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女子サッカーの発展について「言葉」の視点から考える

 なでしこジャパンが2011年大会で優勝してから、日本の女子サッカーは少しずつではあるが認知されている。WEリーグやなでしこリーグの客層も、以前は中高年の男性が多数を占めていたが、近年は女性の姿を目にすることが少しずつではあるが増えてきた。とはいえ、WEリーグの観客動員数が伸び悩んでいることからわかるように、女子サッカーが一定のステータスを得ているとは言い難い。女子サッカーの発展のためには何が必要なのか。ここでは「言葉」の観点から考察して行きたい。

 「日本代表」「日本女子代表」「トップチーム」「レディースチーム」。 これらはホームページやメディアでよく使われている表記だ。

 日本サッカー協会のホームページでは、代表チームを「日本代表」「日本女子代表」と記している。クラブチームに目を移すと、たとえば浦和レッズは「チーム」というカテゴリーの配下に「トップチーム」「レディース」と表記。同じく女子チームを所有している愛媛FC、AC長野パルセイロ、ジェフユナイテッド市原・千葉も、男子と女子をそれぞれ「トップチーム」「レディース」と紹介している(例外なのが、なでしこリーグ2部に所属するつくばFCで、「男子TOP」「女子TOP」と表記している)。こうした傾向は日本に限った話ではない。たとえばバルセロナも「First Team」「Women's」と表記している。

 これらの用語はサッカー界で一般的に使われているが、違和感を覚えないだろうか。なぜ女子のチームにだけ「女子」「レディース」といった性を冠した言葉が付くのか。女子を「レディースチーム」と表記するのであれば、男子には「トップチーム」ではなく「メンズチーム」のように表記すべきではないのか。

 私がそう疑問を抱くきっかけとなったのは、スウェーデン女子代表GKヘドヴィグ・リンダールが同国のサッカー雑誌『offside』で語った言葉だった。当時(2018年)イングランドのチェルシーに所属していたリンダールは、クラブのホームページで男子のチームを「トップチーム」、女子のチームを「レディース」と表記していることを不満に思っていた。カテゴリーでは男子も女子もトップとして位置付けられているにもかかわらず、なぜ女子だけが「レディース」なのか、これではまるで女子がサッカーをするのは特別なことであるかのようだ、とリンダールは取材記者に訴えていた。ちなみに、現在のチェルシーのホームページ(英語版)は男女のトップチームをそれぞれ「MEN'S TEAM」「WOMEN'S TEAM」と表記している。

 人によっては、リンダールの指摘を「言葉狩り」「些細なこと」と感じるかもしれない。だが彼女の指摘にこそ、日本の女子サッカーが発展するためのヒントが隠されているのではないか。普段なにげなく使っている言葉には、我々が生活する社会が映し出されている。「女子がサッカーをするのは当たり前ではない」というのがサッカー界の常識であれば、その常識は日常使う言葉に反映されていて、我々の頭の中に刷り込まれる。言葉によって我々の常識が作られ、定着していく。「女社長」「女性プロデューサー」といった言葉は、これらの職業や地位が男性を基準としていることを表している。同じように「女子代表」「レディースチーム」といった表現には「サッカーは男が中のスポーツ」「女子のサッカーは亜流」という考えが透けて見えないか。

 人によっては「男子代表」「男子のトップチーム」という言葉を用いることに抵抗を覚えるかもしれない。たとえば「女子」という冠詞がつかないワールドカップ(FIFA World Cup)の出場資格に性別は問われていないので、女子選手が参加することは競技規則上は可能である。かつて、中田英寿が所属していたことで知られるイタリアのペルージャがスウェーデン女子代表ハンナ・ユングベリら3人の女子選手の獲得に乗り出したことがあった。日本では、2020年に永里優季が神奈川県リーグのはやぶさイレブンに加入して耳目を集めた。サッカーにあるのは「男女の制限がないサッカー」と「女子サッカー」だ。そのため、代表チームやクラブチームに「男子」という冠詞を使うことで、永里のような事例が生まれなくなるのではないか、女子選手の可能性を狭めてしまうのではないか、という声が出てくるかもしれない。

 だが、そんなことはない。ノルウェー女子代表歴を持つアンドレア・ノールハイムはジュニアの頃、ブリンFKの「Gutte」(ノルウェー語で男子)と名のつくチームに所属していた(余談だが、そのチームにはマンチェスター・シティの怪物ハーランドが在籍していた)。女子選手が「男子チーム」でプレーできない、ということはない。

「トップチーム」「レディース」(ウィメンズ)という表記についてだが、男子チームに「男子」という冠詞を使用している国がある。女子サッカー大国のアメリカだ。同国サッカー協会のホームページで女子を「USWNT」(
United States Women's National Team)、男子を「USMNT」(United States Men's National Team)としている。また、イングランド代表のホームページもそれぞれ「MEN'S SENIOR」「WOMEN'S SENIOR」と紹介している。

