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彦根散歩

 53歳と自分もまぁまぁな年齢になってきたけど、数少ない良かったことは、多くの人との出会い、多くの書籍との出会い、あと散歩の経験値が溜まってきたことでどの街を歩いていても漠然とどんな街かが分かるようになってきたこと。実際社会学専門家や歴史家ではないので正確なことまでは分からないけれど、漠然とした地政学は分かるようになってきた。その「漠然とした」「なんとなく」の感性のおかげで、散歩の果てに面白い場所に偶然出くわすことが出来るようになった。その確率は確実に上がってきた。

 それを実感したのは昨年2021年に熊本を散歩していた時のこと。巨木を見たいなと思って、巨木に詳しい知人に教えてもらった「 寂心の大楠 」を見に行った時のこと。そこまでは予定を決めていたが、「あとは適当に」と思っていた。駅から遠いその場所に行くためにレンタカーを手配して、その日の昼間は空いていたので1日車で散歩というか散策をすることにした。そしてその、樹齢800年の素敵な大楠を見て満足し、「さぁて次はどうしようかな」と思いながら車を適当に走らせていたら、汚れた木造の看板を見つけた。そこには「 拝ヶ石巨石群 」と書いてあるではないか。巨木の後は巨石か。巨石好きでもあるので、敢えて事前に調べることもせず、看板の矢印のままに車を走らせて 金峰山麓の、拝ヶ石巨石群の入り口に着く。その入り口に車を止め、そこから100m以上登らないと巨石群に辿り着けないのは、辿り着いてから知った。が、その巨石群の面白さたるや、、、金峰山よりは低いが400メートルはある山の頂上に並ぶ謎の巨石群。元々そこにあったものではなく、運ばれてきたものらしい。それも縄文時代ぐらいに。ペトログラフと呼ばれる古代文字が刻まれている岩もあり、1970年代には「宇宙人の遺跡」などとも言われたらしい。そもそも70年代の熊本ではUFOが数多く目撃されたらしいしね。そんな場所にはその日俺一人しかいなかったが、一人で感動の時間を過ごさせてもらった。なんとなくの嗅覚がきっかけで感動した1日となった。

 巨木や巨石が好きなのは何故だろうと自問する。すぐ答えが出る。
「何百年から何千年の歴史がある、石に至っては億年の歴史がある、つまり我々のスケールを遥か凌駕しているってこと。そんな大先輩と一緒にいると、日頃のちっぽけな悩みや、現代社会の騒動なんて吹っ飛んでしまう、てことかな。日本では古来、そんな巨木や巨石を御神体として拝んできた理由がよく分かるよね。それを現代風に言い換えたのがパワースポットということなのかもしれない。」

 前置きのような第一章のような長い文になってしまったが、その熊本の時と同じく、先日ちょうど1日空き日が出来た。それも名古屋と京都の現場の間の空き日。つまり、その日は名古屋から京都に移動さえすれば良い。天気も良さそうだ。絶好の散歩日和。どうしようか色々と考えた結果、

「そうだ、前々から行ってみたかった彦根城を見に行こう」

と思いついて、彦根に行くことにした。名古屋から京都までの新幹線を、名古屋から米原までに変更して、米原から在来線一駅で彦根だ。無事、彦根駅について、ロッカーに荷物を入れて、いざ彦根城へ。

 お城が好きなのもそのスケールが理由だ。大抵が400年かそれ以上前に作られたもの。天守閣こそ再建されているものが多いが、石垣は作られたまま残っている場合が多い。この、地震大国日本で何百年も残り続けているもの、というだけで素敵だよね。最近はどちらかと言うと石垣の方が好きになってきたかもしれないが、それもそのスケールが理由かもしれない。天守閣は火事で一瞬で焼けてしまうが、石垣はなんならば地球がある限り、人類が滅びても残っていけるものかもしれないからね。人類が滅びて後に違う知的生命体がこの石垣を再発見したとしても「よく出来てる」と思うんじゃないかな。

 彦根駅前から彦根城はまっすぐの道で繋がっている。500mも歩けばお城に着くと言う距離。当然のように駅前からお城までの間は商店街があったが、チェーン店がいくつか見受けられるだけであまりパッとしない。平日のせいもあろうが、人も少なめだった。ユルキャラのひこにゃんのブームも10年とか前の話だしね、そんなものかなと思いながら向かう。

 彦根城は天守閣が現存する12のお城のうちの一つ。国宝にもなっている、美しい天守閣が有名だ。櫓の多くも残っている、保存状態が良い珍しいお城。そもそも天守閣は大津城から移築されたと言われていて、同じ滋賀県だとは言え、車もクレーンもない時代の建築技術と移築技術の凄さを思いながら、入館料を払って、靴を脱いでビニール袋に入れていざ天守閣へ。

 個人的な天守閣の楽しみは、何よりもまず上に登って景色を眺めること。どれだけ近代建築だらけな街になってようが、おおよその景色は殿様時代と同じものが見れるはずだからね。一番好きな景色は愛媛の松山城だね。あの高い場所から松山市内と瀬戸内海を見下ろせる素晴らしい景色のお城だ。彦根城も松山城ほどではなかったけれど、琵琶湖が見下ろせるし、後ろに迫る山も見えるし、心地よい見晴らしだった。残念なのは旧市街的なものがあまり分からなかったことかな。

