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価値を決めるモノサシの話。

ものの価値は値段では計れない。本当の価値を決めるのは、人の心の中にある、目に見えないモノサシだから。

例えば、とあるチケットの値段が、3,000円だとする。それは高いのか、安いのか。

おそらく、他では同じ2時間で2,000円なのに、1,000円高いと言う人がいる。比較したら、そう。でも、高い分、それなりの満足を得られるのなら、その値段で不満を言う人なんていないはずである。

逆に、100円均一の商品を手に取り、どうせ安いなりの価値しかないんでしょうって言う人がいる。でも、使い捨て感覚で手軽に入手できて、リピートするのに最適っていうことなら、十分に価値を見出しているとも言える。

もし、ブランドの高いカバンや時計の、スーパーコピーの偽物を安く買って、単に、同じ見た目のものを安く買ったんだから、買い物上手でしょって言う人がいたら、その人は、ものの本質を見抜いていないかもしれない。そもそもそういう贋作は違法なものがほとんど。

僕は、高くても大事に使い、ありがたみを噛みしめながら使う方が、よほどお金の使い方として正しいとさえ思う。

そして、心の中のモノサシは、対象物によってその目盛りが変わるものでもある。

チケットが他より1,000円高いのは、確かに大きな差になっているかもしれないけれど、車や家を買うことを検討している時に、1,000円高いことを気にとめる人がどれほどいるだろうか。

だから、金額差が価値を決めているのではなく、それを手に入れることで得られる、目に見えない価値に便宜上の値段というラベルが付いているに過ぎない。その価値に納得したのなら、いくらでもお金を投じるものなのだ。もちろん、モノサシに照らして、価値あるものに対して、人は正直に行動する。

ヲタ活をしていると、こういう本質を突くような場面に出くわすことも多い。

特典会中に、チェキ機が壊れてしまい、シュンとしている現場があった。今や貴重なチェキ機は、そう簡単に、もう一台、新しいのを買っちゃおうと言えるわけでもない。でも、その一台から生み出されるたくさんの笑顔は、もはやプライスレスなのだ。

確かに、金額の大小は、無意味ではないが、それ以上に、投下したお金が笑顔になって返ってくることこそが一番の価値なのだと、全現場のみなさんは再認識すべきだ。

最後、なんだか上から目線な表現にはなってしまったが、演者のみなさん、周りの中の人、楽しい時間をありがとう、という気持ち。こんな表現で、伝わったかな。

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