月刊しゃまお5月号

▼もくじ
・日本のPTA
・ハングルとLoL韓国サーバー
・エニアグラム 24

ダラダラしすぎました。(月刊とは)

▼情報を辿る

PTAは戦後米国から我が国に伝わった
→現在に至るまで時間が経っており、存在価値に疑問
→PTAを不要と考える人は多いのでは?
→何故ならPTAで困っている人やトラブルに遭った、PTAの退会者から私の元に相談が寄せられているからです

←PTAの入退会に関するトラブルがあることは把握している
←PTAは保護者と教員で構成される任意の団体であります
←個々のPTAで生じるトラブルはPTAが主体的に解決するべき

→PTAが任意の団体であるのであれば、入退会は自由であると考えます
→何者もPTAの入退会は自由ですよね?
特に退会する事によって保護者の子供が嫌な思いをする事はあってはならないですよね?

←児童生徒の健やかな育成の為に、PTAは保護者と先生で構成されている任意の団体である
←PTAは学校・家庭・地域の連携を強化する上で重要な役割が期待されている
入退会は保護者の自由である
退会もしくはPTAに属していない事によって保護者ひいては保護者の子供が嫌な思いをすることはあってはならず、それはPTAと学校が協力して尽力するべきである


任意の団体であるならば、保護者や保護者の子供に嫌な思いやトラブルを発生させちゃマズイんじゃない?消しちゃうよーん^^

というのが浜田聡議員が遠回しに伝えている論点であると思います(たぶん

PTAのルーツ[編集]

PTAは、1897年アメリカ合衆国で2人の女性により自発的に結成された[9]

詳細は「#アメリカのPTA」を参照

PTA前史[編集]

明治時代に日本に近代的学校制度が導入された際、各学校(特に小学校)の設立・維持の経費は、地方住民の負担によることを原則とした[10]。その後、学校経費は、主に町村費の負担とされていったが、学校予算は必ずしも潤沢ではなかった。そこで、学校運営にかかる金銭的・労務的負担を軽減するため、学校に通う児童・生徒の保護者や学区の住民によって、学校を支援する任意団体も多く結成された。これらの団体は、「後援会」や「保護者会」、「母の会」と呼ばれる[11]。これらの団体は、学校の経済的支援をもっぱらとし、教育活動に関わることはほとんどなかった。

昭和10年代以降、戦争の激化とその後の混乱の影響で、保護者たちによる団体の活動は一時停滞した。しかし、終戦後には荒廃した学校や教育を支える団体の活動が再び始められ、後のPTAの精神を先取りするような活動や運動も各地で試みられた[12]

日本型PTAの登場[編集]

1946年(昭和21年)の春、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の要請によりアメリカ合衆国から派遣された教育使節団が作成した報告書、アメリカ教育使節団報告書(第一次報告書)が発表された。同報告書では、PTAに直接言及はないものの、いくつかの箇所でPTAの理念に及ぶ考え方が示された[13]。また、1947年(昭和22年)4月には、極東委員会も「日本教育制度改革に関する指令」を定め、PTAが民主主義教育推進のために積極的な役割を果たすことを期待し、勧奨した

https://ja.wikipedia.org/wiki/PTA

アメリカのPTA
1897年、当時まだ参政権のなかった女性2人、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの母であるフィービー・アパーソン・ハースト英語版)とアリス・マクレラン・バーニー英語版)が、ワシントンD.C.にて全米母親議会(National Congress of Mothers)を開いた。予想に反して、父親や教師や政治家も含め2000人もの人間が集まった。そのため「全米保護者教師議会 (National Congress of Parents and Teachers)」と名称を変え、後に「全米PTA団体(National PTA Organization)」へと発展し、幼稚園の設立、児童労働法、公共保健サービス、給食少年法予防接種の義務化などにつながる活動を行っている[9]

https://ja.wikipedia.org/wiki/PTA#%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AEPTA

アメリカのPTAが発足した時は公共事業への関与が主な活動であった。

これは憶測しかないのですが。。。
・1897年にアメリカでPTAが発足される
→第二次世界大戦が起きる
→GHQにより、日本にもPTA置いとこうぜってなる
←アメリカでPTAを立ち上げた二人はこれに同意したのか
というのが個人的な疑問点です。

PTAはアメリカで発足されたモノです。
それを戦争によって占領した国に根付かせるのはどうなんだよ、というのもあり。

PTAはアメリカで良く機能しました。
なので占領した国があって、
占領した国の教育方針を定めるなら教育の良い概念を置いておこう。

というのは分かるのですが、国によって教育の理念や傾向は違うはずです。
であるならば、日教組をPTAで上書きするのが最良だったとnoteを書いている人は考えます。

ならばPTAと日教組、それぞれが発足した年月が重要になるのでは
PTA:登場1946年=勧奨1947年
日教組:設立日が1947年6月8日

これはこれは、怪しいですねぇ!
PTAという外国からの概念に対抗するように日教組が立ち上げられたと言っても遜色ないと思われます。
しかし、日教組自体も日本の概念では無いように思われ・・・

