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シンボリックターゲット384とは?(NOTEの概要と紹介)

このNOTEの概要とおおまかな紹介です。何か参考にしてもらえたら幸いです。




変わる世界と変わらない世界をよりよく変えるため法則をいつもよりどころに




仮説で「当たり」をつけ、もつれを紐解き、割り切れないに答えを出す。




法則を整理整頓体系化し、法則を生に活かし、法則をよりどころにして自他共の生活と未来を自由自在に変える人生の実現と、法則を通じて宿命と運命の支配を超え「未来を変える力と権利は誰にも平等にある」ということを誰もが実感することを目指して。




  • 自分でも気づいていない自分がいるんじゃないか?

  • 自分の中にこんな気持ちが隠れていたなんて思わなかった。思ってもみなかった。

  • 原因がそんなところにあるとは思わなかった。思ってもみなかった。

  • なんだかんだで諦めていたと思っていたことにこんなに心を揺さぶられるなんて。

  • 言葉にできない。言葉にならない。言語化が難しい。言語化できていない部分。

  • 誰にも言えない、理解されない、満たされない隠れた本音がある。

  • 困っていることがあるが誰も助けてくれない。

  • 当たり前として受け止めているけど、本当に隠れた本音はそうじゃない、心の中はそうじゃない。

  • 違和感があるけどその違和感を意識化できない。

  • 葛藤の中にある、本当の自分の気持ち。矛盾する自分の気持ち。

  • ~って何の意味があるの?~して何の意味があるの?などと思うことがある。

  • 悩んでいるけど、何が悩みなのか気づけない。気づいていない。

  • 解決したいことがあるけど、どうしたらいいのか分からない。

  • 本当はこれが欲しかった。




ターゲットは「見えない・聞こえない」感覚を超越したシンボリックな領域。「あるある話」「あるある物語(ストーリー)」の中にある変わらない「法則」を直観的研究でデータマイニングする。

「見えない・聞こえない」感覚を超越したシンボリックな領域とは、「見えない・聞こえない」けど、確かに「何か」ある。その「何か」をターゲットとしています。

「あるある話」や「あるある物語(ストーリー)」の中にある、誰もが経験したことがある、聞いたことがあるような話の中にある、普段は意識できない、無意識に行ってる行動の中にあるもの。無意識に通り過ぎているもののなかにあるもの。
それらを意識的にとらえて、そのなかにあるパターンのような変わらない「法則」を、いろいろな事例やデータから明らかにしたり、また現代明らかになっている心理学、脳科学などの様々な科学的法則などと融合し「易」に帰納してみようという試みです。

そして、その「法則」を把握し活用しよりどころにすることで、人生や生活をよりよくしていこう。変化していく物事や人生の変化をよりよく変化させていこうという試みです。




【仮説で「当たり」をつけ、もつれを紐解き、割り切れないに答えを出す】の中には次のような意味も込められています。


帰納法的思考法(事例やデータから共通点を探す思考)と演繹法的思考法(論理的に積み上げていく思考)、そしてアブダクション的思考法(思考を飛躍させる)、この三つの思考法を使って、「共通法則を体系化したい」。「易」に全てを帰納する。


もつれを紐解くとは、disentanglement(ディスエンタングルメント)という言葉からとりました。複雑な問題を紐解いてシンプルにして分かりやすくしたい。という意味を込めています。


割り切れないに答えを出すとは、理屈では割り切れないことに答えを出すということです。10÷3は割り切れないように、この世の中には理屈では説明できないことがまだまだたくさんあるように思います。




NOTEもそうですが、ネットには貴重な経験談、体験談がたくさんあります。毎日流れてくるニュースや事件もたくさんあります。易を学ぶ前なら素通りしていたことや様々な問題の中に、実は宝物(法則)が眠っていたりすることを発見する機会、気づくことができる機会が増えたように思います。


それらの「法則」を使って「変わる変わらない世界を変えていけるようになる」。


自然界には自然の法則があるように、普段はなかなか意識できないけど、人間にも人間の法則があります。社会には社会の法則があります。


そこには確かな原因と結果の法則があって、すべての事が単純にその因果の法則に則って動いているように思いますし、そう思いたいです。(そうでなければ学ぶ意味がなくなってしまうからです)


変わっていくことと変わらないこと、それらを土台にして人生や社会は動いている、変わっていくのではないかと思います。ですから、そのなかにある法則を導き出して、その法則を使っていろいろなものをよい方向に変えていけるようになるのではないかという想いがあります。




価格は、それまでの蓄積によって決めています。客観的ではないかもしれませんが、この記事を書けるようになるまでの学習量、時間、お金、労力、経験などの蓄積によって主観的に決めています。


また、価格は変動することがあります。基本的には売れるごとに価格を上げていこうと考えています。その他、事情によっても変わることがありますのでご了承願います。


有料記事については独断と偏見の研究です。効果を保証するものではありませんので自己責任でお願いします。


また記事が気に入らない、思ってたのと違うなどと思ったときは返金を受け付けます。(NOTEの返金機能をご利用ください)




「前と状況は変わらないのに、悩みはなくなっていないはずなのに、原因が分かるだけで悩みを悩みと思わなくなる」というようなことはないでしょうか。


今起きてる現象が何で起きているのか分からないということが不安の原因ということがあるのではないでしょうか。原因が分かると何故かホッとするということがあるのではないかと思います。


