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"木" 幸田文 Review

読了

 素朴でありながら感動的でもあった映画"Perfect Days"の、役所広司演じる主人公が読んでいた本のひとつ。トイレ掃除を生業にしながら、移動中は車でカセットで音楽を聴き、夜は本を読み、朝出勤する時、昼弁当を公園で食べる時、トイレ掃除の合間にふと木を見上げる、その顔が眩しく幸せそうだった。そこに木との会話を楽しんでるかのようで。。。

その姿が印象的だったものだから、主人公が読んでいたこの本も素敵かもしれない、と思って購入。1月に映画を見た直後に買おうと思ったらどこに行っても売り切れだったが、2月になったら再販されたのか簡単に購入できた。

いやもう、この本そのものがまた"Perfect Days"な感じでした。作者自身が色んな木を森を見に行ってきたノンフィクションな随筆集・エッセイ集。

例えば「ヒノキ」、2本の立派な、樹齢300年あろうかという檜の片方は真っ直ぐで片方は少しかしいでいる。そのかしいでる方は林業従事者からすると「アテ」と呼ばれる、つまり木材としては使い物にならないものなのだと聞かされた著者は少し切なく思った。そして最後には「そんな過酷な環境を少し曲がりながらも生きてきた、頑張り屋さんとも言える木が何故使い物にならないのか?」と食らいつく。自らを嫉妬心が強いと称する著者が、ついそのかしいだ檜に感情移入してしまった、その姿に俺自身も心動かされる。

例えば「花とやなぎ」「ポプラ」では、戦後の木材不足を解消するためにイタリアから苗を輸入して日本で育てようとしたOさんの話が出てくる。ひとまず苗は順調にびっくりする程すくすくと育ったが、1年経つと成長が止まり、害虫にもやられて、結果断念することになる。その話を残念がるのではなく、「ポプラにはかわいそうなことをしましたが、なりふり構わず一途に働いた若い日々には悔いがないし、思い出しても快感があります」と言う。それに対して著者は風にそよぐポプラの葉を思い描いて「爽快なる失敗というのもあるのだと感嘆した」と締める。

素敵な表現だ、「爽快なる失敗」

その他、えぞ松・縄文杉などを見にいって木々のたくましさを感じてみたり、「木のきもの」では木の幹がまとっているものを「着物」に見立ててああだこうだと話を進めるし、崖崩れな場所・火山灰が降る場所に出かけて木々のこわさを感じてみたり、、、いや何がいいってこういう話には最先端も古臭さもないということ。どうしてもバッドニュースに翻弄されがちな日々だがそれは人間社会の話。そんな話をしてるすぐ横に木々は今日も風にそよぎ、雨や雪にかしいだりしながらも、それでも何も言わずに佇んでいるのだ。そんな当たり前のことを素敵な切り口で感情移入させられる本でした。そして、どうしようもなくPerfect Daysの役所広司が思い出される本でもありました。


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