歴史[編集]

第二次世界大戦後に日本占領下に置いた連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)は、学校教育の改革政策として「民主化の一環」として1945年12月に教員組合の結成を指令した。既に11月には京都徳島教職員組合が結成されていた。12月には全日本教員組合(全教。翌年より「全日本教員組合協議会」)が、また翌年、教員組合全国同盟(教全連)が結成された。これら2つの組織に大学専門学校教職員組合協議会を加えて、組織を一本化する機運が生まれ、1947年(昭和22年)6月8日に奈良県高市郡(現在の橿原市橿原神宮外苑で日本教職員組合の結成大会が開かれた。大会では、日教組の地位確立と教育の民主化、民主主義教育の推進を目指すと定めた3つの綱領を採択し、6・3制(小学校6年間・中学校3年間)完全実施・教育復興に向けての取り組みを開始するとした。

日教組結成大会 橿原神宮

1950年6月に北朝鮮韓国に突如侵攻したことで朝鮮戦争が勃発し、連合国軍最高司令官のマッカーサー警察予備隊(後の保安隊、現在の自衛隊)の創設を指令、再軍備に道を開き、日本を「反共の砦」と位置づけた。また日本政府も連合国軍による占領終了に伴う主権回復(1952年4月28日:日本国との平和条約発効)を前にして、「日の丸」「君が代」「道徳教育」の導入など、左翼陣営から戦前への「逆コース」といわれる教育政策を志向し始めた。戦後教育見直しや再軍備への動きの中で、日教組は、1951年1月に開いた中央委員会でスローガン教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」(=非武装中立)を採択し文部省(現・文部科学省)の方針に対立する運動を開始した。また、1951年11月10日、栃木県日光市で第1回全国教育研究大会(教育研究全国集会=全国教研の前身)を開き、毎年1回の教育研究集会を開催、現在に至っている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99%E8%81%B7%E5%93%A1%E7%B5%84%E5%90%88

いいえ、全く持って怪しくはなかったです。
日教組はGHQの司令によって結成されたのですね。
そもそもPTAと日教組は全く違う概念存在である事を知りました。
(圧倒的無知の極み)

そしてPTAを立ち上げた二人は日本にPTAを導入する事に二人が関わっているか?
という疑問については、二人は日本にPTAの概念が舞い込んだ1947年までに、既に亡くなっている

PTAはフィービーの存在によって機能していたに過ぎないのではないか?と評価します。
フィービー、あるいはフィービーと同格の者、その意思を継いだ者が存在していないPTAに価値はないのではないかと。

理想理念は、それを掲げたトップが消えると集団は機能しなくなって一時的なモノとなるんですよね。
後任者が同等の理想理念を引き継げていたら良いのですが、そうでない場合は解体するか、立場を利用して私物化するようになるのです。(体験談

GHQ「教育の組織を結成してね。教育に良い影響があったPTAの概念も置いといたで。日本の良い教育を願うで。」
日教組「結成したで。日本の教育がんばるで。」
GHQ「北朝鮮が韓国に戦争しかけたで。日本と平和条約発行したで。日の丸と君が代を作ったで。戦争では日本を負かしたけど、日本という国の尊厳を失わせない為にそれらを作ったよ。」
日教組「なんでコレ歌う必要あるねん。教え子を戦争に送ってはならん、青年は再び銃を握らんでほしいねん。」
PTA「はえ~、PTAなるものがあるんすね。なんかコレ、意識高い系でいいっすね^~。あ、日教組さんチワーっすw。PTAはPTAで意識高くいくんでよろw」
GHQ「・・・」


日本のPTAはフィービーでは無く、日本にフィービーは居ない。
書いている人の日本のPTAに対する評価はコレに尽きます。

~~
雑記:PTAを立ち上げた二人を辿る
カタカナで検索しても詳細な情報が出てこなかったので、wikiのページを翻訳にぶちこんで見てみる。

:フィービー・エリザベス・アパーソン・ハースト

フィービー・エリザベス・アパーソン・ハースト(1842年12月3日 - 1919年4月13日)は、アメリカの慈善家、フェミニスト、参政権論者である

ハーストは急進的なフェミニストたちとは「異なる方法」を選択した[21]。彼女は女性が経済的自由を得ることを信じていたが、女性参政権への支持においては、女性が政治的権力を得ることを強く信じてはいなかった。1895年、女性議会が連邦修正条項の可決を決議したとき、ハーストは「遠まわしに」それを支持した[23]。 1911年夏、彼女は参政権支持を公式に宣言し、それが「特に子供と女性に影響を与える状況の改善」を可能にすると述べた[24]。

