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時間と進化とプレーンサワー、春巻き添え

 書いていた文章が消えた。機器の不調だった。
 懇切丁寧に思い入れを真摯に込め書き上げた、というわけではない。なので消えようが消えまいがあまり気にする必要はないのだが、やはりあの二時間の労力が水泡に帰した事実は受け入れがたい。返してくれ僕の二時間を。
 と書いたところで、結局は時間なのだなと思った。時間という概念に縛られて生きている。文章が消えて無くなった喪失感よりも、時間が無駄になってしまったという喪失感のほうが大きい。その感覚が右の文章となって表れている。自分が考えたものより、誰かが考えた目に見えないカ概念の方を大事にするとは。哀れなものである。
 と書いたところで、人は時間の中で進化してきたから当然なんじゃないと思った。時間の中で進化する。それは、時間という概念があるからこそ進化する事ができたと言い換えることも可能だ。朝に起き、昼に働き、夜に眠る。その概念があるからこそ、過去の人間はどこに太陽が上がれば獲物を狩ることができるとか、太陽が沈めば寝るだけなので酒を飲んでも障ることはないとか。行動だけではなく意識も進化する。それは時間という概念があったからこそ。さらなる進化を求め、時間を細切れにし自身に営利があるよう時計として可視化する。
 と書いたところで、消えて無くなった文章のことを思い出す。鬱屈な文章は自傷行為に似ているから書きすぎると依存してしまう、といった内容だった気がする。気がするというのは、主題染みたものを書いたあとになぜか角田信朗の自伝『悔しかったらやってみぃ‼』に繋げたので、もはや主題のことを覚えていないからだ。覚えていることと言えば、酒に「押忍!」と気合を入れると、酒は水に変貌し身体と精神に悪い影響を与えなくなると書いたことだ。
 と書いたところで、変竹林な文章に二時間もと嘆息混じりで思う。普段の仕事では客に対して「そんはアホみたいな労働時間と時給で応募が来ると思ってんすか人を舐めているんスカ」みたいなことを角が立たない言葉遣いで諭している身分な為、時間に対してはかなり厳しい立場をとっている。その姿勢があるために、二時間を無駄にしたという事実が受け入れがたい。「変竹林な文章を拵えるために二時間も使ってなにか得るものがるんですか人を舐めてるんスカ」といった後悔が脳の中で大暴れしている。
 と書いたところで、その後悔に付き合うことこそ時間の無駄だと思った。自分の時間を使って文章を書くことは仕事に直結していることわけではないので、仕事における進化を望むべくもない。望めることと言えば、変竹林な文章を更に変竹林なものへと進化させることができる手腕だけだ。
 と書いたところで、プレーンサワーが七杯目に突入した事に気がついた。油淋鶏と春巻きだけで六杯もの酒を消費した。酔いがやばいゾーンへと突入している実感がする。居座って早二時間。これは進化を伴う時間なのだろうか。つか、時間と共に生きていくってなんスカ。辛子をかけた春巻きを齧りながら考えたがどうにもならなかった。

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