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灰色ウサギに赤いリボンを結ぶ物語

灰色ウサギのおはなし

私の前に最初に現れたウサギ。
それは子どもの頃に出会った灰色のウサギ。
幼稚園の園庭に、つつじだとかの植え込みがあったのだけれど、
それが撤去されて、数日後私の背丈ぐらいの柵で囲まれた小屋が出現
さらに数日経過すると、その小屋の中に住人たちが現れて園児たちの心を奪ったのだった。
許される限りの時間、園児たちは小屋に群がってウサギに夢中だった。
先生が付き添ってくれるときに限り、ウサギを小屋からだして抱いてもよい。
場合によっては数人だけ順番に柵の中にはいってウサギの群れの中にまぎれこむこともできた。
この騒ぎ。ウサギたちの活躍で、私は普段は混んでいて登ることのできない滑り台の頂点を占領したり、4人乗りのブランコをひとりで漕ぎまくったりする時間を楽しんだ。
私の胸に、ウサギは刺さらなかった。
しかしある日、一緒に遊んでいた友達が、衝動的にウサギに惹かれ、
私を誘ってウサギをとりまく群れに吸い寄せられた。
子どもの群れ。小屋ができて、近くを通っても、わたしはほとんどウサギを見たことがなかった。いつもウサギ園児の後ろ姿があるばかり。
腕の中にモフモフしたものを抱え込んでいる子もいた。
私は怖くて、その群れの中にはいっていくことはできない。
人気のない裏側を選んで、私は小屋の中をみてみた。柵のまわりをぐるぐる歩いてみた。
園児たちに連れ去られ、小屋にはウサギはいない。
ウサギが掘ったらしき穴をみる。どこかに続いているらしかった。
そんなことをしていたら、ぐるりと一周してまた群れの横に戻った。
ウサギに近寄れない私をみつけて、先生が、一匹のウサギを私の前に差し出した。
抱っこしても大丈夫なのよ。
はじめて至近距離でウサギをみる。
小屋にやってきたときにはもっと小さくて丸っこかったウサギが
けっこうなサイズに成長している。私と目を合わすこともなく、ウサギは静かに怒っているように見えた。
先生に促されるまま、私はウサギを抱えようとした、でもウサギは私の腕の中を拒み、後ろ足で私の胸を蹴り上げ、そのまま逃げようとしたところを先生に捕獲された。
私はすっかり怖くなってしまい、先生がもう一度私の腕にウサギを持たせてくれようとしたのだけれど、上手にうけとることができない。結局、私はウサギに蹴られただけでなにもできなかった。
ウサギの足の強さは私に衝撃を与えた。
家に帰ると、母親にウサギの話をする。
その話の中では、ちゃんとウサギを抱いて、頭を撫でたのだ、私の手からニンジンをたべた、といった話がまことしやかに語られていた。嘘松さん。
そのうち自分もウサギを飼おうとおもう。白いウサギにするのだ、といった話。
終いには、母に嫌がられるほど、ウサギの話しかしない子供に私はなっていったのだった。ウサギの絵ばかり描いた。
朝がきても身支度をはじめないでいると、仕度をしようよ、しないとウサギに会えないよ?と母は脅しをかけた。すると不思議に幼稚園にいきたくなる。ウサギにはそんなポテンシャルがあった。
そこまでのポテンシャルをもちながら、いざ小屋の近くにいっても、私はウサギを抱くことはできないのだった。
触らないのに毎日ウサギ小屋の近くにいった。

そんなある日のこと、母が買い物をすると、箱に赤いリボンがかけられた。
この箱と包装紙とリボンをもらうのが好きだ。
母は私にリボンをくれた。そしてこう言ったのだ。「ウサギの首に結んであげたら?」
私にリボンをわたしながらこうも言った。ウサギは灰色が一番カワイイ。灰色のウサギに赤いリボンはとてもよく似合う。カワイイ。

