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「光る君へ」第一話 道長のおうち、東三条殿を語りたい!

開始7分50秒ごろ:平安京俯瞰図

ドラマで使われている映像は、京都アスニー(京都市生涯学習総合センター)にある平安京の1/1000スケールの模型を撮ったもの。

私も実際に行ってみたのですが、膨大な模型で大変感動すると同時に、大きすぎて、一番見たい大内裏付近や左京の上の方が全く見えない!!笑
東三条殿めっちゃみたいけど見えない!笑

京都アスニー 平安京復元図

施設側も、まぁ見えないよなと思ったのか、アップで撮った写真を展示してくれていました。

壁に展示した写真を下から撮ったもの。

こんなに細かく作ってあるなら、もう間近で一つ一つ気が済むまで眺めたいっ!くううっ。

開始7分55秒ごろ:京の小路を通る人や牛車

京の都は、東西約4.5km✖️南北約5.2kmの広さ。
真ん中を南北に走る朱雀大路は幅約83m(めちゃ広っ)、
大内裏の南を東西に走る二条大路が約50m(広っ)、
それ以外の大路の幅は約24m小路の幅は約12m。

風俗博物館(https://www.iz2.or.jp/heiankyo/)

前回も紹介しましたが、この大路&小路で囲まれた1マス=一町=120m四方。
一町の中に15m✖️30mの一戸主(いちへぬし)と呼ばれる単位の家が最大32ありました。
15m✖️30mというのは一町を単純に32分割した結果なので、実際はその間に小道があったはずであり、面積はもっと小さくなったと思われます。

まひろの家と平安京についてはこちらの記事でも解説しています↓

ドラマで一瞬写った通りだけれども、どこかの小路っぽいですね。
(セットなので、12mあるかはわかりませんが)

ちなみに、当時の大路と小路は「築地」、「犬行」、「側溝」、「路面」で構成されます。セットでもきちんと犬行き(塀脇の細い犬しか通れなさそうな道)が作られていることがわかります。

そして通りを行くのは、壺装束の女性、被衣(かつぎ)を被った女性、牛車とそのお供の人たち、お坊さんなどなど。
当時の平安京の道もこんな風だったのかなと思わせてくれる一場面です。

開始7分55秒ごろ:東三条殿と兼家一族登場

出ました東三条殿。
寝殿造の復元図や模型と言えば必ず出てくる藤原道長の実家、東三条殿。
場所はここです↓

風俗博物館(https://www.iz2.or.jp/heiankyo/)に追記

二町分の広さがあります。
よく東三条殿の復元図で見られるメインの寝殿造の建物の他に、南に南院という別の建物があったようです。

映像の左手前に見えるのは釣殿。本当に釣りをして楽しんだと言うよりは、夏に水の上で涼をとったり、管弦の遊びを催したりするのに使ったようです。

と、ここで、藤原兼家登場!
うわぁ!良い着物きてはりますなぁ!
光沢のある(絹を叩いて出した艶かしら)青い菊葉割菊の直衣(のうし)。

そして一族勢揃いした場面になるのだけど…
(すみませんここから色々ツッコミが入ります。2ヶ月前に平安時代オタクの皆んなが一通り突っ込んだことを、まま2ヶ月遅れで突っ込みます。ごめんなさい。)

装束の模様を一々並べるのは面倒なのでやめるけれども…
道隆の奥さん(高階貴子)、御簾も几帳もなく堂々とそこ座るんだ!?
家族ならまだしも(それでも平安時代、裳着を終えて大人になった女性は、異性の家族の前ではそんな堂々と顔を見せないのだけど)、夫の父親って他人だからね!?

そして、道隆と道兼。何故狩衣なのじゃ。
大納言の御息子であるぞ。直衣じゃないんかーい。
特に道隆は24歳、結婚して子供までいるんだぞ。
そこは直衣やろ!

