見出し画像

誰のために働くか

建築デザインを大学と大学院で学んだ自分が就職を決めた時に何を考えていたのかなと振り返った時に、一番は「尊敬できる誰かのために働いて、技術を身につけたい」ということだったと思う。独立することは前提だったので。

大きな企業にも入れたかもしれないけど、配属であてがわれる設計部長とか室長の元で働くというのはイメージできなかった。なんでこの人の言うことを真に受けないといけないの?という感じ。生意気も甚だしいけど。

縁あって面接を受けて槇総合計画事務所に就職した。槇文彦さんは言うまでもなく世界的にも有名な尊敬できる建築家。副所長さんや先輩たちも信頼できる方も(たまにそう思えない人も)たくさんいたが。仕事をしていれば時に理不尽なことも、疑問に思うことがあっても、最後は「槇さんのため」と思って働いた。分からないことだらけだが、自分が出した指示で出来上がったものが「ふ〜ん、槇さんって、最近こういうデザインやるんだ、、(笑)」というふうにとらえられたら耐えられない。分からないところは先輩や施工者やメーカーに聞きまくって、たくさん恥をかきながら仕事をした。

「自分のため」だと到達レベルは自分次第で上げ下げできるが、「槇文彦クオリティ」ととらえられているレベルは勝手に下げられない。自分にとってはこれが一番のトレーニングの機会となった。

これは今でも変わらないことだけど、「誰のための仕事か」が自分にとっては一番重要。その相手は設計料をくれる施主であることが多いけど、時にはそれを超えて捉えるべきこともある。そんな場合でも、社会全体、と抽象的に捉えるより、誰かひとりの顔を思い浮かべられることが大事な気がする。

あくまでも、自分はそうだ、というだけですが。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?