この世の中には証明ができないことがまだまだたくさんあるようです。「易」という学問もまだまだメジャーではないかもしれません。でもそこに「易」を学ぶ価値があるように思います。


時代はビッグデータとAI(人工知能)が主流になる世界。でもその中でも感情の部分はまだわかってないことがあるのではないか。「易」は易という言葉にもあるように変わる(易わる)、「変化」を前提に書かれている書です。


単なる知識ではないということです。暗記できるものでもありません。そしてそれがダイナミックに動いてくる、変化してくるという領域においては、「易」はまだまだ不思議な可能性があるように思います。


ですから逆に「証明ができないことが強み」になるということです。「証明はできないけどうまくいくからいいんじゃない」ということがあるように思います。


何気ないつぶやきやママさんの愚痴、事件やニュースなどのなかにある、本当に日常のなかの一コマにある大事な点。様々なデータがあってもどの情報が大事な情報でそうではないのかを見分ける眼力を「易」は育ててくれるのではないかと思います。




弱みは先ほどの強みと矛盾するようですが、「証明できないこと」です。人は証明を欲しがります。説明を欲しがります。数値やデータの裏付けが欲しい。それは分からないでもありません。


「何でそうなるの?」と聞かれても、「易」は証明ができないのです。説明ができないのです。なんとか説明しようと試みると「たとえ話などの比喩表現」など、「こんなことってあるよね」的な話しかできない自分がいます。


もちろんこれは自分の未熟さがそうさせるとは思っている部分もあります。そこはもっと学びを深めていきたいと思っていますが、その部分を考慮に入れても、それでもという感想も同時に持っています。


参考になるかどうかは分かりませんが、「証明ができない」ということについて自分の経験を話してみたいと思います。


私が「易」を使える、これは本当にすごいことを書いてあると確信できるようになったのは、学び始めてから数年たった時からでした。最初の数年間は本当に本当に暗闇を歩いている気分でした。


勉強を始めたのはいいけど、なんかしっくりこなかったのです。それまでは、なんか惹かれるものがあり、読んでは分かったと思ったら分からなくなり、分かるようで分からない。何度も読み返しては中断し、何度か挫折しました。そのたびにこれまでやってきたことが全て無駄だったのではと、これまで費やしてきた時間を思うと絶望的な気持ちにもなりました。


でもあったのです。光が見えてきたのです。暗闇から光が射すとはこのようなことをいうのだと思いました。本当に手探りで暗闇を歩いていて、わずかな光が見えてきたときは嬉しかったのを覚えています。


なぜこのようなことを書くかというと、一挙に分からなかったということを伝えたいからです。単なる知識や理論、暗記ものならすぐ分かるようになると思いますが、単なる理論ではないということです。知識では分からないということです。


もちろん、私みたいに数年もかからないですぐ分かるようになる人もいるかもしれません。


分かるというと語弊があるかもしれません。私が分かったと言っているのは、この世に「法則」が存在しているという意味において実感できた部分があるということです。もちろん、まだ達人の域にはほど遠いのが現状です。


「易」はシンボルや比喩表現を理解するという視点がないと難しいように思います。


「証明ができない」という「弱み」について、話を戻します。
数値やデータの裏付けは確かに分かりやすいですし、数値やデータの裏付け、証明が欲しいという人の気持ちも分からないでもありません。ですから弱みは「証明ができないこと」と書かしてもらいました。




研究の途中でもありますので、間違いに気づいたことや新たに善い方法や表現が見つかった時などには、反省し改善してよりよくしていきたいので、記事を修正・改変・追記・更新することがあります。どうぞご了承をお願いします。(この記事も修正・改変・追記・更新することがあります)


また時代の流れや個人的な事情でやむを得ずNOTEを続けることが難しくなることがあるかもしれません。その点もご了承をお願いします。




時代は変わりますが、いつの時代も変わらないものがある。
私は、「易」という学問は一生役に立つと確信しています。おじいちゃんやおばあちゃんになった時こそ本領が発揮できるのではないかと思っています。頭さえ働けば、寝たきりになっても、易は役に立つと思います。


易を極めた人によると、年を重ねてからの方が人生経験が豊富なので「易」を楽しめると言っている人もいます。


「易」をしていると、あらゆるものに興味がわいてきます。またあらゆるものに関連してきて、つながります。こんなに楽しい学問は今まで出会ったことはありません。「易」が分かるようになってくると、きっと「易」を好きになるのではないかと思います。「易」を好きになればなるほど、易の奥深さが分かるようになると思います。


このNOTEの記事は「証明ができない」という部分をなんとか言語化して、表現伝達を試みようとしているところがあります。そういう観点から参考にしてもらえると幸いです。


また、このNOTEの記事には、初心者の方に向けた記事もたくさんあります。「易」を初めて知る人、「易」を学びたいよという人は、参考にしていただけたらと思います。


ここまで長い文章にお付き合いいただきどうもありがとうございます。




修正&更新(2022/02/14)
修正&更新(2022/10/18)
修正&更新(2022/02/18)
修正&更新(2023/11/28)


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