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序卦伝(じょかでん)【易経】~十翼~

このNOTEは原文(漢文)と書き下し文を確認したい時などに参考にしてもらえたらと思います。


修正&更新(2022/02/16)



十翼のなかのひとつ序卦伝(じょかでん)の原文(漢文)と書き下し文です。


「序卦伝(上)」

「有天地然後萬物生焉。盈天地之間者唯萬物。故受之以屯。
屯者盈也。屯者物之始生也。物生必蒙。故受之以蒙。
蒙者蒙也。物之稺也。物稺不可不養也。故受之以需。
需者飮食之道也。飮食必有訟。故受之以訟。
訟必有衆起。故受之以師。
師者衆也。衆必有所比。故受之比。
比者比也。比必有所畜。故受之以小畜。
物畜然後有禮。故受之以履。
履而泰、然後安。故受之以泰。
泰者通也。物不可以終通。故受之以否。
物不可以終否。故受之以同人。
與人同者物必歸焉。故受之以大有。
有大者不可以盈。故受之以謙。
有大而能謙必豫。故受之以豫。
豫必有隨。故受之以隨。
以喜隨人者必有事。故受之以蠱。
蠱者事也。有事而後可大。故受之以臨。
臨者大也。物大然後可觀。故受之以觀。
可觀而後有所合。故受之以噬嗑。
嗑者合也。物不可以苟合而已。故受之以賁。
賁者飾也。致飾然後亨則盡矣。故受之以剥。
剥者剥也。物不可以終盡。剥窮上反下。故受之以復。
復則不妄矣。故受之以无妄。
有无妄然後可畜。故受之以大畜。
物畜然後可養。故受之以頤。
頤者養也。不養則不可動。故受之以大過。
物不可以終過。故受之以坎。
坎者陷也。陷必有所麗。故受之以離。
離者麗也。」
「天地(てんち)ありて然(しか)る後(のち)に万物(ばんぶつ)生(しょう)ず。天地(てんち)の間(あいだ)に盈(み)つる者(もの)はただ万物(ばんぶつ)なり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに屯(ちゅん)をもってす。
屯(ちゅん)とは盈(み)つるなり。屯(ちゅん)とは物(もの)の始(はじ)めて生(しょう)ずるなり。物(もの)生(しょう)ずれば必(かなら)ず蒙(もう)なり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに蒙(もう)をもってす。
蒙(もう)とは蒙(おろ)かなり。物(もの)の稺(おさな)きなり。物(もの)稺(おさな)ければ養(やしな)わざるべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)けるに需(じゅ)をもってす。
需(じゅ)とは飲食(いんしょく)の道(みち)なり。飲食(いんしょく)すれば必(かなら)ず訟(うった)えあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに訟(しょう)をもってす。
訟(うった)えには必(かなら)ず衆(しゅう)の起(おこ)るある。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに師(し)をもってす。
師(し)とは衆(しゅう)なり。衆(しゅう)なれば必(かなら)ず比(した)しむところあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに比(ひ)をもってす。
比(ひ)とは比(した)しむなり。比(した)しめば必(かなら)ず畜(たくわ)うるところあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに小畜(しょうちく)をもってす。
物(もの)畜(たくわ)えられて然(しか)る後(のち)に礼(れい)あり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに履(り)をもってす。
履(ふ)んで然(しか)る後(のち)に安(やす)し。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに泰(たい)をもってす。
泰(たい)とは通(つう)ずるなり。物(もの)はもって終(つい)に通(つう)ずべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに否(ひ)をもってす。
物(もの)はもって否(ひ)に終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに同人(どうじん)をもってす。
人(ひと)と同(おな)じくする者(もの)は物(もの)必(かなら)ずこれに帰(き)す。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大有(たいゆう)をもってす。
大(だい)を有(ゆう)する者(もの)はもって盈(み)つるべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに謙(けん)をもってす。
大(だい)を有(ゆう)して能(よ)く謙(けん)なれば必(かなら)ず豫(よろこ)ぶ。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに豫(よ)をもってす。
豫(よろこ)べば必(かなら)ず随(したが)うことあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに随(ずい)をもってす。
喜(よろこ)びをもって人(ひと)に随(したが)う者(もの)は必(かなら)ず事(こと)あり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに蠱(こ)をもってす。
蠱(こ)とは事(こと)なり。事(こと)ありて後(のち)に大(だい)なるべし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに臨(りん)をもってす。
臨(りん)とは大(だい)なり。物(もの)大(だい)にして然(しか)る後(のち)に観(み)るべし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに観(かん)をもってす。
観(み)るべくして後(のち)に合(あ)うところあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに噬嗑(ぜいこう)をもってす。
嗑(こう)とは合(ごう)なり。物(もの)もって苟(いや)しくも合(あ)うのみなるべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに賁(ひ)をもってす。
賁(ひ)とは飾(かざ)るなり。飾(かざ)りを致(いた)して然(しか)る後(のち)に亨(とお)れば尽(つ)く。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに剥(はく)をもってす。
剥(はく)とは剥(は)ぐなり。物(もの)もって尽(つ)くるに終(お)わるべからず。剥(はく)は上(うえ)に窮(きわ)まれば下(した)に反(かえ)る。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに復(ふく)をもってす。
復(かえ)れば妄(みだ)りならず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに无妄(むぼう)をもってす。
无妄(むぼう)ありて然(しか)る後(のち)に畜(たくわ)うべし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大畜(だいちく)をもってす。
物(もの)畜(たくわ)えられて然(しか)る後(のち)に養(やしな)うべし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに頤(い)をもってす。
頤(い)とは養(やしな)うなり。養(やしな)わざれば動(うご)くべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大過(たいか)をもってす。
物(もの)もって過(す)ぐるに終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに坎(かん)をもってす。
坎(かん)とは陥(おちい)るなり。陥(おちい)れば必(かなら)ず麗(つ)くところあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに離(り)をもってす。
離(り)とは麗(つ)くなり。」

