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2021年を振り返る。35歳のリアルを添えて。

皆さまお世話になっております、どうも安部謙太郎です。初めましてのかたは初めまして、ONE SWORD株式会社という会社の代表を務めている安部謙太郎と申します。プロフィールはこちら

今年しれっと始めていたnoteにて2021年の振り返りをしてみようと思います。同世代のみんな、いかがお過ごしですか?先輩方、35歳はどうでしたか?なんていうか、ちょっとしたいい歳ですよね。家族に仕事に人生に、きっといろいろあったんじゃないでしょうか。僕も、いろいろありました。

人生を前半戦、後半戦に分けるなら、35歳がちょうどハーフタイムだと感じる人も少なからずいるんじゃないでしょうか?僕もその一人。なんとな〜く、社会のちょうど真ん中くらいのポジションな気がしてて、折返し感を感じています。もしかしたらそれが40歳なのかもしれないし、50歳なのかもしれません。もしくは3部作の1作目くらいな感じなのかもしれませんが、とにもかくにも今年は自分にとって特別な一年でした。

35歳のリアルを織り交ぜながら、ダイジェストで振り返り、今年2021年を締めさせていただければと思います。それでは、宜しくお願いします!


2020年暮れ、結婚。年明けて1月、お子を授かる。

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これが一体どこがどうなってるのかは未だによくわからない

どさくさに紛れて、おかげさまで実は結婚しておりました。直にご報告できなかった皆さま、大変失礼いたしました汗 FBに婚姻届けしてきましたイェイ☆的な投稿をするのはなんとも恥ずかしくはばかられ、且つまさかの直後に妊娠が発覚し、安部家が繊細モードに突入したこともあり、報告のタイミングを逸してしまっていました。(その後も下記のイベントが矢継ぎ早に発生し、気付いたら年末で、このタイミング&このような形で一斉にご報告となってしました大変失礼いたしました汗) 欲しくてもなかなかできないなんてザラだと聞いていたので、こんなにすぐに授かることができたなんて、ちょっと僕にしては出来杉君です。有り難いことです。奥さんには本当に本当に感謝です。

プレイヤーから経営者に変態しようと、制度改革や組織再編を模索。

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旧ワンソードオフィスにて。最新メンバー(堂々たる合成で)集合写真!

自分の人生のような会社、ワンソードは立ち上げから5年が経ち、明らかに転機を迎えようとしていました。脱・安部の手作りベンチャー体制です。プレイヤー的な動きがほとんどでここまで来ていたので、経営らしい経営ができていないのではという視点で、アップデートを図る試みです。

というのも、みんなが「いまいま食うには困らない」ところまではなんとか来れた。でも、みんなが「安心して両親や家族を永く支えていけるくらいの収入を得つつ、自己実現可能な」ところまではまだまだ満たしているとは言えない状態でした。具体的には各チームで独立採算を実現するアメーバ経営、自律分散型のティール組織的なものや自然(じねん)経営的なものをワンソードに合わせてカスタマイズしながら導入するというプロセスです。これは現在進行形で進めています。組織とサービス体系を再編している真っ最中です。後日記事にせねばです炎。

ちなみに僕自身の自己実現というか、やりたいことは変わっていません。それ自体はエゴイスティックなものですが、これを実現するには皆やパートナーの自己実現を果たす必要があります。利は重なった状態。あとはやるだけ。結果を出すだけ。


発信だ!と意気込んで動画や記事発信を始め、見事三日坊主を達成。

営業や企画フローの再現性強化を図る中で、自分が最も社に貢献できる動きや役割はなにか考えると、その中の一つに必ず「発信」が浮かび上がってきます。まさにこのnote。YouTube。いや〜参りました汗 自身や編集者のリソース確保、強制力の担保など、全く足りてない。ノリでは続かない。緊急な用事の強すぎる引力に逆らえず、なし崩し的に見事三日坊主を達成。次は三ヶ月坊主を目指します炎

来年は量産するのだ

コロナ渦の中(音読するとゴロがいい)、事務所拡張のため引越。ついでに自宅も引越。

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新オフィス会議室の雰囲気

地味に人数が増えてきて、もといた事務所が狭くなっていたことから半年以上前から新しい事務所を探していて、顧問会計士の大津留先生のお母様がオーナーのビルに入らせていただくことに。初めて予算をかけて内装工事をしました。制作の仕事と共通する部分が多々あり、とてもいい経験でした。フィジカルに空間をデザインする快感を体験し、ハマってしまう理由がよくわかりました。次はさらにチャレンジしたいなと思います!
ちなみに謎の食中毒にかかり、高熱が続き、引越作業ほぼ動けずでした笑(みんなホントバリゴメン)。コロナではなかったのですが、いまだに謎です。急性胃腸炎というジャッジでしたが、思い当たる節は特になく、謎に急だったので。ちょうど会社のことで考え込んでたこともあり、心身ともに疲れていた気はします。神ストップだったのでしょうか。今振り返ると、このあたりから今年の流れはうっすら始まっていたのですね。

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机もDIYしました!

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だだん!