 天守閣を出て、改めてその天守閣の外見の美しさを確認して、本丸に上がってきた方じゃない階段から降りていく。せっかくなので堀に囲まれたところを一周してみて、巨木などを見つけつつ、お城を出る。せっかくなのですぐそこにある琵琶湖まで歩いてみよう。

 琵琶湖まで数キロ歩いて到着。すると潮の香りを感じた。いやでもここは淡水湖、そんなはずはない。湖畔に寄ってみてその正体が判明。水草が打ち上げられている、その香りが海辺の香りと一緒なのだと初めて知った。念の為湖水を飲んでみたけど、当然しょっぱくはない。

 さあてミッションはコンプリート。あとは、、、ぶらぶらしながら駅まで戻るか。神社っぽいのを見かけるたびに寄っていきながら、どこかの観光案内でチラッと見た「旧市街地」とやらに向かってみよう。神社はやたら「白山神社」が多くて驚いた。滋賀県なので、すぐ近くの加賀~北陸で発祥したとされる白山信仰と関係あるんだろうか?

 旧市街地までは5kmぐらいはありそうだが、徒歩で頑張ってみよう。芹川という、彦根城を築城する際に整備された川まで歩き、そこを上流に向かって歩いていけばいいようだ。川の土手を歩く、ずっと同じような景色を歩く。川辺でくつろぐ鷺を何羽も見ながら歩く。400年前に整備された川だけあって、そこに生えてる木々も樹齢数百年はあろうものばかり。

 長い距離を歩くときは、妄想にふけることができるからいい。今目に入ってくるもの、さっき見たものを頭の中でかき混ぜながら、首から下は徒歩に集中してもらう。この時はこんなことを考えていた。
 
「残されている」とは聞こえがいいが、そこら辺が発展から取り残されていたとも言える。戦後の「発展から取り残されていた」ことは、これまでは残念な田舎の有様として言われがちだったが、これからはそうではなくなっていくだろう。俺の実家のある高砂も、海辺に工場こそ乱立しているが、旧市街地は大して開発もされずに残っているのがここ10年やっと再評価され、秋にはその旧市街地に灯籠を立てる灯籠祭り「万灯祭」が開かれ、数万人もの観光客を集めている。彦根も今でも交通の要衝であることもあり、企業はいくつも入っているし、鳥人間コンテストなどがあることもあり、産業がありつつ旧市街地もあるというバランスは俺の実家高砂と近いかもしれないな、などと考えながら、歩いていた。

 根気強く歩くも河原を歩くのにも飽きてきた頃、やっと目的の場所あたりに着いたようだ。やはり平日昼すぎのせいか人通りが全くない、屋根付きの歩道のある通りに出た。芹川と別れてその通りに入ってみてすぐに俺好みの光景が広がっていた。

 その、屋根付き歩道のある通りの先の方にはオレンジというか黄土色というか、そんな色をした洋風の建物がずらっと並んでいて、中には古そうな銀行もある。そして右に曲がる路地を見てみると、、、古い長屋が並ぶ通りが数百メートル続いている。しかも古い建物それぞれに赤提灯か、もしくはスナック、キャバクラの看板が着いているではないか。何という新旧同居な通りだ!と思わず興奮してしまう。長屋とキャバクラが隣り合わせなんて風景が見れるとは思わなかった。ただ、いかんせんまだ昼過ぎの2時ごろだったので、人通りは全くない。夜にこの街の赤提灯をハシゴして、良さげなスナックでも入ってみたいなぁ、、、と妄想しながらその通り、ひと気のない昼間の河原町を歩いた。”Music Bar”と看板に書いてある店もある。芹川は人工で整備されたまっすぐな川。後で調べて分かったのが、このくねくねした河原町の筋は、旧河川だそうだ。そしてここら辺は「袋町」と呼ばれる遊郭街だったようだ。

 いろんな繁華街を見てきたが、このような長屋の繁華街は個人的には初めてだった。いろんな企業があるということは出張ついででここに来る人、単身赴任で来る人も多いんだろうか?それとも街の住人が風俗好きなんだろうか?県庁所在地でこそないが、北陸道と東海道の交わるあたりの要所であるという地政学的な理由だけで人が集まるものなんだろうか?何某かのエネルギーが溜まるものなんだろうか?

 その、オレンジ色のお洒落な通りと、長屋の繁華街がある地域は彦根駅から2kmぐらい離れている。かつての中心地と思しきその地域は、電車を通すために取り壊されずに済んだ。きっと街の人たちが取り壊しを反対したんだろう。俺の実家高砂もそうみたいだからね。おかげで高砂も中心地から程遠い内陸に山陽本線は轢かれていて、結果発展から取り残され、最近は大手スーパーも無くなってしまった。が、やっと、少しずつ若い人が古民家や長屋を改造してカフェにしたりすることが増えてきて、お洒落な街になりつつある。発展、すなわち成長期の資本主義から取り残されたお陰で、むしろサステナブルな社会のあり方へ衣替えがしやすくなっているということかもしれない。(もちろん少子高齢化の波は高砂も大きいが)

 興奮しながら歩いているうちに、お腹が減っていることに気づく。そりゃあ既に15kmぐらいは歩いているからね。長屋の繁華街を離れ、彦根駅まで歩いて、駅前の蕎麦屋に入り、「ひこね丼」を注文。近江牛の牛すじと赤色のこんにゃくが入ったすき焼き丼。これがかなり美味しい。疲れはしたけれど素敵な彦根散歩の締めとなった。


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