(てんちありてしかるのちにばんぶつしょうず。てんちのあいだにみつるものはただばんぶつなり。ゆえにこれをうくるにちゅんをもってす。
ちゅんとはみつるなり。ちゅんとはもののはじめてしょうずるなり。ものしょうずればかならずもうなり。ゆえにこれをうくるにもうをもってす。
もうとはおろかなり。もののおさなきなり。ものおさなければやしなわざるべからず。ゆえにこれをうけるにじゅをもってす。
じゅとはいんしょくのみちなり。いんしょくすればかならずうったえあり。ゆえにこれをうくるにしょうをもってす。
うったえにはかならずしゅうのおこるある。ゆえにこれをうくるにしをもってす。
しとはしゅうなり。しゅうなればかならずしたしむところあり。ゆえにこれをうくるにひをもってす。
ひとはしたしむなり。したしめばかならずたくわうるところあり。ゆえにこれをうくるにしょうちくをもってす。
ものたくわえられてしかるのちにれいあり。ゆえにこれをうくるにりをもってす。
ふんでしかるのちにやすし。ゆえにこれをうくるにたいをもってす。
たいとはつうずるなり。ものはもってついにつうずべからず。ゆえにこれをうくるにひをもってす。
ものはもってひにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにどうじんをもってす。
ひととおなじくするものはものかならずこれにきす。ゆえにこれをうくるにたいゆうをもってす。
だいをゆうするものはもってみつるべからず。ゆえにこれをうくるにけんをもってす。
だいをゆうしてよくけんなればかならずよろこぶ。ゆえにこれをうくるによをもってす。
よろこべばかならずしたがうことあり。ゆえにこれをうくるにずいをもってす。
よろこびをもってひとにしたがうものはかならずことあり。ゆえにこれをうくるにこをもってす。
ことはことなり。ことありてのちにだいなるべし。ゆえにこれをうくるにりんをもってす。
りんとはだいなり。ものだいにしてしかるのちにみるべし。ゆえにこれをうくるにかんをもってす。
みるべくしてのちにあうところあり。ゆえにこれをうくるにぜいこうをもってす。
こうとはごうなり。ものもっていやしくもあうのみなるべからず。ゆえにこれをうくるにひをもってす。
ひとはかざるなり。かざりをいたしてしかるのちにとおればつく。ゆえにこれをうくるにはくをもってす。
はくとははぐなり。ものもってつくるにおわるべからず。はくはうえにきわまればしたにかえる。ゆえにこれをうくるにふくをもってす。
かえればみだりならず。ゆえにこれをうくるにむぼうをもってす。
むぼうありてしかるのちにたくわうべし。ゆえにこれをうくるにだいちくをもってす。
ものたくわえられてしかるのちにやしなうべし。ゆえにこれをうくるにいをもってす。
いとはやしなうなり。やしなわざればうごくべからず。ゆえにこれをうくるにたいかをもってす。
ものもってすぐるにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにかんをもってす。
かんとはおちいるなり。おちいればかならずつくところあり。ゆえにこれをうくるにりをもってす。
りとはつくなり。)




