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過去の経験が今の価値観をつくる

薄々気づいてはいたけれど、「信頼されたい」「仕事を任せてもらいたい」という言葉の裏には、
小さい頃に、お母さんに心配されすぎて「信じてもらえなかった」経験や、体調が思わしくない時に「頼ってもらえなかった」「気持ちを受け取ってもらえなかった」経験があったんだなあと思った。

母はいわば病的な心配症だったから、
小学生の高学年になっても、友達と遊ぶ時に後ろからついてきたり、
中学生、高校生と将来の進路を考える段になっても、「あんたには一人暮らしなんか無理よ。うちから通えるところにいなさい」と平気で言ってきたりした。
反対押し切って一人暮らしをしても、毎日電話をかけてきたり、逐一報告が求められたり。
かといって、私が親のために何かしようと考えても、「子供から受け取るなんて…」とか「そんなことしなくていいのよ」と本音か建前かわからないトーンで言われ、気持ちすら受け取ってもらえないような感覚になることがたびたびあった。

親だから、単に心配だから、と微笑ましいエピソードとして捉えられることもあるけど、一人っ子の私は親の目が常に自分の行動にあり、それによって常にダメ出しをされているようでかなり窮屈だった。

全てがそのせいとは思わないけど、
もっと私を信じてほしかった。
悪いことなんてしないし、危ないこともしない。なのにどうして私の行動を手放してくれないんだろう、それは私のことを信じていないからだ、私が頼りなくてダメな子だから、お母さんは心配するんだ、って、それが私の心の奥底にあったんだと思う。

だから大人になった今は、仕事を通して誰かに信用してもらいたい、何かを任せて欲しい、頼ってほしい、という欲となって現れている。

他にも、私は思ったことややりたいことを言っても、いろんな都合で親のストップをかけられてきた。
当然、経済的な理由とか物理的な理由とか、どうしようもないこともあっただろうけど、
そうではない、精神疾患を持つ母の日々の暮らしに付き合わないといけない、不安定な母の強い言葉や不機嫌に付き合わないといけない、そういう状況があった。
だから小学生の頃には「お母さんには何を言っても受け入れてもらえないから、何も言わない。対抗しない」って決めていた。

本当は、いろんなやりたいこととかほしいものとか、聞いてほしいことがあったんだと思う。
それを抑圧してなかったことにしているうちに、自分で気持ちが見えなくなってしまったし、言葉にすることもできなくなってた。

今になって楽器の演奏に執着しているのは、今の私にとって一番足枷なく自分を表現できる方法だからなのかもしれない。

親のせい、というわけではなくて、こんなふうに置きわすれた感情や欲求が、ずっと置いてけぼりだったんだなと。
そういえば父は、母に対して「手出し口出ししすぎだ」「なんでも先回りしてたら子供が何もできなくなるだろ」「見守れ」「やらないじゃなくてやるように仕向けたらいいだろう」とか色々言っていた。
20年以上経った今思い出しても、的を得ている。
この言葉を聞いて、私は密かに「このままでは自分は何もできない人間になるんだ」と恐怖を感じてた。
実際、お母さんがなんでもやってくれるし、自分でできないことの方がずっと多かった。
だけど、「このままではいけない」という気持ちを持ち続けたことで、最低限のバランスは取れていたのかもしれないなと思う。

なんやかんや、ちゃんと一人暮らしはできたし、自分で仕事も見つけたし、
気に入らなくなったら転職までしちゃったし、
地域のコミュニティとも繋がり、結婚もした。
十分、頑張ってきたんじゃないかな。
苦手だと思っていたこと、私にはできないと思っていたことも、たくさんあったけど、それはそれとして、克服したり誰かに手伝ってもらったり、苦手のままでもなんとかなってきた。

肩の荷を下ろして、わすれてきた欲求を満たして、自分の力を、自分を抑えるために使わずに、別のことに使いたい。
過去をいつもより丁寧に振り返ったことで、今の価値観への影響も見えてきたし、私はもう少し変われそうな気がしている。

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