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12. 個性的になるエッセンス

つぐさんに導いてもらいはじめて、しばらく経った頃。

継続的にやりとりをする中で、それまではあまり感じることのなかった、彼のある側面を感じはじめました。

それは、その時々のテンションの高さや豊かな感情の動きといった、表面的な抑揚の奥に流れる、安定したリズムです。


当時のわたしにとって、つぐさんは特異な存在で、一体彼のことをどうやって捉えればいいのか、手探りをしている状態でした。 

なんていうのか、いろんな場面において、それまで出逢ってきた人には感じたことのない、独特の印象が残るのです。


メッセージでのやりとりひとつにしても、他の人とやりとりする感覚とは、違う。

ひとつひとつの文が端的で短く、返信がびっくりするほど速くて。

そして、♪   がいっぱい。

他愛ないやりとりがトントンと進んでいくかと思えば、いきなり、思ってもみないところから、誰にもされたことのないような、核心をつく質問をされてドキっとしたり。

いつの間にか、そのやりとりに、すっかり惹き込まれている自分に気づくのです。


こんな風にして、わたしはしばらくは、彼の軽快な、そして抑揚の大きい側面に心を捉えられていました。


そうかと思えば、思いつきで動いたり、その時の気分に結構影響を受けたりする一面も。

例えば、ある日、テンションが高くて嬉しそうだな、と思って見ていたら、次の日にはシュンとしょげていたり。

思いつきでやり始めたことを結構すぐにやめて、
あれ?やめちゃったの?
みたいなこともあったり。笑

そして、そんな行き当たりばったりで気分屋なところも、特に隠そうとしないし。



ですが。

しばらく付き合っていくうちに、次第に、彼のそれだけではない面が、感じられはじめました。

それは、表面的なふり幅の大きさや抑揚の奥で、いつも冷静に自分という人を見て、ゆるぎない流れを築いているという、もうひとつの側面です。

例えるなら、風や雨で水面が波立っていたとしても、いつも静かで穏やかな湖の底のような。



その部分に焦点を合わせて、彼という人を見た時、ここが、彼のいつでも変わらない本質的な部分なのだ、と、思うようになりました。


それからわたしは、彼の言動がにわかには理解し難いと感じた時には、その部分に立ち戻ってみるようになりました。

それは、より原理的に彼という人を理解することに、役に立ってくれたと思います。



それにしても。

表面上の抑揚にみる、ふり幅の大きさと
一方でその奥に流れる、ゆるぎない安定感と。

こんな風に、一見相反する、極と極に振り切れたような性質を共存させながらいられる人って、とても珍しい。

つぐさんを見ていると、普通は持ちがちな、"自分はこんな人"というセルフイメージから自由な人だなぁと感じることがよくあります。

また、周囲の人に対しても、”自分はこんな人として見られたい”というような、限定されたイメージに自分を縛り付けることはせず、

”その人が見たいように俺を見たらいい”と、相手に委ねてしまっている。

彼がこだわっているのは、どんな風に見られたいという表面的なことよりも、そこから抽象度を上げたところにある彼の在り方のように思えます。

それは何かというと、自分がどうしたいかにいつも正直であること。

だから、自分に対しても、他人に対しても、取り繕いというものがあまりなくて、そのまま。

それは彼の力みの無さや、相手に迎合せず自分のスタンスを貫くところにも、よくあらわれていると思います。



ところで、人は本来は多面的な存在で、一見相反する性質をそもそも誰もが内包しているはずなのです。


ですが、自分のあらゆる側面をフラットに受け入れ、表に表すことができている人は、仮にいたとしてもごく限られるのでしょう。


なぜなら、人は普通、無自覚的に、自分自身を定義づけ、そのように生きていることが、とても多いから。

いい人であるべき。
優しくあるべき。
有能であるべき。
素直であるべき。
誠実であるべき。
役に立つべき。

そしてきっと、自分が思っている以上に、自分がそういう人であるようにふるまっています。


例えば、自分が素直であるべきと思っている人は、自分の中に素直ではないと感じる考えが浮かんだり、そのような行動をしたときに、そんな自分を否定しがちです。

そして、そこに自分自身に対するジャッジが働き、自分に対する受け入れ幅が狭まってしまいます。

つまり、表面的な一貫性を保とうとするあまり、自分が受け入れている側面のみを自分としてみなすという状態になってしまうのです。


でも、その状態では、その人が本来持っている個性は、出てきづらい。

また、個性は、その人が意図的に作り上げていくものでもない。



そう、個性とは作るものではなく、何かのイメージに当てはめるのでもなく、すでに自分の中にあるものを出していくことによって際立たせていくもの


そして、つぐさんは、わたしが個性を出していくことができるような伴走を、いつもしてくれました。

それは具体的に、どんなかかわりだったかというと、


わたしのどんな面も出していいと伝えてくれ
出した時にはいつでも受け止めてくれたり

自分自身の感覚を大切にし
心の傾きに従って動くように伝えてくれたり

撮影を通してわたしのいろんな面を
写し出して見せてくれたり。


そういった事を通してです。


そんな中でわたしは、自分がそれまで思っていたよりもはるかに多面的な存在なのだということに、気づきました。



そして自分の感覚に従って進み、ブレーキをゆるめて自分のいろんな側面を受け入れて表現していくうち、自ずと方向性(ベクトル)が出来ていき、そこにわたしらしさが表れ出てくるようになっていったのです。

そうなっていくにつれ、自分という人を全体的によく活かせるようになってきた、という充実感も、伴っていきました。


つぐさんに導いてもらいはじめて3年が経った頃。

教えてもらってきたことがだんだんと腑に落ちて体現できるようになり、気がつけば個性的な生き方ができるようになってきたと感じたことがありました。


つぐさんからも、本当にかわったよね、とフィードバックをもらい、その時に言ってもらったこと。

俺が意識してきたのは
個性をつくるとかではなくて
個性を出してもよいってこと
それを伝え続けたんだよね


これを聴いて、本当にそんなかかわりをしてもらってきたなぁと、改めてそれまでの彼がしてくれた導きを、振り返ったのでした。


逆説的ですが、個性的になるには、個性的になろうとしないこと。

自分の多面性を受け入れ、ブレーキをゆるめた先に自ずと流れができていく中で、その人なりの個性は際立っていく。


これが、わたしがつぐさんから、実際の自分の変化を持って教わった、個性的になるためのエッセンスです。




つづく


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