界中から受験生が集まって来ていた。以前のシロンはその人種の違いなどに目を奪われて気が散ってしまったが今回はそういう浮ついた気持ちはなかった。なによりも自分は努力してきたという自信があった。ひとつ年下の背の低い元女子マネージャー、マリシカも受験だったが、シロンは行動を共にしなかった。そのことはマリシカにも言ってあった。

「いいか、マリシカ。受験は自分との戦いだ。独りで戦うべきだ」

「でも、先輩。共に励まし合う仲間がいるって大事じゃないですか?」

「それは受験には当てはまらない。励まし合う仲間が、いつのまにか慰め合う仲間になる危険性がある。それに俺には心の中に仲間がいる。それはアルカディアにいるアイリスとライオスだ」

「わたしは?」

「マリシカも心の中にいる。家族も、他の友達も。ただ、試験は独りで行うものだ。誰かと助けあってやるものではないし、誰かと競ってやるものでもない。ようは、自己ベストが出せればいいんだ」

 シロンはソフィア堂に入った。中には机が並んでいた。自分の受験番号の席にシロンは座った。

 試験が始まった。

 シロンは冷静に問題を解いていった。焦ることはなかった。わからない問題は飛ばしたが、四年前のようにはその数は多くなかった。倫理の問題も、冷静に答えることができた。周りも気にならなかった。

 試験は終わった。

 シロンは自分との戦いに勝利したと思った。これで不合格でも悔いはないと思った。もちろんアルカディアには行きたかった。

 続々と受験生の出るアクロポリスの出口で、マリシカが待っていた。

「シロン先輩」

「やあ、マリシカ、どうだった?」

マリシカは泣き出した。
「わたし、わたし、緊張してなんにも解けなかったんですぅ」

マリシカは声を出して泣いた。

シロンは慰めなかった。

「先輩、慰めてくれないんですね?」

シロンは言った。
「慰め合うのは友情じゃない」

マリシカは泣き続けた。

シロンは周囲から女の子を泣かせていると誤解されると思った。
「マリシカ、今からレストランに行こう。ムサカとワインを奢ってやる」

マリシカは涙を拭いた。
「ありがとうございます」

シロンは言った。
「でも、おかしいな。俺だってまだ合格したわけじゃないんだけどな」

 

 

 二週間後、試験結果が出た。

 シロンは合格だった。

 マリシカは不合格だった。マリシカはまた泣いた。
「ふぇ~ん。ライオス先輩に会いに行けないぃ~」

シロンは言った。
「ライオスに恋をしているんだね」

「はい」

「手紙を書くといいよ。俺が持って行ってやる」

「え?アルカディアと下界とでは郵便のやり取りは禁止されてるんじゃないんですか?」

「俺の荷物の中に入れて行くならいいだろ?」

「ありがとうございます。じゃあ、わたし、すぐに家に帰って、ライオス先輩にラブレターを書きます」

 

 

 アカデメイア合格をシロンの家族は喜んだ。特に父が喜んだ。

 父は素朴な男だった。アルカディアは理想郷でアカデメイアは最高学府だと信じていた。そして、息子がアルカディア人になることを何よりの栄誉と喜んだ。コロナキ地区にある自宅マンションに親戚が集まり、母が腕を振るって作った料理が並ぶ晩餐の席で父は言った。

「おまえが六歳のときのことを覚えているか?一緒にリカヴィトスの丘に登って、アルカディアを見たなぁ。覚えているか?」

父はワインで酔っていた。

「あのとき、おまえは言ったなぁ。『アルカディアに行く』と。そして、その幼い夢を二十二歳で叶えるとは。お父さんは涙が出るよ」

父は目を赤くしてハンカチで拭いた。

 

 

 アルカディアへの出発の日となった。

 シロンはアクロポリスの門の前で家族や友人と別れを告げた。そのとき、マリシカから例のライオスへの手紙を託された。

「シロン先輩。お願いしますね」

「うん、任せてくれ。あっちへ行ったら俺は真っ先にライオスとアイリスに会うつもりだ」

家族や友人が見送る中、シロンは重いトランクをひとつとホバーボードを持ってアクロポリスの門をくぐった。

階段を登って行くと白亜の建物が左右に並んでいる。ここがギリシャの行政府であり、世界の首都の中で最も重要な首都の中心である。それらの建物が丘の上へと続く階段の左右にありその階段を重い荷物を持って汗をかきかき登り終えると正面にドーリア式の列柱を誇るパルテノン神殿が現れる。この神殿こそが世界の中で最もアルカディアに近い場所なのだ。もちろん、アルカディアは世界の各都市で税を徴収するために空中列車を下ろすことはしている。だが、オリンピアの祭典でアルカディア行きを決めた人々が空中列車に乗ってアルカディアに向かう駅は、このパルテノンしかない。パルテノンの中はこれからアルカディアへ向かう人々でごった返していた。アカデメイアに入学する者が千名はいるはずで、その他にもカルスのようにメダリストで特技の一流の者たちが集まっている。アルカディアはすべてにおいて一流であるのだ。それらの人々がパルテノンの中で必ず目にするのが、高さ十二メートルの女神アテナの像だ。白い大理石の像で新世界になってから作られたものとはいえ、神の像であることは間違いなかった。その像の足に人々が接吻するため、アテナの足は指がすり減ってツルツルになっていた。

駅舎として旧世界のものよりも長くなっているパルテノンの外に空中列車は横づけされている。人々はそれぞれの切符にある車両番号と座席番号を確認して次々と乗り込んでいる。シロンは一両目の窓際の席に座った。

空中列車は出発した。アクロポリスを離れ、蛇行しながら徐々に高度を上げていく。シロンは窓からネオ・アテネを見下ろした。アクロポリスが見える、リカヴィトスの丘が見える、海岸にはホバーボードの競技場が見える。シロンの生まれ育った町が下方に小さくなっていく。エーゲ海が午前の日差しを受けて輝いている。        


(第一部完)



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