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冷蔵庫より愛を込めて


うるみは最近、帰りが遅い。
そのことについて、のぼるは不満に思っている。そして、のぼるが不満に思っているということを、うるみはひしひしと感じている。
しかし、仕方がない。
子離れをしてもらう必要があるのだからと気合いを入れ、うるみはリビングのドアを開けた。
「遅かったじゃないか」
『おかえり』って言われなくなったなと、うるみはこんなとき、真っ先に思う。胸がちくりと痛むけれど、「ただいま」と返事をする。
「夕飯は?」
「食べたけど、なんか食べようかな」
「太るぞ」
「うるみ、代謝いいから」
うるみはのぼるの用意する夕飯が好きだ。
うるみが中学生のときにさよりが死に、家事は分担制になった。食事は朝がうるみで、弁当は交代制、週末の昼はそれぞれで、夕飯はのぼるの担当だ。
冷蔵庫を開けると、定位置にいくつかタッパーが並んで重なっていて、それぞれに肉じゃがと菜の花のお浸し、スライスしただけのトマト、それにカブと油揚げの味噌汁が入っていた。肉じゃがはうるみの好物で、不器用に結んだしらたきが入っている。
さよりの死後、しばらく家から清潔感と会話が消え、食生活も荒れていたけれど、あるとき「この店の弁当では泣けないな」とのぼるがつぶやいて、「肌荒れるし」と思春期にいたうるみが泣き、話し合った。

冷蔵庫から肉じゃがのタッパーを取り出そうとして、二つ上の段に、ケーキの箱が入っていることに気がついた。本当は、冷蔵庫を開ける前から、そんな予感はしていたけれど。
のぼるの方を振りかえって「ありがとう」と伝えると、のぼるはうるみを見ずに「ん」とだけ返事をした。うるみの帰宅が遅かったことに、拗ねているのが空気で伝わる。
これでも急いで帰ってきたのに、とうるみもムッとした。
今日はうるみの誕生日だ。
冷蔵庫からケーキの箱を取り出して、調理台の上に置いた。中身はチョコレートケーキだろう。
「コーヒー淹れるね」
少し冷たい声を意識して出すと、のぼるは「ああ」と小さく返事をして、ソファから立ち上がった。そして、チェストに載せてある写真立てを持ってくると、ダイニングテーブルの上に置いた。そのままキッチンへ来て、ケーキの箱を開ける。
予想通りのチョコレートケーキ。毎年同じ店の同じものを食べている。
チョコを食べると肌が荒れるから、白いケーキにして欲しいと、うるみは高校生の頃から思い続けているけれど、のぼるが傷つく気がして未だに言えない。
言えないことは、他にもある。浅見君という恋人ができた。最近帰りが遅くなったのは、浅見君と会っているからだ。

誕生日の夕飯に何を食べたいか聞かれなくなって、バースデーケーキの蝋燭に火を着けるところを隠されなくなって、21歳になった。
それでも、のぼるはうるみの誕生日を毎年祝いたがる。
さよりのためかもしれない。
3つのマグカップからゆらゆらとコーヒーの香りが立ちのぼって、うるみはダイニングテーブルを真っ直ぐ見た。
さよりの席でさよりが笑っている。
となりで蝋燭に火をつけたのぼるが、「誕生日おめでとう」と唐突に言った。
フライング? と思ったけれど、「ありがとう」と返事をする。
できればもうしばらく、子どものままでいてあげたかったと、チョコレートケーキの蝋燭に息を吹きかけながら、うるみはぼんやりと胸を痛めている。







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