見出し画像

引き続き……Enjoy! Open!! Swing!!!

昨年12月20日以来、およそ3ヶ月ぶりに文章を書く。
学校に行くことが辛くてたまらず、死の危機にまで陥った十代を人生の底と考え、「あれほどひどいことはない」という支えにして生きてきたが、昨夏以来の数ヶ月間は、あの頃を凌駕するのではないかと感じるほどに苦しい日々となった。
けれど「休む」という選択肢すら思いつかず、また誰にも相談できずに恐怖の学校に通い続けたあの頃とは異なり、今回ともかく休むことを選べたのは自分自身にとってとても大きな出来事だったと思う(ここにも隠さず書いたが、11月中頃よりスウィングを休職した)。

学校ではなく自分自身が中心となって設立し、懸命に17年続けてきた場所というのが皮肉めいてはいるが、奇しくも45歳にしてはじめての不登校が実現したわけだ。でもやはりひとりでその決断をすることは難しかった。休むという選択を当たり前のように後押ししてくれた友人たちや家族、そして少し遠いところから温かなメッセージを送ってくれた人たちの存在がなければ、僕はあの頃と同じことを繰り返し、同じように死を選ぼうとしていたかもしれない。

自分自身の意思ももちろん大切だが、周囲の理解と支えがあってはじめて、人は休んだり逃げたり、必要不可欠なのに世間的には「してはいけないこと」のように捉えられがちな行動を、ようやく安心して選び取ることができるのだと思う。十分に知っていたつもりだったが、所詮つもりに過ぎなかった。この困難なときに我が身を持って真に実感することができたのは得難い財産だ。

休職したからといってたちまち心身が落ち着くわけでもなかったが、かつての自分のように学校への行きづらさに苦しむ小さな友人は「なんでも相談してね」と励ましてくれた。たいと君は「またドライブいこうね」という定型化したシンプルなLINEメッセージで、Q氏はムダ話や誰かの悪口満載の電話ついでに復帰を願い続けてくれた。XLやあちゃみちゃんはしばしばリアルな顔を見せに来てくれて、やはり「早く戻ってきてほしい」と伝え続けてくれた。嬉しかった。ひーちゃんの絶対に話せない毎朝のワン切りも含めて、長い時間をかけてスウィングが培ってきたお互い様の精神が目の前にあることに心安らいだ。そうして行きつ戻りつしながら少しずつ元気を取り戻し、今現在はかなり回復することができた。

他者や自分自身を信じることさえ見失いそうになる厳しい時間ではあったが、同時に人の優しさというものをこれほど強く感じたこともない。僕やスウィングに一体何があったのかと気にされる人もいるかもしれないが、まだ余りに生々しい傷跡を僕自身が語ることはできないし(吐き気、動悸、過呼吸、下痢等の症状を今も発します)、またその権限も有していない。事の次第をどう取り扱うかについては現NPO法人スウィング理事会に委ねている状況であることをどうかお察しいただきたい。

既にお伝えしているように4月からスウィングは「一般社団法人暮らしランプ」の一員となり、新たなスタートを切ることとなった。2006年の事業開始以来、意図せず最大のピンチに陥ったスウィングに手を差し延べてくれた代表の森口誠さんをはじめ、暮らしランプの皆さんには言葉で言い尽くせない感謝の念でいっぱいだ。3月31日をもってNPO法人スウィングは解散するが、悲しさは全くと言っていいほどない。屁理屈のようだがNPO法人だからNPO的な活動ができるわけではなく、その気さえあれば形は関係ないことに気づいたからだ。僕はもうNPO法人のリジチョーではないが、4月からただの「スウィング」に、その気を持って復帰する。

人間というのはどうしようもなく残念な生き物だが、だからこそ「残念だねえ……」と認め合い、助け合いながら生きてゆくしかないのだと思う。これからもこれまでと同じ場所で、これまでよりもっともっと地に足の着いた活動を、目の前の仲間たちや暮らしランプの皆さんと展開してゆきたい。お互いの残念さを受け入れ、長所を生かして補い合いながら。
とりわけ一昨年9月に開設した「スウィング公共図書館」の機能を拡張し、学校に行かない/行きたくない/行けない子どもたちを主な対象に、障害があろうがなかろうが、そんなもん関係なく楽しく心豊かに過ごせる場づくりを進めたいと考えている。

まだまだ気力も体力もボチボチな感じだが、失敗が許され、無目的に生きることも許され、あらゆるラベルに囚われることなく誰もが安心して暮らすことができる社会を目指して、再び小さな一歩一歩を積み重ねてゆきます。次なるスウィングもどうぞよろしくお願いいたします。
Enjoy! Open!! Swing!!!

木ノ戸昌幸

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?