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罪の重さと真実を見つめる 「三度目の殺人」映画感想文

お久しぶりです。
約一か月ぶりの投稿か。
実は先月とある映画を見て、私はしばらく映画が見れなかった。

「三度目の殺人」

元々後味の悪い話を好んで映画鑑賞していたが
この映画は胸糞も後味も悪かった
そのためちょっとしたトラウマになり
映画自体が見れなくなったのだ。

しかし一か月経って、私は再び映画を見ようと思った。
そしてトラウマ克服のため、もう一度この映画を見た。
この記事はその感想である。

前置きが長くなったが、本題に入る。
※当記事はネタバレを多く含みます。

三度目の殺人

日本 2017年公開
120分
監督・脚本/是枝裕和
主演/福山雅治

あらすじ

強盗殺人事件が起こった。
容疑者の三隅は容疑を認め、前科もあるということで死刑を求刑されると見て重盛弁護士に減刑の依頼が来る。
二転三転する三隅の証言に重盛だけでなく周りも巻き込まれ、人々を疲弊させる。
三隅のどの証言が真実なのか、重盛は彼に向き合うことを余儀なくされる。

感想

三隅を担当するのは重盛、摂津、川島の三人の弁護士。
重盛は三隅の刑が少しでも軽くなるように動いているが、
それは三隅の為ではなく自らの弁護士としての評判を上げるため、
仕事としてドライにやっている。
最初に三隅を担当した摂津は、一人では手に負えず面倒くさくて、
少しでも自分がラク出来るよう、優秀な重盛に案件を任せた。
一方若手弁護士の川島はまるで被告人に寄り添おうと動いていて、重盛と摂津とは正反対だ。
そんな川島に重盛は「友達になるわけじゃない」と一蹴する。

重盛や摂津は人を守りたいなんておそらく1㎜も考えておらず、
いかに仕事をこなすか、しか考えていない。
そんな風に人とまともに向き合えない重盛だから、別居している娘もかまってほしくて非行に走るのだ。

三隅の犯行動機を怨恨にするか衝動にするかで議論していた三人。
事務員の服部がそれを聞いて
「殺した事実は同じでも動機により刑の重さが変わる。法律ってなんだろう」
と溢した。
確かにそうだな。私もニュースなどで殺人事件の判決の報道を見たときに、
犯人によっては、計画性があるか、衝動的か、などで懲役が変わるのを知ると
同じように人を一人殺したのに刑が変わるのは、不思議だなぁ、となんとなく思っていた。
ただ、あくまで他人事なので、深く追及する気が起きないだけで。

重盛と三隅には共通点が二つある。
一つ。命に対する思考。
作中二人は別々の場面で同じことを発言していた。

「命は選別されている。本人の意思とは関係ないところで人は生まれてきたり、理不尽に命を奪われている」

”命は平等”なんて綺麗ごとを言う人もたまにいるが、人は昔から命にランクがあったように思える。
身分の高い者が亡くなったら盛大に埋葬して
身分の低い者が亡くなったらその辺に捨て去る。
こういうのも「命が選別されている」ということの一つではないかな、と私は思わされた。

二つ。娘と上手くいっていない。
三隅には北海道に置いてきた娘がいる。
しかし娘は殺人を二回も犯した父を恨み「死んでほしい」と残し姿を消した。
重盛が三隅に伝えたときも、普段穏やかに話す三隅が声を荒げる程だった。

重盛はそんな三隅親子を見て、自分も思うところあったのか、娘との電話のシーンで
「もっと一緒に、ずっと・・・」
と言ったところでカットが変わった。
重盛はこのとき娘になんと言ったんだろうな。
自分なりに考察してみたかったが、私は子どもを産み育てたことがないため、想像出来なかった・・・。

後半、被害者の娘・咲江が重盛事務所へ訪れ、
父から性的暴行を受けていたこと、
当時知り合った三隅にその話をしたこと、
その後三隅と関係を持ったこと、
そのため三隅は自分の為に父を殺したのだということを打ち明け、次の裁判で証言すると話した。

その話を三隅にすると、三隅は突然目の色を変え
「私は殺していない」
と、再び証言を変え事件の容疑を否認しだした。
法廷戦術をばかり気にする重盛に三隅は
「私の話を信じるのか信じないのか聞いているんだ」
と怒る。
私はこのセリフに「事実ではなく真実を見れるようにならないといけない」というメッセージを感じた。

裁判では公判前に事前打ち合わせをしているようだ。
(私はこの仕組みを初めて知った)
そしていざ始まると、検事はどうやって被告を有罪にするか、
弁護士は如何に刑を軽くするか、という勝つか負けるかのやり取りをしているように感じた。
実際作中でも「このままじゃ裁判に勝てないぞ」というセリフもあった。
裁判官もスケジュール通りに数をこなさないと評価に響くという話を聞き、
私にはまるで「裁判=スポーツの試合」のように感じてしまった。
罪を犯した者や、被害にあった方のことよりも
自分の職務の評価のことしか考えずに裁判を行っている法律家たち。

物事の事実は見えていても、
真実は誰にも見えていないのだな。

勿論現実の裁判を傍聴したことはないので、この作品からの印象である。誤解なきよう。

物語の最後に死刑判決の出た三隅の元へ重盛が訪れる。
突然否認しだしたのはそうすれば咲江がつらい証言をしなくて済むと考えたからなのか。
だから、自分もこのまま勝てるわけでもないのに否認証言にのったのだ、と話す。


重盛は三隅に翻弄されながらも、仕事として被告人に接するのではなく、人として向き合うようになりつつあったのだと感じる。
死刑判決が出た裁判のあと、涙を流していた重盛。
彼は三隅に対し何かしら他人事ではない感情を抱いていたのではないだろうか。

タイトルは「三度目の殺人」だが、三隅は作中二度だけ殺人を犯している。
三度目はおそらく、自分自身を死刑として殺した、という意味なのではないだろうか。

久々に記事を書いたので、上手く簡潔に書けず、長文になってしまった。
ここまで読んでいただいた方には感謝の気持ちが溢れる。
映画鑑賞のトラウマは克服出来たように思う。
ありがとうございました。

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