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地下鉄のタイムトンネルをぬけるとそこは普通の街②

https://note.com/syakunagesou2005/n/nf40157c5de2e

つづきです。

連休のその日は初夏のような良いお天気で、帽子なしでは歩けないほどの陽射しだった。
あっちもこっちもとワクワクウロウロしながら先を急ごうと思っていたのが、暑さで次第に歩みが重くなって来た。
こ、こんなはずじゃ、、
10年ほど前には雪が谷大塚から池上(4駅目)まで歩いたのに!
10歳年取るとそりゃ体力も落ちるんですね。コロナで3年も引き篭もりがちだったからという言い訳は無用さ。 
単に運動不足の年寄りということで。

帽子の中が汗だくになりながら、ペットボトルの水を飲み飲みほてほて歩く。
すでに他の家になっているもう一軒の友達の家の前まで行ったら、知らないお婆さんが丁度玄関から出て来るところだった。
すみません、失礼しました、こちらも知らないお婆さんで、、。

50年前にはまだ畑だったところのドブ川が暗渠になって児童公園ができていた。
あの川、小さいけど流れが滝のようになっていて覗くの怖かった。
坂の途中のお習字の先生宅のあたりは、見覚えありそな無さそな家が残っていたけれど、どれが先生の家だかわからなくなってしまった。
勿論もう違うお宅になっている。
先生、どこかでご存命なら今100歳近く!?

もっと先まで行くと久が原方面へ続くバス通りに出るので、バスでそちらの方へも行ってみたいなと思ったが、更に範囲を拡げるとキリがないのでまた次回にと、今日は引き返す。

幼稚園の前まで戻って来て教会堂の屋根の写真を撮ろうとしたら、前をシルバーカート押して歩いていたお婆さんが急に立ち止まって休憩しだしたので、スマホを向けるタイミングを逸してしまった。
だって、怪しいじゃん。こっちもお婆さんだけど。

観光地でもない普通の住宅街で怪しまれずに写真を撮るのは難しいと思った。
そんなことはないかしらん?(何が怪しいのかわからないけど…)

これは10年ほど前に撮影の東調布教会。すでに新会堂。


幼稚園の次は小学校へ向かう。通学路の道順で。
結構複雑な順路だったけれども記憶には自信があった。
が、家並が変わり過ぎていてこちらも面影がすっかり無いので、迷路を辿るみたいにして中原街道まで出た。

この際なので(どの際?)
卒業間際に出来た歩道橋は殆ど思い出が無いので渡らずに、通学路を外れた横断歩道を通り、裏から行った。
裏には児童会書記長の☓☓君の家があった。50年前。
今はもう無いことを一応確認して、でもかつてここにあったと自分だけで確信する…。笑

それから学校の中を覗いてみた。
20年くらい前には、用務員室の前を「こんにちは~」と言って通ると、日曜日のスポーツ少年団の保護者だと思われて部外者でも校庭に入れたのだが、今はそうもいかない。
校庭もひっそりしていた。

正門横のフェンスの外から1階の廊下を覗いたら【救護室】という札が見えた。
あ、保健室だ!
場所が50年前と同じ!!


学校の斜向かいにある古墳の稲荷神社もちゃんとそのままあった。
昔はもっと鬱蒼として暗く「上まで行ってはいけません。」とかなんとか言われていたような気がする。
鳥居の前で時々、怪しいおじさんがミドリガメかなんか?を売っていた。

鵜の木大塚古墳(昔はただの「大塚古墳」だったような…いつの間にか「鵜の木」が付いていた)


学校周りをひと回りして、いよいよ草臥れたので公園で休憩する。

環八脇の児童公園は、確か昔もここに小さい公園があった。
1年生の頃、等々力渓谷まで歩いて遠足に行った帰り道おトイレをずっと我慢していて、ここまでたどり着いた時、迎えに来ていた母に切羽詰まって「オシッコしたい!」と訴えると、
「早くその辺でしちゃいなさい!!」と言われて、慌てて公園の植え込みの中で用を足した覚えがある。犬か!(すみません)。
真向かいには東調布警察署が今も。

名前は知らない公園(向こう側に環八のオーバーパスが見える)

新緑が美しい。
アスレチックな遊具で遊ぶ親子連れを眺めながら、今風の公園の木陰のベンチに座って一休みしたら、
少し回復した体力が「まだまだ大丈夫だよ」と言っている気がしたので、よいしょと元気出してまた歩き出す。

環八を越えて中原街道をさらに進む途中、同級生の金物屋さんが今もあった。家業継いだんだね。
「日曜祭日定休日」の看板に親近感。

道が緩やかに下り坂になっていく感じが懐かしい。
ここまで来たら、やっぱり多摩川まで行きたい。
頑張って歩くことにした。

つづく