ファイナルファンタジー零和、世界崩壊後に仲間を求めて

26年前の4月2日に、FF6/ファイナルファンタジーⅥは発売された。
  
小学生の時、兵庫県西宮の親友宅でFF5を知ったときの衝撃、そしてFF6を自分のうちで始めた際のトキメキ、今でもハッキリと覚えている。
  
3Dグラフィックに慣れきった子供達でも、3-4年前にやらせてみてFF6に相当ハマっていたのは最初少し意外であったし、物語の本質は映像による面白さを凌駕することを学んだ。
 
私は小学6年の冬に、阪神大震災を被災した。防災リュックにヘルメットで茨城県守谷の昔の家に戻り、暖房機能のない家でクリープを飲みつづけ毛布にくるまりながら、数日後に控えた中学受験勉強の最中やっていたのはドラクエ5だった。
 
挑戦、冒険、挑戦、冒険、挑戦、冒険。。。多くのものを失い犠牲にしてここまで進んできたものの、未だにFF的でドラクエ的な人生を送れていることには、感謝している。

初代アニメのドラゴンボールのエンディングソングは、ロマンティックあげるよ、本当の勇気見せてくれたら、である。非常に大変な日々を送ってはいるが、ありがたくロマンティックはいただいている次第だ。
 
現実社会も、人間の容姿をしたモンスターがいてと言うべきか、モンスターな人間がいてと言うべきか、ストーリーとしてファイナルファンタジー的な世界であったには非常に驚いた。社会人になり見え始め、政治の世界に足を踏み入れたことでご縁が広がり、さらに観え始めた。
 
今、勉強をしてこなかったことで、正直結構困っている。ただ、勉強を可能な限り効率よくサボタージュし、きちんと、ちゃんと、徹底的に、ゲームをしていた幼少期の自分を抱きしめてやりたい。勉強は後からできる。今の俺が死に物狂いでやって何とかする。しかし、少年の心のとき、FFに触れたか否かは、今からでは決して間に合わない。成績低下を全く顧みずゲームを買ってくれた親にも深く感謝する。
  
現実をFFの世界に、ドラクエの世界に、できると観て生きてきた。

30歳になり、ようやく気づいた。この世界は、そもそも仮想現実であると。

私が言うと様子がおかしくなるが、近年ではMatrixなどの映画だけでなく、イーロン・マスクなどの著名人も発言し表の世界に表現があふれ出てきているのは、世の中の変わり目のタイミングと観る。いよいよ時が来たかと。
 
現実であると普段勝手に自然に認識して信じているこの世界の深い所では、凄まじい宇宙の法則でプログラムが計算されて現実世界に現象として現れているのではないか。

最初は、23歳の時に感じて立てた仮説からだった。

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