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25. 一人の人に導いてもらうということ

つぐさんから学ばせてもらったことをここで記事にしはじめて、早いもので、25記事目になります。

ひとまず50記事を目標に書き始めたので、ちょうど折り返し地点にやってきました。


こうやって記事を書いていて、なんとたくさんの大切なエッセンスを学ばせてもらってきたのだろうと、改めて感じています。

カメラマンでもない、言ってみれば専門外のわたしが、ここまで包括的に導いてもらえているのは、それだけ彼の持っている視座と実践知が普遍的なところに根ざしているからなのだと思います。


今日は、タイトルの通り、つぐさんという人に導いてもらうことや、それに関連しての様々なことについて、わたしが感じてきたことを、書いてみようと思います。



一人の人に導いてもらうということ。

人生でそのような機会に恵まれるということ自体がこの上ない幸運だと、わたしは思っています。


まず、教えを受けたいと心から思える人に出逢えることが、奇跡。

そして、お互いのタイミングが合い、相手からも教えようとこちらを向いてもらえることは、さらに稀なことだと思うのです。


禅に”啐啄同時”という言葉があります。

啐啄同時(そったくどうじ)
またとない好機のこと。また、学ぼうとする者と教え導く者の息が合って、相通じること。鳥の雛ひなが卵から出ようと鳴く声と母鳥が外から殻をつつくのが同時であるという意から。


コンサルを受けると決めた時のわたしは、まさにこんな感覚の中にいました。



最初の撮影で”変わりたい”と強く思ったわたしに、つぐさんが言ってくれたことがあります。


変われるよ。

さちえさんの次のステージを
一緒に作っていこうよ。


そしてわたしは、そんな風に言ってくれた人に、自分という人をかけてみようと思いました。


その時は、これから何が始まっていくのかも、自分がどうなっていくのかも、ほとんどわかりませんでした。

でも、飛び込んだ先に何があったとしても、自分の決断と選択に後悔はしないだろうと思いました。


そのくらい、真正面から全身で向き合い、わたしという人を引き受けようとしてくれた人に出逢えたことが、嬉しかったのです。



一対一での学びは、グループでの学びとは質の異なるものだと感じます。

そこに優劣は無く、それぞれによさがあるのだろうな、と。


グループで学ぶ事の良さは、なんといっても仲間ができることでしょう。

共に学びながら切磋琢磨でき、学びを終えた後も助け合える仲間は、何にも代えがたい貴重なつながりとなるのだと思います。

また、集団のエネルギーが、その人の学びを後押しし、前に進ませてくれるというよさもあります。



その一方で、一対一の良さは、完全にオーダーメイドであることや、導き手のエネルギーを一身に受けることができるところにあるでしょう。

その分、お互いに逃げ隠れできませんが、そのような関係性の中でだからこそ養われていくものがあって、それが一対一で教えを受けることの醍醐味でもあると思います。


いろんなものをバラエティ豊かに学ぶというやり方も楽しいですが、こんな風にひとつの壮大なものを、じっくり時間をかけて学び取っていく、というやり方もまた、味わい深い。

つぐさんという人は、そうするには十分過ぎて有り余るくらいに、その存在そのものがひとつの学問というか、深淵なる哲学体系のような人のように、わたしには感じられます。

そして、そんな大海のような懐に入らせてもらい、思う存分没頭させてもらってきました。


何に没頭させてもらってきたのか。

それはもちろん、学びや自分の変化に、ということもあります。

でも結局、それらを通してわたしは、つぐさんという人を理解する、ということに没頭していたように思います。

この、他の誰にも感じたことのないものを発しながらそびえ立つ圧倒的な個性を、理解しようとせずにはいられなかったのです。



幸運だったのは、つぐさんがそのわたしの希望を全面的に受け入れ、むしろ歓迎してくれたことでした。

自分のことを知ろうとあれこれ試行錯誤をするわたしのことを”研究者肌”と面白がって、どこまでもゆったりとオープンに構え、わたしの好奇心のままに、懐の内を探索させてくれました。


そして、彼をひとつ、またひとつと理解していく度に、

へぇ~!ここはこんな風になってたの?
あ~そういうことだったのね~!

と感嘆するわたしを、いつも楽しそうに眺めてくれていました。


一方でそのプロセスは、そんな、とてつもなく幅広く、深みのある一人の人格を、逆にわたし自身が自分の内に受け入れ、内包させていくプロセスでもありました。

そう、大海のような懐の中を自由に泳ぎ回っているうちに、その泳ぎ回った範囲が、いつしか自分の懐の広さとなっていったことに気づいたのです。



そして、気がつくと、わたしの人生のステージは、大きく変化していました。

その変化を、わたしという花がひらいた、と、表現したいと思います。

そのことは、わたしがわたしとして生まれてきてよかった、という喜びを感じさせてくれます。


そして、これからまだまだ、自分という花がひらき続けていくわくわくとした予感とともに、こんな風に変化のプロセスを伴走し続けてくれている人がいることは、幸せなことです。



今回の記事は、区切りとして、少し振り返って俯瞰したような内容を書いてみました。

また次回からは、学ばせてもらったことをひとつひとつ、記事にしていきたいと思います。


いつも読んでくださり、ありがとうございます。

ご感想もいろいろといただくようになり、とても嬉しく受け取っています^^


つづく。


この記事は連載形式になっています。
最初からお読みいただくと、これからの記事も、より楽しんでいただけると思います♪




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