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ミルク色の朝

’70年代フォーク・ニューミュージックの鉄板曲(あくまでも個人差はあります)からの、当時の「思い出」というにはどうでも良すぎる話を独断と偏見で、時には美化して?語ってるシリーズなんですが、、、ほそぼそと続いてます。
実はとっても大好きな思い出です。

その⑥「僕の贈りもの」
作詞作曲 小田和正
歌 オフコース

オフコース聴きはじめの1枚はこのファーストアルバム『僕の贈りもの』。
発売からすでに3年くらいは経っていた高2の頃。
このころから、フォーク・ニューミュージック系のレコードを最初は友達から借りて聴いて、更に好きになると自分でも買うことが始まった。
たとえばグレープとかグレープとかグレープとか...
大体こればっかり。笑

オフコースはというと、
アルバム「僕の贈りもの」から「JUNKTION」くらいまで聴くうちに、2人の似ている声質のとてもきれいなユニゾンもハーモニーも、それらはちょっと機械的にも聴こえたけれど、なんかこの人達はきっと音楽的にすごいんだろうなぁ、と思った。
でも自分でレコードを買うまでにならなかったのは、多分歌詞の世界が何となくハイソで大人すぎて少しピンとこなかったから。

「僕の贈りもの」と「でももう花はいらない」「HERO」、それと何故か「老人のつぶやき」は好きだった。
でも他にもいい歌がたくさんあるのに、どうもオフコースは自分には届かない滅相もない世界のような気がして、

その頃の私はやっぱり、
バースデーカードのお返しに『ありがとう』を3回だけの短い手紙が来る「笑顔同封」(グレープ)みたいなのが好きで、
実際に友達から画用紙に『ありがとう』が3回だけ書いてある封書が届いたことがあって、私も負けずに便箋3枚に『ありがとう』を3回書いて返信した。
なんという紙の無駄使い。笑

その友達Kちゃんとは、
高校時代にグレープやさだまさしについていつも語り合ったりハモったり、高2の夏休みなどは毎日のように手紙(郵便)でやりとりして、高校卒業した春休みには2人で聖地・長崎にまで行ったのだが、、

大学生になると、Kちゃんはいつの間にかオフコースの世界に行ってしまった。
さだまさしのサードアルバム「私花集」くらいまでは一緒に歩んで来たと思ったのに、、(聖橋の上から檸檬は投げなかったけど)。

私のショック~っというか、目が点になり具合は相当なもんだったと思う。
ちなみにこの「目が点になる」というのは、昔さださんがよく使ってた表現で、
呆気に取られるとか、思ってたのと違うとか、自分ひとりだけ明後日を向いていたとか、置いてきぼりを食ったとか、まあそんなボーゼンとなってマヌケな状態のことを示す、と私は勝手に解釈している。

とにかくKちゃんが、私には知り得ないところへ行ってしまった..
それはオフコース。

いや、なんのことはない。
Kちゃんは入学した大学のサークルで出会ったというボーイフレンド(という言葉も甘酸っぱくて照れるけど)に恋をしていた。

私といえば、またもや女子校(短大)だったのでそういうことに全く疎いまま、しかも新しい環境に馴染めずにいて、Kちゃんから聞く楽しそうなキャンパスライフの話や恋バナがとっても新鮮でこっそり羨ましくて、
彼女の屈託がないというか浮足立ってる?様子が大変眩しかった。
そして、オフコースの「思い出を盗んで」とか「愛のきざし」などについて、
『わかるわかる!そうなのよね〜』
と知ったふうな?Kちゃんからは、いよいよ別の世界の住人になった感がヒタヒタ伝わって来て、私はますます目が点になって日陰のイモムシのようにひとりモソモソと生きていた。

そんな折の短大1年の夏休み、
私は卒業したばかりの母校(中高一貫)の山荘で、Kちゃんそして気心知れた同級生5人で賄いのお手伝いのアルバイトをすることになった。
中学1年生4クラスが校外学習のために順繰りに2泊3日ずつ滞在する8泊9日間、
場所は北軽井沢のカラマツ林の奥の奥。(私達も中1の時に過ごしたことがある。)

毎日5時起床でのお仕事は、調理担当の家庭科の先生の指揮のもと50数人分の朝夕の食事の用意と片付けに昼のお弁当の支度。
外とは隔絶された森の中の修道院みたいな生活が9日も続くのかなと思ったら、そうでもなかった。

お昼を挟んで夕方4時頃までの自由時間には、お弁当を持って林の道を散策したり、近くの温泉施設にあるプールで泳いだり、バスで旧軽井沢の街へ繰り出したりして遊んだ。

夜は、私達が寝泊まりしてたテレビも無い山小屋のような離れの部屋に、家庭科の先生が厨房からウイスキーの水割りの入ったヤカンと氷を持ち込んで、みんなでそれをちびちびやりながら話をした。
全然修道院なんかではない。