https://en.wikipedia.org/wiki/Phoebe_Hearst

どちらかというと慈善家・投資家の面が強い
歴史に残る貴重品を保護する側面もあり、
事業の支援や改善に積極的である事が伺える。

金で解決をした女傑であると言えます。
PTAは投資家でなければ意味が無い説・・・

:アリス・マクレーラン・バーニー

バーニーはフィービー・ハーストとともに全米母親会議(National Congress of Mothers)を設立し、後に父母教師会(Parent-Teacher Association)として知られるようになり、1897年に最初の会議がワシントンD.C.で開催された[2][3]。バーニーはまた、『デリネーター』誌やその他の出版物に寄稿した記事をまとめた1905年の著書『Childhood』など、育児をテーマにした著作も多く残している[4][5]。

https://en.wikipedia.org/wiki/Alice_Birney

育児と著書があるしか情報がねェ――!

:アメリカのPTA(抜粋

幼稚園の設立、児童労働法、公共保健サービス、給食少年法予防接種の義務化などにつながる活動を行っている

PTOが学校単位で活動しがちなのに対し、PTAは学校、州、国というヒエラルキーで構成され、すべての子ども達のためという長期的かつ広範囲な目標を持ち、それぞれの単位に合った内容で活動している。たとえば学校単位では、教員や職員をサポート、学校環境の改善、行事などを企画し実行する。州単位では、各学校からの質問に対してアドバイスを与えたり、学区のカリキュラム、州法の改定など州内の子ども達が対象となる事項について話し合いが行われる。国単位では、アメリカの教育政策に対するロビー活動を行っている。

過去にPTAが先鞭をつけた法案には、給食、予防接種の義務化、スクールバスの安全確保、テレビ放送内容のレーティング(年齢制限)などがある。近年PTAが政府関係者に働きかけているものとしては、安全な学校環境、保護者の介入や意向の尊重、給食の栄養標準の改新、公立校の支援強化などである

各学校のPTAは毎年、メンバーの家庭からPTA会費を徴収する。その中の一部を州PTAと全米PTAに収めることによって、学校の保険ではカバーされないイベントなどのためにPTA団体保険に加入したり、トレーニングを受けたり、州や全米PTAのサポートを受けることができる。

PTA、PTOに限らず、教育熱心な親ほど学校に係わる傾向にあり、一般的にレベルが高い公立校ほどPTA (PTO) の活動が盛んである[139]PTAが楽な学校を選ぶ日本とは対照的である。
また日本が「今年はPTA委員に当たった」と、大量の仕事が一部の人間に集中するという現象が順繰りに回ってくるのに対し、アメリカでは毎年各家庭がPTAに加入するかどうかを訊ねられ、加入することは「今年も自分ができる範囲でPTA活動をする」という意志の表示となる。仕事を持ちながらシーズンを決めて活動する保護者も多く、教育法、会計、美術指導、図書整理や読書指導、作文添削、スポーツ・コーチ、学校周囲の交通整理、広報活動、緊急災害準備、寄付金集め、子どものクラス役員、親睦会、講演会、教職員への感謝週間など自分の専門や趣味を活かせる分野で活動する。

PTOでも女性の保護者、特に専業主婦が多いのは同じであるが合理主義が徹底しているため、日本の公立小中高のPTAのような煩雑かつ不人気・前例至上主義的な傾向がない。ただし、日本でも私立校のPTAでは保護者・学校教職員・業務の質から希望者が集まる等の事情が異なる傾向がある

https://ja.wikipedia.org/wiki/PTA#%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AEPTA

・PTAを立ち上げた二人は投資家&育児教育のタッグである。
・PTAが学校とは独立した存在である以上、PTAは投資組織である。

何が言いたいかは・・・わかるよな・・・

~~

この2つは調べようと思い、思っただけで断念しました()

~~
▼ハングルとLoL韓国サーバー

LoLの韓国サーバー配信を見ていて、そういやこんな動画があったなと思い返した。
パターンが最小限に留められており、「英語のワードを覚える前にアルファベットを覚える」ような動画である。
これを理解してから語学学習をしてみたい。(やるとは言ってない


で、なんで急にハングルを?って事で

これをみていたからですね(気になっただけ

で、ジャスパー氏はADCメインであり、動画や配信で映るのは大体Botレーンです。
韓国のシルバーゴールドは非常にハイレベルで、感覚的に日本サーバーのプラチナ~ダイヤの理不尽さを全員纏っているように感じます。

で、切り抜きの動画を見ていて思ったのです。
BOTに相手のJGがガンクをしにきます。
ジャスパー氏はADCで、味方の韓国supの対応は決まって、ほぼほぼ”迎撃、イーヴントレード、デッドオアアライブ”なのです。

「フラッシュやゴーストを使えばお互いガンクをノーデスで凌げれるのに、何故そうしないんだ?」
意地なのか?
それが上達の鍵なのか?

