花粉と変態

これは私が大学1年生の頃の話である。まだあまり大学にも慣れておらず、日々緊張しながら大学に通っていた。スギ花粉の蔓延する4月の後半、花粉症の私は鼻をズビズビさせていると、隣に座っていた男性が私に
「これ使います?」
とポケットティッシュをくれた。花粉症患者の必需品である箱ティッシュが底をつき、困っていた私は大いに助かった。もらったポケットティッシュで鼻をかみ、私は一時的な鼻の快調を得た。しかし、鼻水の心配から解放され、思慮の余裕といったものができると、私は再びある別種の不安が脳裏に浮かぶのだった。つまり、彼は私の鼻を啜る音に痺れを切らしていたのではないか、という。
「うるさかったですよね?」
「何が?」
「鼻を啜る音が…」
「あー。そんな気にならなかったけど」
「本当ですか。それなら良かったんですけど、申し訳ないです…」
たとえ悪人だろうと、うるさかったですよね?と聞かれて、めちゃめちゃうるさかった!とは言えないだろうが、彼の気遣いが嬉しかった。多分、彼は相当モテてるんだろう、髪型は流行りのセンターパート、カジュアルな黒いパーカーを着こなしていた。私が頬杖をつきながら、彼をぼんやりと眺めていると、
「ここわからないんですけど…」
と彼は、私に尋ねた。正直私もわからなかった。
「私もわからないです…ごめん…」
私がそう言うと彼はにこやかに
「いやーむずいよなぁ」
と言った。
この時、私はある異変に気づいた。彼の笑い方は少し作り笑いのようであった。ティッシュをくれた恩人に対してこのようなことを思うのは無礼であるが、彼の笑顔は奇妙なほど爽やかだった(しかも、これは後々気づいたのだが、彼の疑問は完全に講義を理解していないと、出ないような疑問であったため、彼は私に話しかけるために、質問したのだと思う)。まぁ、彼も男性である。傲岸不遜の私は、彼の言動を、多少の下心として、納得することにした。
 私がその時受けていた講義は、板書のスピードが早いと有名な講義で、私がせかせかと講義ノートを書いていると、勢い余って、消しゴムに手が当たり、それを例の彼の足元に落としてしまった。彼は講義ノートを書くタイプではなさそうで、口元に手を当てながら、講義を熱心に聞いているような、ぼんやりしているようなそんな顔をしていた。私の消しゴムには気づいていないようだった。彼にとってもらおうか、とも思ったが、もうポケットティッシュまでもらっている手前、さらなる迷惑をかけるわけにはいかなかった。私は彼のそばに行った消しゴムを自分で拾おうと、机の下を覗き込んだ。私はこのとき、不吉で邪悪な、根源的な恐怖の予感がした。暗がりの中に、悍ましい黒い影があったのだ。いや、まさかそんなわけ。もう一度その影をじっと見つめると、それははっきりとした輪郭を帯び、気づくと私は声を上げていた。

つまり、彼はチャックから局部を露出していたのだ。

声をあげると、周りが一斉にこちらを向いた。しかし、すかさず花粉が私に大きなくしゃみを促し、なんとか誤魔化されたのだった。私が花粉に感謝を感じたのは後にも先にもこのときだけであると思う。私は彼の顔が見れなかった。講義が終わり、恐る恐る彼の顔を覗き込むと、彼はこちらを向いており、人智を超えた不気味で爽やかな微笑と共に、私に一言こう言った。

「俺のティッシュどうだった?」

-終わり-

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