みんなはオフコースの歌をサカナに恋バナに盛り上がっていた。

この時のKちゃんやみんなの、片思いの少し先の友達以上恋人未満みたいなドキドキわくわくの恋の話は、当時の18~19歳の女子らしく本当に楽し気に毎晩繰り広げられた。

そして話の端々に出て来るオフコースの歌の世界は、

誰にでも優しくするから
それだけ私が離れている〜♪
とか、
止めどなく押し寄せてくる不安な気持ちは~あなたのせい〜♪とか、
わたしが今欲しいのは
ためらう心を乗り越える勇気と〜時の流れに負けない愛とぉ〜♪とかで、

私はかなり気後れしながら、点になった目がさらに白目になりそうだったかもしれない。消灯時間10時までどうやり過ごしてたのかはよく覚えていないけれど。笑

でも、この時のこのちょっと微妙な8泊9日で、私はオフコースの歌もみんなのことも嫌いにならなかった。
嫌いになるのとは全然違う。

みんなの生き生きとしたキャンパスライフやキラキラした恋の話を間近で聞いていて、
何かあれは漫画とか映画とか、寝てる時にハッキリと見る夢のような感覚だったかもしれない(決して悪夢ではなくて)。
自分には届かない世界?

自分の今の中途半端な現実の向こう側にはそんな色々な世界があるってことを、自分は見るつもりもなかったのに思いがけず見せられてしまったみたいな時間。
だけどそれは、悲しいでも空しいでもゼツボーでもなくて、冬と夏の間にある中途半端な春みたいな空間。
(ちょっとカッコよくまとまった。)

「僕の贈りもの」はオフコースがこんな私みたいな人のために歌ってくれてたのかしらん..
って、今思った。都合よく。
 

さて、アルバイトも終わりに近づいたある日の早朝、
Kちゃんが4時頃から起き出して私を起こした。
そう言えば昨日、街の小さな郵便局で買った絵葉書をくだんのボーイフレンドに送りたいとか言ってた。
そのために早起きして朝もやに包まれたミルク色の朝を見るんだと。

Kちゃんと私は、4つくらい並んだ木製二段ベッド(捕虜収容所のみたいやつ、トンネル掘るための支柱にする底板は抜かれていない)の向かい合った下の段からそれぞれ抜け出して、裏口からそおっと外へ出た。
カラマツ林は朝つゆにぬれて、あたりにはKちゃんが想像してたよりたぶん少し薄かったと思うが、ミルク色に霧が立ちこめていた。

「ほら、ミルク色の朝だ〜..」

Kちゃんが思わずつぶやいた「セリフ」のような言葉が、静かな霧の中へ消えていった。

朝もやの林の小径にパジャマ姿のまんまボーっと佇む女子ふたり。
このぼんやり紗がかかったシーンは、その時は少し寝ぼけていたけど、今では夢の中の景色みたいに美しく浮かんで見えて来る。

昼間になって、Kちゃんはみんなで街へ出た帰りに私と郵便局へ寄った。窓口に今朝書いた絵葉書を出す時、彼女は
「エクスプレスで‼」と言った。

これは、昨日ここに絵葉書を買いに来た時にいた、いかにも別荘地の紳士風な感じのオジさんが、速達郵便を差し出して「エクスプレスで」と言ってたのがKちゃんにはすごくカッコよく聞こえたらしく、早速真似して言った模様。

そのボーイフレンドX君(名前はもう忘れました)宛の絵葉書をチラッと覗いたら、ちゃんと
「今朝はミルク色の朝を見ました云々..」と書いてあった。

これが書きたくて早起きしたKちゃんの思いが遂行されて何よりだった。付き合わされた?私も、ミルク色の朝が見れてよかった。
今ではとっても素敵で貴重な思い出です。

Kちゃんにはそれからも、何度かその恋の行方について聞かされ、私は聞き役に徹することしばし。話の中身はもうすっかり忘れてしまったけれど。

思うにその後も、
Kちゃんにだって時には落ち込むことやギャフンとなることもあったと思うけれど、いつも彼女はのびのびと成長していって、
そして私はよく目が点になり、中途半端な春と秋が好きなことはは変わっていない。


ところで、最近またオフコースを時々聴いてみる。
好きだった歌は更に好きに、昔は素通りしていた歌でも「こんな歌だったんだ」と胸に響いたりする。
何よりも、同じ歌を何十年も経ってまた新鮮に聴けるということが嬉しい。

Kちゃんとも、会えば今でも昔みたいに、そして今だからこその話が出来ることがとっても楽しい。

やっぱり年はとってみるもんだ。
もう今は目が点にはならない。かな??