 先述したリンダールの母国スウェーデンも同様だ。スウェーデンサッカー協会のホームページで「LANDSLAG」(代表チーム)というカテゴリーの配下にそれぞれ「女性」「男性」を意味する「DAM」「HERR」という表記を使用。男子のトップリーグであるAllsvenskanに所属する16クラブのうち14クラブが女子チームを所有しており、うち13クラブがホームページで「チーム」の配下に「男子」「女子」を使用している。

 これらの表記について筆者はスウェーデンサッカー協会、およびいくつかのクラブに問い合わせた。回答を以下に紹介したい。

「チームの表記を女子と男子に分けているのは、我々の伝統です。男女平等は、社会そしてスポーツにおいて重要なテーマなのです。もしFIFAのように『ワールドカップ』『女子ワールドカップ』と表記したら、大きな批判を浴びるでしょう。言葉は重要な役割を担っているのです」
「Allvenskanというリーグ名を、女子トップリーグのDamallsvenskan(Dam女性、allsvenskanは「全スウェーデン」をそれぞれ意味する)にならってHerrallsvenskan(Herrは男性という意味)に変更できないのは、商標上の理由によるものです」(スウェーデンサッカー協会メディア担当スタッファン・シェーンホルム氏)

「誰もが平等という我々の価値観に基づいています。また、スウェーデンの女子サッカー界には良いお手本がたくさんいます。彼女たちが声をあげてくれたからこそ、女子のサッカーにはいまの地位があるのです」(マルメFF広報担当アンナ・ノードストロム=カールソン氏)

「我々にとって『男子チーム』『女子チーム』という言葉を使用するのはごく当たり前のことです。小さなことではありますが、男子サッカーと女子サッカーを平等にするうえでの取り組みの一部です。現在、男子のトップチームはプロレベル(2部リーグに所属)に所属していますが、女子は(設立して間もないこともあり)5部のアマチュアレベルです。待遇面では違いはありますが、それ以外ではどちらかを優遇するということはありません。たとえば、練習時間や練習場所においては同じ条件で活動しています」(ヨンショーピン・ソードラIFのスポーツチーフ、セバスティアン・ラグレッル氏)

 最後に紹介したラグレッル氏の「小さなことではありますが、男子サッカーと女子サッカーを平等にする上での取り組みの一部です」という言葉に注目したい。言葉を変えたからといって、たとえば女子選手の環境や待遇が改善される保証はない。だが少なくとも女子サッカーに対する認識を変えることはできる。認識を変えることで、待遇や環境の改善につながるのではないか。実際、言葉には常識や考えを変える力を持っている。

 たとえば「買春」について。金銭が絡む性行為を表す場合、かつては性を売る女性側のみを問題とした「売春」という言葉が一般的だった。だが女性運動の広がりのなかで、性を買う男性側に焦点が当てられるようになり、その結果として「買春」という言葉が生まれた。この言葉によって、男性側の責任を問う道を開いた。

 1989年の流行語大賞に選ばれた「セクシュアルハラスメント」(セクハラ)もそうだ。それまでは職場などで不快な思いをしてきたもののどうすればいいかわからずにいた女性たちが、「セクハラ」という言葉の誕生によって「自分がされていることはセクハラだ」と認識することができ、周囲の伝えて訴えることが可能になった。

「日本代表と日本女子代表」「トップチームとレディースチーム」という構図に対して「差別だ」などと騒ぎ立てるつもりはない。だがそれでも、サッカー界でこれまで当たり前のように使われている言葉について協会、クラブチーム、メディアは改めて考えるときではないか。欧州を中心に女子サッカーが盛り上がりを見せている今日では尚更そう感じる。

 2020年2月、フィンランドサッカー協会は男女平等を目指す立場で女子サッカー最上位リーグの名称から「女子」を外して「カンサリネン・リーガ」(ナショナルリーグの意)に改めると発表した。同サッカー協会のヘイディ・ピハラヤ氏は「スポーツ界では一般的に、スポーツと女子スポーツという言い方をする。まるで後者の方が価値が低いかのようだが、もちろんそんなことはない。誰がボールを蹴ろうと、サッカーはサッカーだ。名称の変更は大したことではないと思う人もいるかもしれないが、これはスポーツ界と我々の社会における、もっと大きな文化的変化の象徴だ」と語っている。

 現代の日本サッカーでは「ポジショナルプレー」「ハーフスペース」などピッチで起きていることを言語化することの重要性が高まっているが、ピッチの外における言葉の重要性についても考えてみるのはいかがだろうか。