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ゴミみたいな贈り物

去る3月9日、誕生日を迎えてまたひとつ大きくなった田中さんに、アンソニー・ホプキンスこと日下部尚史ことひーちゃんは、嬉しそうにプレゼントを贈った。

毎日同じ教室で仕事をする2人。

友情なのか仲間意識なのかなんなのか知らんけど、とにかく何がしかのちょっと固めのアレみたいなやつがあるのだろう。

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同じく同じ教室で田中さんと時を共にするゆうと君は、最近やたらに、毎日のように「カラオケしゅびっていいですか」というショートメッセージを僕に送ってきた。もちろんよく分からなかったけれど、特に否定する理由もなかったので「しゅびっていいよ!」とか「しゅびってね!」とか返していたのだが、どうやらそれは「誕生日に田中さんに歌を歌っていいか?」という意味だったらしい。そんなわけでゆうと君は、僕はその場に居合わすことができなったのだけれど、恐らく何がしかのちょっと固めのアレみたいなやつを込めて、田中さんにバースデイソングを贈ったのだそうだ。

話を戻す。

「ひーちゃんからプレゼントもらいました」と笑いながら言う田中さんの表情には、なんというか微妙な、哀愁のようなものが漂っている。

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プレゼントを見せてもらって驚いた。

ひーちゃんから、ちょっと恥じらいながら贈られたというそれは、<「新品ではない使いかけのポケットティッシュに恐らく自宅のティッシュ少々を雑につめこんだやつ」を中心としたギフトセット>だったのだ。

僕は当のひーちゃんを前にして、思わず「気持ち悪!!!」と大きな声を出してしまった。

これは特にいらない味噌汁を堂々とプレゼントに変えてしまった、かなえさんよりスゴい。

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けれど驚いたことにひーちゃんは僕の悲鳴に反し、テヘヘヘみたいな、「いいやろ?」みたいな、照れたような表情を浮かべている。

こんなゴミみたいなプレゼントを恥じらいながら、愛情いっぱいに贈れるのって素晴らしい。

誰かに贈る物の価値は、その思いの深さは、金銭的価値の高低では測れない。それはさしたる問題ではなく、いや全くもってどうでもいい。

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一緒に入っていた手紙にはこう書いてある。


おたんじょう日おめでとうございます 

おげんきでたのしくおすこし下さいね。

タコバするからしんどなるよ。


(タコバじゃないけど)3行目の突然、説教臭い感じが若干気になるがシンプルに優しい。

いわゆるいい年をした田中さんに、こんな真っすぐな声を投げかけた人はそれほど多くはないだろう。

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たぶん田中さんは嬉しそうな、微妙そうな表情を浮かべながら、この稀有な贈り物を大切にするのだと思う。

少なくともきっと同じような、ゴミみたいな宝物をもらうに違いない来年の誕生日までは。

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