私はリボンを持ってまた小屋にいった。
そして先生に、ウサギの首にリボンを結んでもいいかたずねた。
どのウサギにする?先生は私にウサギを選ばせてくれたのだが
私の心は決まっていて、白や黒の兎の中に、一匹だけ混ざっていた灰色のウサギを指名する!
先生が灰色のウサギを連れてきて、私に渡そうとするけれど、私はまた受け取れない。
ウサギは目いっぱいにウーンと伸びをして後ろ足をつっぱっており、断固、私の腕の中に収まらない構えなのだった。
私もへっぴり腰。
ウサギと私の距離は縮まらず、私たちは目を合わせることすらなくすれ違っている。
結局、先生がウサギを抱いてリボンを結んだ。
赤いリボンの灰色ウサギは評判だった。すぐに園児が群がり、私とウサギの距離はますます離れている。
撫でてあげたら?と先生に言われ、私は先生に抱かれたウサギの頭を触った。
モサモサした毛の中に指が沈む感触。ウサギは少し暖かいのだった。
調子にのって背中のほうまで触ろうとすると、ウサギがキュっと身を縮めるので私はまた怖くなった。それ以上は触れない。
でも、赤いリボンを結ばれたウサギが先生の腕の中にいる姿を私は覚えている。
丸まったウサギのクビに、蝶結びの赤いリボン。それは素晴らしいウサギだった。
少し上目遣いになっている瞳のつぶらさよ!
濁りの無い瞳の輝き。私の心に、灰色ウサギが刺さった瞬間だった。
他のウサギは、もう色褪せている。
それからも、私のウサギ詣では続いた。触れないくせに近くにいきたい。
私はすっかり灰色ウサギのファンだった。

ある日、ウサギ先生から母に一本の電話がはいった。
それは灰色ウサギが柵から脱走して行方不明になったお知らせだった。
私が灰色ウサギを可愛がっていたから、知らずに小屋にいっては可哀想だとおもった先生が事前に母に告げたのだった。
ウサギ先生のこまやかな心遣い。
ところが母はダイレクトにウサギの死を告げた。
私が驚いたのはウサギ先生のことだった。
ウサギに群がっている子どもは大勢いたのに、私が灰色ウサギのファンだとなぜ知っているのだろう。
灰色ウサギがいなくなったこと。私にはよくわからなかった。
次の日、登園するとまた小屋にいく。
そしてウサギ先生の近くにいき、灰色のウサギを抱っこしてみる、と発表した。
灰色のウサギはもういないのを知っているのに、知らないふりをしてみるのだった。
すると灰色のウサギが小屋から現れ、私はウサギを抱き上げて頬ずりしたりする。
ウサギも私の手に鼻先を寄せてきたりして、ふたりはすっかりなかよくなってしまうのです。
ぼんやりした気持ちの私に、「灰色のウサギちゃんは、昨日、小屋から抜け出して迷子になってしまったの」と先生は言う。
いつ戻るのか私は尋ねる。
それはわかりません、と先生は答えた。
柵の外にでなければよかったのに、と私はいう。不注意なウサギを咎めるような口調になった。
先生の答えはまた私を驚かせた。

きっと、お外にいってみたかったのよ

園庭の外にあったのはなんだったのか。
そのとき先生が見ていた柵の向こう側を私もみつめていたのだけれど、そこはなんだったのだろう。記憶の中では、クリストファーロビンが歩いているような呑気な草原だった。
灰色のウサギはそこにいて、心のままに駆け回っている。
そのとき私も柵の中にいて、そこは安全な場所なのだった。
先生は私に一度もウサギが死んだとは言わなかった。
シュレディンガーのウサギなのだった。いつか戻ってくる可能性を50%残している。
ウサギを見ると思いだす。
もし、灰色ウサギが戻ってきたら、また首にリボンを結びたい。
赤いリボンを蝶々結びにしたいのだ。


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