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立石、梅割り、再開発

 変化することは事前に知っていても、いざ目の前にするとあまりのもよらぬ変化の大きさに驚愕し立ちすくむことがある。これは大抵、心構えが甘かったことや変化の大きさに連いていくことが出来ないことが原因になる。
 京成立石駅に降り立った。以前から再開発の話題は聞いていたのだが、それは街中の話であって駅まで及ぶことはないだろうと考えていた。その考えは脆くも打ち破れ、飲み屋に向かう高揚感を表したような上りホームの階段はなくなり、後の人生は下るだけと言わんばかりのゆるい下り坂に変貌していた。駅構内で再開発の波を味わうとは思ってもおらず、いきなり面食らってしまった。
 駅から出、沈んだ面を上げるといつもの立石仲見世が僕を迎えてくれた。あぁ、なんとう安心感だろうか。惣菜や煮込みの香りに包まれながら少し歩き左に曲がる。すると見えてくるのは「もつ焼き 宇ち多゛」。いつも通りにれるに並び、開店が近くなるとどこどこに座れと指示が下される。大人しく待ちながら入店まで待つ。商店街の中ではオリーブの首飾りが延々とリピートしている。他のレパートリーは無いのだろうかと考えている内に開店時間を迎え入店。
 ギュウギュウに詰められた店内で飲む酒、食べるもつ焼きはドこれもこれもが絶品で、店内の雰囲気と合わせ毎回クラクラしおうになる。そのくらくらをグッとこらえ飲む梅割りはガツンと脳にクる。二杯半を飲んだところで店を出て、すぐ隣にあるヨークマートで茶とTaKaRa焼酎ハイボールを買い一服する。酔いもいい感じで回ってきたので、周りを歩いてみることにした。
 右にも書いたが、立石は再開発の波に追い立てられている。少し歩けば、工事作業中を示唆している背の高い壁にぶち当たるし、通行止めの路地だってある。僕の記憶の中にある立石は、今や姿を変えようとしている。これが都市というものなのだろうかと考えながら、白い壁に沿って歩いていた。時折、工事作業員の人や再開発を指揮しているであろう役所の人とすれ違って会釈を交わしたりした。彼ら彼女らは何を考え何を思い街の再開発に着手しているのだろうか。多分、生活を成り立たせるためが第一に来るのだろうが、本当のところは一生わかることはないのだろうなと考える。
 フラフラ歩いていると、いつの間にか公園に遭遇した。ブランコとベンチがあるだけの広場を公園と呼ぶには少し抵抗があるが、都内の規模で考えると立派な公園だ。そこにあるベンチの腰掛け、ちょうど見える仲見世通りをボウっと眺めてみる。月曜の昼下がり、行き交う人は、これから夕飯の支度をする人や学校が終わったであろう童子たち、会社から抜け出して酒を飲みにきた人、そもそも仕事などしていない人など沢山の顔が見える。再開発という名の白い壁で囲まれてはいても、生活の本流は留まることなく流れているのだなと実感する。
 いつの日か、壁が取り払われ新しい生活が始まったとしても、この公園のベンチに座り人の顔を眺めることに鳴るのだろうなと思い、中川を眺めることができる川べりに移動し、夜に備えるためホテルに戻ることにした。

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