そんなワケなかろう。
緻密なマクロ、大胆不敵な攻撃的姿勢、それらがあって意地で済むモノか。


――ふと、理解してしまったのです。

①ガンクが来る時はどのような状況か?
 →ローHP、ウェーブ位置が中央~あるいは押し込みのライン
韓国supは何故高確率で迎撃、もしくは不利でも攻撃的なトレードをする?

・・・、この回答は一つだけでは無いだろう。
A.そのウェーブ位置でフラッシュゴーストを使えば、粘着されて結局死ぬ
B.どちらかが消滅する事で、消滅させた側はミニオンを高速プッシュする可能性が高まる。高速でミニオンが消された場合、次にミニオンが衝突するのは大体中央→復帰後のウェーブ位置が前より楽になる。
C.キルデストレード、ダメージトレードを行うことで、味方MID/JGが後入りする択を増やす
D.ワンチャンノーデッドで一方的に勝てるかもしれないし、イーヴントレードができるかもしれない。
E.リミットテスト(限界の把握)ができる。(次回のガンクはスペルを使って戦いを避けるかも)
F.とにかく相手のADCに経験値とゴールドを稼がせるな
G.ゴーストフラッシュをしたところで、プレッシャーを受けながらフリーズされて終わり。

――爆アドしかなくね?
少なくとも一方的なロスは無い。
それを可能にする為に、前もってHPを削れるハラスメイジsupが流行しているのやもしれん。
それを可能にする為に、前もってハラスするミクロ技術を磨いている。
ウーン、合理的だ。

~~そういえば、半ば消極的にランクに連れて行ってもらって、日本鯖でブロンズ1になりました(歓喜
ヴェックスMIDかスウェインSUPしかできない男。

良い配信を見させてもらいました。ありがとうジャスパー氏。


・・・とはいえ、これらの配信のsupは「どうしてこの状況で限界バトルをするのだ!?」と驚くシーンがある。
しかし、全て味方JGMID、相手MIDの状態と相手JG位置を完璧に把握しているプレイの様に伺えた
これがシルバーゴールドのやることかよ・・・!(畏怖)

ADCに全てのミニオンを譲るのも、ADCがゴールドを得た場合の期待値が高いことの価値観・情報が濃密に知れ渡っている様に思える。

韓国プレイヤーは口が悪い人が多い様に見えるが、それで尻込みするなら相手と試合に勝つ事はできず。
味方に悪口を言って火が付くなら勝率は上がる。
味方に悪口を言って逆転フィーバーしてくれるなら娯楽モノ。

国ごとの教育方針と性格分布の影響が多いのかなぁと思います。
それを考える方が、俺は楽しいよ・・・(


~~
▼エニアグラム 24
T2が「私は私であって良いのだろうか」
というツイートを目にしたり、そういった話題を聞いて、モヤモヤしている。

自分は234のうち、4である。

「私は私であるが故に」
一度メンタルが大きく折れた後、この様に考えるようになった。

何故なら「私は私でしかないのだ。他人に価値を決められる事なく、自分を含めて価値は全て私が決め、判断する。よって、この弱さが私。」

「私という人間はこういう人間なのだ。」
言い訳であり、傲慢であり、開き直りである。

だが、それは正当で真っ当な自己認識ではないだろうか?
私が他人に認められたり理解されるハズがないだろう。
私が私の弱さと独自性を認めなければ何も始まらないのだ。

肯定感は自己でしか肯定する事ができぬ。
誰かによって自己肯定感と自尊心を削がれてきた人生だった。
誰かによって肯定感、自己肯定感が育まれた事など一度もないわ。
肯定されたとして、納得できなければ意味がない。
俺は納得できなかった。

――そのように、誰かによって自己肯定感を得る人が居る。
誰かによって納得できる人間が居るのだろう。
そこにはいつも、”誰か”が居る。
そこにはいつも、”自分”は居ない。
俺は自分しか居ない。


~~という思考を、「私は私であって良いのだろうか」、もしくはT2にそう言った所で、「そんな事は何度も言われてきたよ」と不貞腐れるのがオチだろう。
経験し、経験から結論を得た私は以降、黙ることにした。
それは自分で自分を認識しなければ辿り着けず理解できない自己との相関性だからだ。

過激に言えば「自分で気づいてください」という感じ。
真っ当に励ませば「(良いとは言えないけど)そのままの君でええんやで(嘘)」
激詰めすれば「お前は何者でもない」
T2の性質的には「私を私にしてくれる人を探してください。それは私ではありません。」


T2には不可解なのです。
T4が恍惚したり神格化する対象はあれど、愛を実感できぬように。


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