「序卦伝(下)」

「有天地然後有萬物。
有萬物然後有男女。
有男女然後有夫婦。
有夫婦然後有父子。
有父子然後有君臣。
有君臣然後有上下。
有上下然後禮儀有所錯。
夫婦之道不可以不久也。故受之以恆。
恆者久也。物不可以久居其所。故受之以遯。
遯者退也。物不可以終遯。故受之以大壯。
物不可以終壯。故受之以晉。
晉者進也。進必有所傷。故受之以明夷。
夷者傷也。傷於外者必反其家。故受之以家人。
家道窮必乖。故受之以睽。
睽者乖也。乖必有難。故受之以蹇。
蹇者難也。物不可以終難。故受之以解。
解者緩也。緩必有所失。故受之以損。
損而不已必益。故受之以益。
益而不已必決。故受之以夬。
夬者決也。決必有所遇。故受之以姤。
姤者遇也。物相遇而後聚。故受之以萃。
萃者聚也。聚而上者謂之升。故受之以升。
升而不已必困。故受之以困。
困乎上者必反下。故受之以井。
井道不可不革。故受之以革。
革物者莫若鼎。故受之以鼎。
主器者莫若長子。故受之以震。
震者動也。物不可以終動。止之。故受之以艮。
艮者止也。物不可以終止。故受之以漸。
漸者進也。進必有所歸。故受之以歸妹。
得其所歸者必大。故受之以豐。
豐者大也。窮大者必失其居。故受之以旅。
旅而无所容。故受之以巽。
巽者入也。入而後説之。故受之以兌。
兌者説也。説而後散之。故受之以渙。
渙者離也。物不可以終離。故受之以節。
節而信之。故受之以中孚。
有其信者必行之。故受之以小過。
有過物者必濟。故受之以既濟。
物不可窮也。故受之以未濟終焉。」
「天地(てんち)ありて然(しか)る後(のち)に万物(ばんぶつ)あり。万物(ばんぶつ)ありて然(しか)る後(のち)に男女(だんじょ)あり。男女(だんじょ)ありて然(しか)る後(のち)に夫婦(ふうふ)あり。夫婦(ふうふ)ありて然(しか)る後(のち)に父子(ふし)あり。父子(ふし)ありて然(しか)る後(のち)に君臣(くんしん)あり。君臣(くんしん)ありて然(しか)る後(のち)に上下(じょうげ)あり。上下(じょうげ)ありて然(しか)る後(のち)に礼儀(れいぎ)錯(お)くところあり。
夫婦(ふうふ)の道(みち)はもって久(ひさ)しからざるべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに恒(こう)をもってす。
恒(こう)とは久(きゅう)なり。物事(ものごと)もって久(ひさ)しくその所(ところ)に居(お)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに遯(とん)をもってす。
遯(とん)とは退(しりぞ)くなり。物(もの)もって遯(とん)に終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大壮(たいそう)をもってす。
物(もの)もって壮(そう)なるに終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに晋(しん)をもってす。
晋(しん)とは進(しん)なり。進(すす)めば必(かなら)ず傷(やぶ)るるところあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに明夷(めいい)をもってす。
夷(い)とは傷(やぶ)るるなり。外(そと)に傷(やぶ)るる者(もの)は必(かなら)ずその家(いえ)に反(かえ)る。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに家人(かじん)をもってす。
家道(かどう)窮(きわ)まれば必(かなら)ず乖(そむ)く。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに睽(けい)をもってす。
睽(けい)とは乖(そむ)くなり。乖(そむ)けば必(かなら)ず難(なん)あり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに蹇(けん)をもってす。
蹇(けん)とは難(なん)なり。物(もの)もって難(なん)に終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに解(かい)をもってす。
解(かい)とは緩(かん)なり。緩(ゆる)くすれば必(かなら)ず失(うしな)うところあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに損(そん)をもってす。
損(そん)して已(や)まざれば必(かなら)ず益(ま)す。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに益(えき)をもってす。
益(えき)して已(や)まざれば必(かなら)ず決(けっ)す。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに夬(かい)をもってす。
