見出し画像

未来夢想 #2

 嫌な現実に少しでも直面しなくて済むように、演奏旅行を組み、時間があれば古い本や他国の本を読むようにしている。違う空気に触れ、違う人生に触れることが精神衛生上は一番だと思うから。

 自分の演奏や話を喜んでくれる人がいることを確認できれば、いくばくかの幸せな気持ちになれる。自分の存在意義を一時的にせよ確認できる行為、演奏旅行。

 違う時代に触れる、違う国の問題や悩みに触れるための読書も自分が少しだけ俯瞰の視点を獲得できるから良い。直近の自分の周囲に溢れる問題は果たしていかほどのものか?悩むべきかスルーすべきかを考える参考にもなる。

 だが、そんなことを記そうと久々にこの文章を打ち込むMacBookは予測変換の嵐で、全方位から知能低下を推進されているようで、結局嫌な気分になる。SNSを見ても多少はよき情報にも出会えるが、大抵は嫌な情報ばかり。なかなかに苦しい時代だと言う結論に戻ってしまう。

 苦しい時代、と書いたが果たして本当か?内田百閒や小林多喜二なんてとこまで遡って読んでいたりすると、仕事はもちろん、ご飯にありつくだけでどれだけ苦労があるのか?と言う話に溢れていて、その側面だけで言うと余って捨てるほど街にはご飯がある訳なので今の方が良き時代とも言えるのかもしれないとも思う。

 でも間違って最新の、話題の小説なんかに手を伸ばしてしまうと、現代の苦労話やコミュ障な話に溢れていたりもして、、、一体何が幸せなのか?と自問自答が止まらない。

****

 東京に戻ってくるとそんな夢想がグルグル回り始めちゃう訳だけど、つい二週間前に行ってきた四国、それも徳島県の上勝町およびその周辺の風景はそんなバッド夢想とは別次元の異世界で、今思い返しても心地よい。谷を見下ろし、山を見上げてる気持ちに戻れる。

 周囲に1000メートル近くの山に囲まれている町、上勝町。そこに俺の古い飲み友達が移住したと聞いたのは10年ほど前だろうか?そもそもが「里山資本主義」(藻谷浩介 著) と言う本に出ていて「いつか行ってみたい」と思っていた町だった。いち早く限界集落となっていた21世紀初頭から新たな動きを始めて、「葉っぱの町」として有名になった町。最近はその友人が主導で、「無くなりつつある棚田を受け継ぎ、有効活用するために、そこで収穫した米を使ってドブロクを作り始めた」と言うクラウドファンディングがあり、応援したとこだった。

 そんな、昔からの遺産もありつつの、「住みたくなる町」とはどんなものか?を肌で触れてみたかったところ、いろんな偶然が重なり、先日演奏旅行の形でお邪魔してきたのだった。なんという幸せな演奏旅行。

演奏をしつつ泊まらせてもらったCafe IRORI

  徳島市から車で1時間弱走れば到着した。そして早速散歩をする。すると誰かいる、それもお婆ちゃんが。お婆ちゃんは草刈りをしていた。

「お疲れさまです」

と声をかけると、快く笑顔で答えてくれて、会話が始まる。お婆ちゃんの人生を伺い、さらに山の上の方に住んでらっしゃることを伺い、これから祭り(と確か言っていた)があるので、神様の通り道を交代で綺麗にしてるんだと言う。そしてふと見るとお地蔵さんやらなんやら4体ほど左手にいらっしゃった。そしてその周囲も、古い山道と思しき道の両脇には石垣がある。

「この石垣は古そうですね?」

と伺うと

「そうね、江戸時代より前からあるんだよ。ここら辺は平家の落武者が流れ着いた場所だからね」

自分が下のカフェでライブ演奏をしに来たんだと伝えるとこう言ってくれた。

「あそこが出来てから、色んな人が来てくれるようになって嬉しいね」

お婆ちゃんが去った後。この両脇はその古い石垣があった

 お婆ちゃんと別れてから、この山道を登ってみたりして、歴史のかけらを探しながら散歩をしてみて驚いた。そこらじゅうに石垣だらけなのだ。道のためのもあるが、大抵は棚田のためのものだと言う。森の中もよく見てみると石垣が何段もあって、それも昔は棚田で、人がいなくなって森に戻ってしまっただけなのだと言う。そんな石垣は上勝からさらに山に車で登ってみた道中にもずっと存在していた。

「一体どれだけの人がこの山奥に来たんだろう?」

 崖下には川が流れていて、川辺にはもちろん石が沢山ある。それを崖の上まで運んで、いやその前に木を切り倒さなきゃいけない訳で、、、その手間ひまを想像しただけでも絶句する。もちろん水は事欠かないし、猪や鹿もいるから、米さえ作れればどうにか生きては行けるだろう。にしてもなんたるスケール。それで少なくとも数百年は山から出ずに生きてきた人々がいた町ってことだからねぇ。

 その棚田、および落武者たちについてどれだけの文献が残っているのかは分からないが、察するに多分大して残ってはいないだろう。下手に文字で残すと人手に渡って居場所を掴まれてしまう、それが困る人たちの住む場所だったのだから。

 例えば最近読んだ「庶民の発見」(宮本常一 著) にこのように記されていた

「明治時代以前において文字を解するものはきわめて少なかった。江戸末期三千万の大衆のうち、文字を解するものは十分の一にも達してはいなかったと推定せられる。その、文字を持たないということは、いかに農民は悲惨な生活をしていたか?として描かれがちだが、実際は、文字を持つ世界と一般農民の世界は、その生活の在り方について別個なものを持っており、異質なものを農民生活の中へ立ち入らせようとしなかったからだと思う」

 確かに我々が歴史の授業で学ぶのは殿様であれ王様であれ政治家であれ、なにせ上流階級の功績なり争いなりの歴史であって、そこにどんな庶民がいたかは記されていない。上勝町および四国の山奥に数多ある棚田、つまり落武者たちの歴史は、教科書には載らないもの。でも、そこに住む人、そこに行った人は知る・感じることができる、そんなタイプの「歴史」がある。

 今メディアを賑わせているような「ニュース」もほぼ全て上流階級〜政治家〜有名人のニュース。もしくは、大変な事件を起こして有名になっちゃった人、しかいない。そんな情報の渦の中にいるだけだと、そりゃあ庶民は嫌な気分にしかなりようがない。

 庶民のような庶民じゃないようなポジションにこそいるものの、納税額的には間違いなく「庶民」な俺からすると、やはりグッと来るのはこうした「庶民の歴史」だ。ふと出くわした「お婆ちゃんの人生」だ。そこに「人と人と土地」の繋がりを見ると、これからも楽しく生きていけそうな気がするのだ。未来へのヒントとエネルギーに溢れているのだ。

 もちろん当事者に聞くと、上勝町は上勝町で課題と問題は山積みだと言う。そんな話を、まさかの山奥で、送迎付きのBarでウィスキーを飲みながら町の人から聞くなんて、なんと言う素敵な話だったのだろう。幸せな時間だった。

 そしてまた旅をしたくなってきた。

左が古い飲み友達で移住者の仁木さん、右が町の名士?タケさん

 


よろしければサポートをお願いします!収益はSWING-Oの更なる取材費に使わせていただきます!