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魂のこもった言葉

いつもは不登校の子どもの事を記事にしていますが、どうしても心の整理がつかない出来事があって今日はそれを書こうと思います。


今まで自覚していなかったのですが(少しはそうかなって思っていたけど、気にしないようにしていたかも…)私は時々、言葉で相手を傷つけてしまうことがあります。その言葉を放った時は大体感情が高ぶっていて、感情のままに話していたり、自分としては当たり前って思うから普通に伝えていることもあるのですが…親や兄弟は私の性格からそんなもんやろと思ってスルーしていたみたいです(これは、私が感じていることですが…)。

今回は、発信した内容が相手にとっては私の承認欲求が高くて受け取りがつらく感じたようです。それは、直接言われたわけではないのですが、その方の発信をみていて私がそう感じました。

見慣れた仲間の中では、当たり前だったことが人と場所が変わることで当たり前ではなくなることや、今までのやり方ではいけないことってありますよね。今回は、そんな感じかなと思っています。なにしろ、お互いにお互いのことを理解できていない関係性では起こりやすいトラブルかもしれません。

今までの私であったら、相手の受け取り方によって伝わり方が異なってしまったと思うだけでしたが、なぜかとても落ち込みました。直接、相手の反応を今までは見て見ぬ振りをしてきたのでしょうか。理由は今でもはっきりはしません。

今回の経験を通して、私がどのようにして気分の落ち込みから切り替えが出来たのか。その経験から得たことを記事に残しておこうと思います。

この記事を書こうと思い立った時は、悲しみのあまり感情むき出しに書いてしまいそうになりましたが、1日たって、新たな仲間との出会いもあり、今は落ち着いて記事を書いています。

相手が傷ついて、私に攻撃してきているという感覚に陥った時は、私の中では「自分は違う」「そんなことしていない」ばかりが頭の中を巡っていました(これは、きっと自分を守ろう防衛反応が働いたんだと思います)。

この時点では、完全に相手は自分の敵という認識になっていますよね。少し時間をかけて、相手が伝えたいことは何なのか。そして、言葉が持つ力、影響力を考え始めました。それでも、何も浮かびません。

ただ、ただ、自分が感じたことと思ったことを文章にしただけなのにという感覚でした。

とにかく、そこからは自分を責め始め、落ち込む、落ち込む。そして、本当に気分が落ち込んで来てしまいました。(こんなに自分を傷つけてしまうことは危険ですけどね)

私の性格上、物事を深く考えてしまうのです。それが、良い面もあるのですが、今回は悪い方向に動いてしまいました。

6ヶ月前にかいて途中だった記事。
私にとっては大切なので、残しておきます。

同じようなことが起こりそうになった時に、振り返れるように。

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