夬(かい)とは決(けつ)なり。決(けっ)すれば必(かなら)ず遇(あ)う所(ところ)あり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに姤(こう)をもってす。
姤(こう)とは遇(ぐう)なり。物(もの)相(あ)い遇(あ)いて後(のち)に聚(あつま)る。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに萃(すい)をもってす。
萃(すい)とは聚(じゅ)なり。聚(あつま)りて上(のぼ)るものはこれを升(のぼ)ると謂(い)う。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに升(しょう)をもってす。
升(のぼ)りて已(や)まざれば必(かなら)ず困(くる)しむ。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに困(こん)をもってす。
上(うえ)に困(くる)しむ者(もの)は必(かなら)ず下(しも)に反(かえ)る。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに井(せい)をもってす。
井道(いどう)は革(あらた)めざるべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに革(かく)をもってす。
物(もの)を革(あらた)むるものは鼎(かなえ)にしくはなし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに鼎(てい)をもってす。
器(うつわ)を主(つかさ)どる者(もの)は長子(ちょうし)にしくはなし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに震(しん)をもってす。
震(しん)とは動(うご)くなり。物(もの)もって動(うご)くに終(おわ)るべからず。これを止(とど)む。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに艮(ごん)をもってす。
艮(ごん)とは止(と)まるなり。物(もの)もって止(と)まるに終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに漸(ぜん)をもってす。
漸(ぜん)とは進(すす)むなり。進(すす)めば必(かなら)ず帰(き)する所(ところ)あり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに帰妹(きまい)をもってす。
その帰(き)する所(ところ)を得(う)る者(もの)は必(かなら)ず大(だい)なり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに豊(ほう)をもってす。
豊(ほう)とは大(だい)なり。大(だい)を窮(きわ)むる者(もの)は必(かなら)ずその居(きょ)を失(うしな)う。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに旅(りょ)をもってす。
旅(たび)して容(い)るる所(ところ)なし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに巽(そん)をもってす。
巽(そん)とは入(はい)るなり。入(はい)りて後(のち)にこれを説(よろこ)ぶ。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに兌(だ)をもってす。
兌(だ)とは説(よろこ)ぶなり。説(よろこ)びて後(のち)にこれを散(ち)らす。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに渙(かん)をもってす。
渙(かん)とは離(はな)るるなり。物(もの)もって離(はな)るるに終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに節(せつ)をもってす。
節(せっ)してこれを信(しん)ず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに中孚(ちゅうふ)をもってす。
その信(まこと)ある者(もの)は必(かなら)ずこれを行(おこ)なう。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに小過(しょうか)をもってす。
物(もの)に過(す)ぐることある者(もの)は必(かなら)ず済(な)す。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに既済(きせい)をもってす。
物(もの)は窮(きわ)まるべからざるなり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに未済(びせい)をもってしてここに終(おわ)る。」

