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🇵🇾パラグアイ 3都市滞在と日本人の移住の歴史

イグアスの滝を観光後、隣接するパラグアイへ入国した。

訪れた街はシウダー・デル・エステ、イグアス居住区、アスンシオンの3つ。


パラグアイの秋葉原、シウダー・デル・エステ


パラグアイのイミグレーションオフィスを出るとすぐに街が広がっている

ブラジルを出国し、パラグアイに入国するとすぐに街が広がっている。

この街はパラグアイの秋葉原とも呼ばれている。
街にはショッピングモールが乱立し、路地は家電街の様相を呈している。

ショッピングモール「Paris」。
中に入っている店舗は殆ど電子機器関連の店だった。
道路沿いの店舗も多くが電子機器関連を扱っている

僕はSIMカードを買うためにこの街に寄ったが、パソコンやiPhoneを始め、様々な電子機器が売られていた。

うっかり店内の写真を撮り忘れてしまったが、店によっては日本の家電量販店に似ている。

非常に賑わっており、その度合いは首都のアスンシオンにも優っていた。
この街はブラジルと(間接的に)アルゼンチンとも国境を接しているが、特にブラジルから安い家電を求めて多くの客が買いに来るそうだ。
ブラジルの物価が高いのは電子機器にも当てはまるのだろう。
現時点で最新のiPhone15は日本のApple Storeでは約12万円だが、ブラジルのApple Storeでは約22万円だ。

ちなみにブラジル、アルゼンチン、パラグアイの国民は少なくともこの国境は自由に行き来できるようで、皆イミグレーションオフィスを素通りしていた。
それでも車のレーンは大渋滞。バイクのレーンは横断出来ないほどひっきりなしに来る。

1泊もしないのが惜しい賑わいだった。


日系移民の町、イグアス居住区


この町には日本からの移民が多く住んでいる。
一帯には家も人も少ないが、祖父母の家や小学校時代を思い出させるような、懐かしい場所だった。

とにかく美味しい「アデラン亭」
カツ丼やかき揚げうどんが700円程度で食べられる。
夜になると現れる焼き串屋
日本が懐かしくなる提灯

街中には日本食レストランや提灯、暖簾を掲げたお店があり、なんと夜には焼き串屋が出る。
鳥肉の代わりに豚肉と牛肉を使用していた。
場所はペンション園田のすぐ近くのガソリンスタンド脇。

公園の入り口
小学校を思い出させる

スーパーでは日本食や日本米が買えたり、日本を思い出させる公園もある。

移住資料館

後ろ姿は宿泊した宿「ペンション園田」の園田さん
眞子様も訪れたようだ。
右から2番目の男性が園田さんだ。
上皇・上皇后両陛下が訪れている写真もあった。

街の中心部にある公園の傍には資料館がある。
ペンション園田に泊まると、園田さんが時間のある時に連れて行ってくださり、移住の経緯の説明や質問に答えていただける。
学校では習わないことなので今まで殆ど知らず、とても良い機会になった。

ちなみにペンション園田は非常にお勧め。
私の宿泊時点の話になるが、立地も良くドミトリーで1泊50,000グアラニー(約1,000円)、初日の夜はおにぎりと味噌汁を振る舞っていただき、移住資料館での園田さんの説明に加え、アスンシオン行きのバスチケットの購入・お見送りまでしていただいた。

パラグアイへの移民の歴史

調べたことと園田さんに伺ったことをまとめると、以下の通りになる。

元々農業国だった日本では、国土の大半が山のため農耕しやすい土地が限られ、戦前の人口増加に対して土地不足に陥っていた。
戦後も復員兵や現地からの引揚者により同様の問題は続いた。

一方パラグアイは、1800年代後半にブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ3ヶ国を相手にした戦争に敗戦し、国土の1/4、成人男性の2/3以上を失い、土地はあるものの深刻な就業人口不足に陥っていた。

両国の利害が一致したことにより、農業に従事することを条件にパラグアイが日本から移民を受け入れることとなる。

一定数の日本人がパラグアイに渡ったが、JICA等の現地受け入れ側の準備も整わず、割り当てられた土地は道もない原生林地帯であり、まともに生活できるようになるまで相当苦労したようだ。

このような未開の土地が選定されたのは、土地の所有を巡るトラブルや煩雑な手続きを避けるためだそうだ。
確かに既に現地住人がいれば、突然移住してきた異国人に対して何かと軋轢も生まれかねない。

イグアス居住区への入植は1960代、奇しくもその頃日本は高度経済成長期を迎え、移住者数は伸びなかった。

一方でパラグアイ人たちは開拓されたこの地に移り住んできたため、結果として規模が大きくなりイグアス市が誕生した。

ちなみに当時ブラジルにも相当数の日本人が移住したが、その役割は奴隷制度の廃止によりコーヒー農園などで不足していた労働力を補うことであり、パラグアイでの役割とは相当異なる。

誰がそんなに南米に移住をしたいのだろうかと思ったが、当時は海外移住に憧れる人、出稼ぎに行きたい人が一定数いたそうだ。
また戦後で中々仕事にありつけなかった事情もあるだろう。

イグアス居住区については以下の資料が大変勉強になった。


首都アスンシオン


旧市街の街並み
人も車もそれほど多くない

アスンシオンはパラグアイの最大都市でもあるが、他の南米の大都市と比較するとこぢんまりとしている。

僕は旧市街に滞在したが、通りは人や車でごった返すことはなく、とても静かで穏やかだった。

街には物乞いやホームレスは比較的少なかったが、少し道を逸れるとスラム街があったりと現実を見せつけられる。

見どころの政府宮殿。
このすぐ近くにスラム街があった。

政府宮殿は非常に美しかったものの、アスンシオンに限らずパラグアイには観光資源が少ないように思う。
そうそう行く機会は無いと思うので、今回訪れることができて良かった。


その他


物価

かなり安い。
ビールは330ml瓶が100円せず、水も1リットル100円未満。

高級感のあるレストランで500mlビールとバケット、牛肉のリブを注文しても66,000グアラニー(約1,400円)だったのには驚いた。

アスンシオンではUberやBolt(Uberの類似アプリ)も安く、10分程度の距離で12,000グアラニー(約250円)、空港まで40分走っても42,000グアラニー(約870円)程度だった。

治安

南米の中では比較的良いとされている。
実際、一般には治安の悪い首都だがアスンシオンはそれほど嫌な雰囲気はなく、物乞いも少なかった。

僕はいずれの都市も日中は気兼ねなく歩き回っていた。

一方でスラム街があったり、明らかに落書きやゴミが増えて汚いエリアもあり、当然ながら場所を選びそうだ。

パラグアイで人気のお茶、テレレ

パラグアイ料理と呼べるほど特別なものは無いが、飲み物に関しては印象的な文化がある。

テレレ(terere)
うっかり写真を撮り忘れたので、フリー素材

テレレとは特徴的なコップにジェルバの葉を詰め、そこに水を注いだもの。
茶漉し付きのストローで飲む。

これを至る所で見かけ、タクシーやバスの運転手、空港職員など老若男女問わず多くの人が飲んでいた。

そして誰もが水筒やポットを合わせて持参しており、水を注ぎ足しながら飲んでいるのだ。
スーパーで買い物をしながら飲んでいる人もいた。

ちなみに水では無くお湯を注いだものがマテ茶だそうだ。

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