直衣と狩衣簡易イメージ図

※直衣(のうし)は肩のところがくっついている装束で、上位貴族の日常着。ここでは兼家パパが着ている。
狩衣(かりぎぬ)は肩の所から前がくっついていない装束で、名の通り狩の時に着ていたようなスポーツウェア(肩のところから腕を出せるのだ。弓なども射安い)。上位貴族が馬に乗ったりするような時に着るもので、下位貴族の日常着。
後に武士の時代になると、これが武士の正装になるわけです。

女性陣は皆、中に小袖を着用していますね。

吉田羊演じる藤原詮子

↑は2話以降の詮子の画像ですが、中に見える白いのが小袖です(第1話の家族の顔合わせでは、色付きの小袖を着ていました)。
一説では、平安中期の貴族はこの小袖を着ず、素肌の上に長袴を履き、単を羽織ったと言われています。
TVドラマですので、史実はどうあれ小袖を着ないのは流石に厳しいでしょう…。

「光る君へ」のガイドブックによると、藤原兼家一家のテーマカラーは青(=緑)平安時代は青と緑の区別がありません。
兼家の直衣が青。
道隆の単が緑。
貴子の袿が緑。
道兼の狩衣が緑。
詮子の小袖が緑。

同じくガイドブックによると、「色」については今回このドラマでは、季節感を無視することにしたそうです。
平安時代、季節に合った色合わせをするのは、女性の最も大事な教養&センスであったので、特に女性は大変装束の色目を気にしていた(楽しんでいた)わけですが、ドラマ化にあたっては諸々の事情もあったのでしょう、現代の感覚で美しいと思う色で衣装を構成したようです。
ちょっと残念だけど仕方ない。

部屋を見渡すと、青々とした御簾がかかっていて、その御簾の帽額(もこう)も緑、鉤丸緒(こまるお)も緑です。

御簾についてはテーマカラーというより、新品だから青々しています。
『枕草子』のなまめかしきものの段に「あをやかなる御簾の下より、几帳の朽木形いとつややかにて」というのがあります。
今でも神社に行くと御簾というのは見られるのだけど、どこも割と古びていて茶色っぽくなっていて、今回このドラマを見て初めて、「なるほど、こんな感じに青々としているのね!」と分かって感動しました。
清少納言が良いというのもわかる。

帽額は御簾の上部についている模様のついたテープみたいなもの。
御簾はくるくる巻き上げるのだけど、巻き上げたものは鉤(こ)っていうフックにかけるのです。で、そのフックが丸出しだとちょっとどうなのよってことで、フサフサの飾りを付けるのだけど、それが鉤丸緒(こまるお)。

この鉤丸緒も今の神社に行けば見られるのだけど、もっぱら赤と黒と白のものばかり。
平安時代中期にこんな緑の綺麗な鉤丸緒があったかはわからないのだけど、毎話ほんと素敵だなと思いながら見てます。
(そういえば、まひろの家の御簾は鉤がなくて、紐で留めるようになってたなぁ。)

庭の景色からして、ここは寝殿。
廂、簀子が見えて、ここは母屋であることがわかります。

畳は二枚重ねているのか?と思ったけれど、座った兼家の後ろから部屋を映すショットで、一枚の分厚い畳だということがわかりました。
縁の柄は高麗紋(こうらいもん)。この紋の畳は身分の低い家では使えません。
そして兼家だけ、褥(茵とも書く。しとね)という座布団に座っています。

『旧儀装飾十六式図譜』(1903年)より
真ん中に見えるのが褥。

皆の前に火鉢があるので、季節は冬ということになります。
ただ、あんな御簾も格子も開けっ放していたら、火鉢があって意味ないんじゃないかなぁ…。

三郎君の登場はまた今度。

《参考文献》
倉田実『ビジュアルワイド 平安大辞典 図解でわかる「源氏物語」の世界』承香院『あたらしい平安文化の教科書』
八条忠基『日本の装束 解剖図鑑』
倉本一宏『平安京の下級官人』
竹内正彦監修『図解でスッと頭に入る紫式部と源氏物語』
『NHK 2024年 大河ドラマ 光る君へ THE BOOK』
NHK大河ドラマ「光る君へ」公式HP
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/

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