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陸では人魚は活躍できない「人魚の眠る家」

少し前に、ぞっとする作品を観た。
もし、私が同じ立場だったら、どんな選択をするのだろうかと考えさせられた。

テーマである我が子の『脳死』を、親という立場だったらどう捉えるのか。
途中から母親役を演じた篠原涼子の考えや行動に、不快感なのか戸惑いを感じている自分に気付いた。
それでも、自分が同じ立場だったら登場する母親と同じ感情を抱くかもしれない。

女は子を授かると、自分の命や人生よりも子供の命や人生を優先するかもしれない。
だから、成人した子供に対して子離れできない親がいたり、いつまでも子供扱いしてくる親との関係性に困る子供がいたり…そんなことが起こるのだろう。
ただ、親の役割は子がこの世の中で生きていく助けをする、ただそれだけであり、それ以上でも以下でもない。私はそう思う。

この作品に関しては、タイトルと内容がマッチしないまま知らないフリをして過ごしていた。
ある日、どこかのインタビュー記事で見つけたこのタイトルの意味になるほどと喉につっかかっていた何かが、食堂を通って消化された。

人魚は人間界、陸では生きていけない。
脳死と宣言された娘を表した表現の意味を知り、東野圭吾の発想力というか着眼点というか、そいういったものに敬意を覚えました。

もちろん、タイトルの意味は諸説あるので断定できないですが、諸説含めて感服です。

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