前からチケットを取っていたフジロック、コロナ自粛で断念。

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例年に比べ規模縮小されたコロナ仕様の会場 (公式サイトから引用)

そんなこんなで権限移譲や各チーム自走可能なモデルへの移行を試みるもなかなか簡単にはいかず夏に突入。コロナ以前は毎年意地でも行っていた音楽フェス・フジロック。賛否が大きく分かれる中、(もちろん対策は極力しつつ)仕事でならまだしも、遊びでかかったら自分自身が後悔するだろうなと思い、断念。これがまさかの伏線になるとは…汗

直後、コロナしっかりめに罹患。まさかの臨月に。即ホテル隔離療養。

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ホテル隔離中にいただいたお弁当(あまり記憶がない)

きました。。とうとう、きてしまいました。。フジロック直後のタイミングの9月上旬ごろ、それは突然やってきました。ちょうど福岡がピークアウトした直後くらいのタイミングだったと思います。明らかに普通の風邪と思えない異様な体調不良と発熱。すぐに保健所に電話して指示を仰いで検査を受け、結果はクロ。即効でホテル隔離療養の手配を受け、入院(?)しました。奥さんがちょうど臨月だったので相当不安にさせ、迷惑をかけました。奇跡的に陰性だったこともあり、なんとか事なきを得ました。きっと色んなものに守られ生かされてるんだと、感謝の気持ちが絶えません。。また、もしフジロックに行ってたらと思うとゾッとします。後悔ヤバかっただろうなぁ。会社も家族もだいぶ異なる世界線に行ってただろうなと…もちろん完璧なんてないとはいえ、一つひとつ後悔ない判断をしていこうとあらためて決意しましたね。。

後遺症含め丸2ヶ月くらいグロッキー状態に。

噂に聞く味覚・嗅覚症状はなかったのですが、常に車酔いしてるような状態でグロ太郎でした。また体力の減り方が異常で、少し動いたら残り体力2(全体が100として笑)みたいな、ボンバーマンのドクロ状態さながらな踏んだり蹴ったりな状態で、2ヶ月過ごしました。気持ちとは裏腹に仕事に強制ストップがかけられ、メンバーの皆やパートナーの皆々様にえらい迷惑をかけました。と同時に皆がいなかったら僕の選手生命は普通に一度絶たれてたと思います。この場をお借りしてあらためてありがとうございました涙 このご恩は(現在進行系で)お返しする所存でございます。

お子誕生。Zoom立ち会いでひたすら泣いた。

後遺症も冷めやらぬタイミングで、まさかの2週間以上のフライング誕生。おかげさまで母子ともに健康で無事に生まれました。いや〜感動しました。もう言葉にならない。母親の強さ。生き物の美しさ。男は無力でしたね。なにもできない。Zoom立ち会いではただひたすらに泣き叫んでいました笑 ちょうどコロナ真っ只中で人の生き死について考える機会が多かったこと、昨今の世相、人を守れる強さを持った大きな男になってほしいという願いなどから、強く「豪」という字を名前に入れることにしました。剣豪や文豪のようになにかを極める人になってほしいという願いも込めました。

祖父、死去。

母方の祖父が93歳で大往生。最後まで体を鍛え、足腰の衰えない、剣道七段のマイレジェンドでした。多くを語らない祖父でした。あとでわかったことですが、几帳面に整理されたたくさんの写真アルバムを遺してくれていて、堂々と逝った祖父がカッコ良すぎました。カッコ良すぎてたくさん泣きました。いつも仕事がんばってねと応援してくれたじいちゃん。バトンはしっかり受け取ったよ。本当に本当にありがとう。どうか安らかに眠ってね。

うんちしてもかわいい衝撃。絶賛パパ活中。

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パパ活中のパパ (腕毛がだいぶ濃い)

初の子育てをあたふたしつつも思いきり楽しんでいます。ちなみにめちゃやってる風にしてますが育児は基本ほぼ全て奥さんがやってくれています笑。大変大変感謝です。家族を持つということはこういうことだったのかと、二人の親が当時の自分にしてくれたことに感謝の気持ちがたくさん湧きました。よく男はコミュニケーションが取れるようになってきてから父親の実感が湧いてきてかわいく見えてくるなんて聞いていましたが、どっこい、うんちするのすらかわいくて仕方なくて、そんな自分に驚いています。子のポジティブなエネルギーは計り知れませんね、見てるだけで無条件にパワーが湧いてきます。

親父の新たな病気発覚。難しい判断。

以前個人FBで投稿したのですが、親父は以前食道がんと下咽頭がんを発症して手術で全摘出しています。話せない体になってしまいました。さらに筋ジストロフィーという難病が発覚しました。高齢性で進行は遅いとはいえ、決していい状態とは言えませんでした。そしてここにきてまた新たに胃管がんというがんが見つかりました。転移ではないものの、体力に限界があるので手術や抗がん剤治療は難しく、かなり難しい判断を求められています。父親が納得のいく、自分らしい人生を全うしてほしいと切に願っていますし、全力で受け止めようと思っています。


35歳のリアルはいかがだったでしょうか?

と、2021年はこんな感じで過ごしていました。人生そのものである仕事とその変化、結婚と家、自分や家族の健康と将来、そして出会いと別れ。振り返ってみると、さながらジェットコースターのような1年でした。。たまたまなのか必然的に重なっているのかはわかりませんが、否が応でも今の自分の日々に・人生に悔いは残してないか、色んな確度から何度も何度も問いただされまくった1年だったように思います。

そりゃあいい歳ですから、いろいろきちっとバシっと一大人としてやらねばならぬことはもちろん多々ありますが。

そんな経験を経て、人を大切にすることはもちろん、人生を思いきり楽しむ・自分が信じる道を思いきりよく走るということもとても大切だなと捉え直すことができるようになりました。自分自身も大切に、家族や仲間を大切に。当たり前のことだと言われそうですが、気を抜くとついないがしろにしてしまうものだと思います。瞬間瞬間を思いきり楽しみ、一生懸命生きようと思います。そんな人達同士で支え合い、楽しみ合う生活や活動ができればと想いを新たにしました。炎炎炎

というわけで来年はさらにもっと純度高く安部謙太郎しようと思います。いつも可愛がってくださる皆々様、慕ってくれる皆、どうか来年も一つ宜しくお願いします!いつもながらアホみたいな長文、最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました!!!

2021年大晦日
安部謙太郎 35歳(既婚)


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