見出し画像

しばらく京都には来ないでください

信じられない新聞広告を目にした。

岡山で充実した2日間を過ごし、心地よい疲労感に浸っていたその最中に。

涙が止まらない。

新幹線の中でも、バスの中でも、そして今も泣き続けている。

画像1

ここに書かれていることは一体何なのだろうか??

京都の未来を作るとか言ってる人たちが、こんなにも心ないやり方で、たとえ方法や思いに違いはあるとしても、本気で京都を良くしたいと奔走しているひとりの「京都市民」を露骨に攻撃し、排斥しようとしている。

情けない。逸脱している。
完全にアウトだ。許されない。

これを掲載した新聞というメディアにも絶望する。プライドはないのか??

子どもに見せてはいけない。こんなものは、ただでさえ不安で不透明な未来の足枷にしかならない。

京都に来て、もう20年以上になる。

「京都」の壁は厚い。

よそから来た「外様」であることを理屈でなく、肌感覚として未だに感じ続けているし、ずっと悩んでいる。いつもいつもというわけではないけれども。

しかしながら、「京都市民」であることを心から恥じたのは今日がはじめてだ。

正直、ここまでキテいるとは思っていなかった。

恐らく、高いお金を払ってこの広告を載せた人たちは、この広告が含有した暴力性や排他性、あるいは特定の個人、ひとりの人間を悪意100%で公然と攻撃し、傷つけていることに「気づいていない」のだ。

そこが一番怖い。

その感性で未来を作れると思っていることが恐ろしすぎる。

選挙はパワーゲームだ。けれど市長候補であろうが、手段であろうが、広告だろうが、勝ち負けが全てだろうが、人間性や「人を傷つけ、排他することの恐ろしさ」(=自分が傷つけられ、排他されることの恐ろしさ)への想像力を失ったならば、もう終わりだと思う。

彼らはもう疲れ切ってしまっていて、麻痺しているのだと信じたい。もう休んでほしい。そうじゃなければ、今夜僕が眠れない。

攻撃された側は、今が反撃のチャンス! だと息巻くのだろうか?

それも違うと思う。これはそんなんではない。そういう次元の話ではない。

ちゃんと傷ついてほしい。哀しんでほしい。

未来は今と地続きだ。
今を大切にできない人に、決してより良い未来は築けない。

世界中からたくさんの人が訪れるKYOTOは、実はここまでダサい状況です。虚栄と慢心から解き放たれるまで、今しばらくお待ちください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?