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伝統をもとに考える。新しい憧れを生み出す。

私は島根県出雲市の出身で、東京の大学に入学する19歳の春まで出雲で過ごしました。母方の家系は大工で、父方の家系は製陶業を営んでいて、木を建材として、あるいはエネルギー源として利用するのを見ながら育っていました。東京に出て大学で学んだり、設計事務所で就職してからは、出雲の大人たちと触れ合う機会はほとんどなかったのですが、30代になってから出雲で建築ワークショップをしたり、まちづくりのお手伝いをする機会もでき、地元での建築関係者の方との縁もできてきました。

そのような縁がきっかけで、先日島根県大田市温泉津で島根の建築関係者のみなさんの勉強会で現代の中大規模木造建築のお話しをさせて頂きました。島根県は身近に山の暮らしや林業があり、そして出雲大社、神魂神社、そして松江城などうっとりするような木造建築が多数残る土地であり、日本でももっとも質量共に優れた古民家がある場所です。今回参加されていた建築関係者の方たちも、日常的にそのような建築の側で過ごし、改修や修繕を通して文字通り触れている方たちです。近代に生まれた在来木造軸組工法や枠組壁工法だけとも違う、伝統に囲まれている皆さんの前で現代木造のお話しをするのは、なかなかプレッシャーでした。

松江城外観。石造りの基壇の上に5層の木造が載る

現在中大規模木造建築が望まれている背景や、これまで自分が作ってきた都市木造、海外や日本の先進事例の紹介、そしてこれから自分で取り組みたいプロジェクトなどをお話ししました。プレゼンテーションは45分の予定でしたが、力が入りすぎて1時間以上お話ししてしまい、そのあとの懇親会の食事が遅くなり、申し訳ない感じでした。みなさんの顔が良く見える少人数の会でしたのですが、みなさんじっと聴いてくださり、緊張と嬉しさとが入り混じった高揚感の中、お話しさせていただいていました。

プレゼンテーション終了後の質疑応答では、エンジニアリングウッドの耐候性や、金物や接着剤などの長期にわたる耐久性などについての質問もあり、普段から木に手で触れている方らしい感性を感じました。このような質問は他の地域でお話しする際にも聞かれるものですが、自分は割と楽観視しています。100年たった現代の中大規模木造建築はもちろん存在しないので、実例を持って証明することはできないのですが、竣工後20年レベルのものもたくさん出てきているので、これからはそれらの事例の調査や分析が可能で、そのような取り組みも始まっていると聞いています。また、木材の物性の研究も進んでいるので、それらをもとに数十年後、100年後を予測することも出来るようになってきているのではないかと思っています。

また「木には木らしい使い方がある」「そのような大きな建築を無理して作るべきではない」という意見ももっともだと思うのですが、上古の出雲大社の金輪を使った束柱や、東大寺大仏殿の束柱、松江城の金輪や鎹を使った束柱などをみても、民衆のための民家や町屋はともかく、寺社や城など中大規模の木造建築をつくる際には、それぞれの時代に入手可能なハイテクを注ぎ込んできたのがそれぞれの時代の匠だったのではないかと思っています(昔は違った、人間は分をわきまえていた、自然と共存してきた、という言説は、常に伝統による立場から、過去を振り返って言われるだけなので、自分はあまり信用していません。疑り深い性格なので)。技術を操る人間が、目の前の使用可能な技術を使うことには変わりはないと思います。

松江城の金輪や鎹で束ねられた柱

もちろん、近代以降、石油とそれに基づく技術を人類が手にし、資本主義が地球上を覆いお金が国境を超えて自由に移動するようになってからは、素朴な人間の好奇心とそれに基づく環境の改変のスケールが全く変わってしまったので、人間の本性にどうブレーキをかけるかが鍵になってくると思います。近代の都市観や憧れの成功のイメージが摩天楼とそこから世界を睥睨することだったとすると、新しい社会の憧れの姿はどのようなものなのか。それは行き過ぎた開発のスピードを弱められるものなのか。そこに興味を持っています。

個人的には3階、4階、5階建くらいの中層建築が緑と共存しながらまちを満たす都市像があこがれになれば良いと思っているのですが、日本の歴史的な都市建築にはこのモデルとなってくれるものがあまりありません。古代ローマのインスラなども参照できるかなどと思っていますが、何か良いものはないでしょうか。

高密度木造都市のイメージ

(初出: 中大規模木造建築ポータルサイト もくログ 2023年9月15日)

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