(てんちありてしかるのちにばんぶつあり。ばんぶつありてしかるのちにだんじょあり。だんじょありてしかるのちにふうふあり。ふうふありてしかるのちにふしあり。ふしありてしかるのちにくんしんあり。くんしんありてしかるのちにじょうげあり。じょうげありてしかるのちにれいぎおくところあり。
ふうふのみちはもってひさしからざるべからず。ゆえにこれをうくるにこうをもってす。
こうとはきゅうなり。ものごともってひさしくそのところにおるべからず。ゆえにこれをうくるにとんをもってす。
とんとはしりぞくなり。ものもってとんにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにたいそうをもってす。
ものもってそうなるにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにしんをもってす。
しんとはしんなり。すすめばかならずやぶるるところあり。ゆえにこれをうくるにめいいをもってす。
いとはやぶるるなり。そとにやぶるるものはかならずそのいえにかえる。ゆえにこれをうくるにかじんをもってす。
かどうきわまればかならずそむく。ゆえにこれをうくるにけいをもってす。
けいとはそむくなり。そむけばかならずなんあり。ゆえにこれをうくるにけんをもってす。
けんとはなんなり。ものもってなんにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにかいをもってす。
かいとはかんなり。ゆるくすればかならずうしなうところあり。ゆえにこれをうくるにそんをもってす。
そんしてやまざればかならずます。ゆえにこれをうくるにえきをもってす。
えきしてやまざればかならずけっす。ゆえにこれをうくるにかいをもってす。
かいとはけつなり。けっすればかならずあうところあり。ゆえにこれをうくるにこうをもってす。
こうとはぐうなり。ものあいあいてのちにあつまる。ゆえにこれをうくるにすいをもってす。
すいとはじゅなり。あつまりてのぼるものはこれをのぼるという。ゆえにこれをうくるにしょうをもってす。
のぼりてやまざればかならずくるしむ。ゆえにこれをうくるにこんをもってす。
うえにくるしむものはかならずしもにかえる。ゆえにこれをうくるにせいをもってす。
いどうはあらためざるべからず。ゆえにこれをうくるにかくをもってす。
ものをあらたむるものはかなえにしくはなし。ゆえにこれをうくるにていをもってす。
うつわをつかさどるものはちょうしにしくはなし。ゆえにこれをうくるにしんをもってす。
しんとはうごくなり。ものもってうごくにおわるべからず。これをとどむ。ゆえにこれをうくるにごんをもってす。
ごんとはとまるなり。ものもってとまるにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにぜんをもってす。
ぜんとはすすむなり。すすめばかならずきするところあり。ゆえにこれをうくるにきまいをもってす。
そのきするところをうるものはかならずだいなり。ゆえにこれをうくるにほうをもってす。
ほうとはだいなり。だいをきわむるものはかならずそのきょをうしなう。ゆえにこれをうくるにりょをもってす。
たびしているるところなし。ゆえにこれをうくるにそんをもってす。
そんとははいるなり。はいりてのちにこれをよろこぶ。ゆえにこれをうくるにだをもってす。
だとはよろこぶなり。よろこびてのちにこれをちらす。ゆえにこれをうくるにかんをもってす。
かんとははなるるなり。ものもってはなるるにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにせつをもってす。
せっしてこれをしんず。ゆえにこれをうくるにちゅうふをもってす。
そのまことあるものはかならずこれをおこなう。ゆえにこれをうくるにしょうかをもってす。
ものにすぐることあるものはかならずなす。ゆえにこれをうくるにきせいをもってす。
ものはきわまるべからざるなり。ゆえにこれをうくるにびせいをもってしてここにおわる。)