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忙しくて見落としてしまう人との繋がり

人は忙しいと孤独になり人格を失う

今までなら、絶対にしなかったことをする瞬間というのは、どういう時だろうか。
今までなら、完全にスルーしていただろうと思うことを、「やってみようかな」と自然に思うことができる瞬間がある。
「自分を変えよう」とか、「これからはこうして生きていこう」などと考えた訳ではない。自然と、その瞬間は訪れるのだ。
私は今年、転職をしことによって、この答えがわかったのだ。

私は元来、めんどくさがりな性格だ。
何事に関しても、面倒だと感じることは、後回しにしてしまうか、もしくはやらない。
こうした性格は、物心ついた頃からだった。
夏休みの宿題は、最終日にやるタイプだったし、できるものなら、やらなくてもいい方法を模索していた。「忘れました」を一週間言い続けて、先生をキレさせたこともあった。そこまでしても、面倒だという気持ちの方が勝っていたのである。

こうした宿題のような、期限付きの提出物はもちろんだが、もっと面倒に感じていたのは人間関係だった。
これに関しては、現在進行形であるかもしれない。
「私は孤独を愛している」
こんな書き方をすると、気取っていると思われるため、リアルな場所では絶対に口にしないが、私は一人でいることに何の不自由も感じないタイプだ。

しかし、ふとした瞬間には、他人に「聞いてほしい」と思うこともある。
「誰かにこれだけは伝えたい」と思うことがある。
そのため、完全に人間関係を断ちたいとは思わない。人には、そばにいてほしいと思うのだが、それでいて放っておいてほしいと願っている。
だからこそ、人間関係が苦手なのではなく、めんどくさがり屋なのであると、自己分析している。

忙しい日々というのは、人から奪っていくものが多い。
多くの人にとって、時間というのは有限である。
お金と同じく、あったらあっただけいいという、無限の願望に支配されるものだ。
無駄に使えば、いくらあっても足らないし、どこまで行っても、無限にほしいと思う。
こうした忙しさというのは、時間を奪っていくことによって、自分自身から“心の余裕”という、ゆとりまで奪っていく。
これによって、めんどくさがり屋の私は、さらに何もしたくなくなってしまうのだ。

こうした、ゆとりを奪われると、人は性格まで変わってしまうのだ。
本来、人に手を差し伸べることに喜びを感じる性格であっても、ゆとりがないと、そうしたことすら、面倒くさく感じてしまうためだ。
私は、ずっと、ゆとりのない生活をしていた。

忙しく働いて、時間はないがお金はある程度稼げるという生活をしてきた。
ある程度は稼げていたため、おとなしく生活していれば、金銭的は生活は困らない。
しかし、時間がない。しかし、やりたいことはやりたいと思う。そのため睡眠時間をけずり、睡眠不足に陥り、健康を害すことが多かった。
こうした生活は、誰にも迷惑をかけずに生活することができる。
もっと言えば、誰にも関わらずに生きられるのだ。

毎月の稼ぎだけで、誰かにお金を借りなくてもある程度の生活はできる。ただ、時間的な余裕はないため、人間関係のほとんどが疎遠になる。
こうした生活を、ずっと続けてきた私は、両親と年に1度も会わない年が何年もあった。友人とも、年に1、2回会う程度だった。
こうした生活を続けていると、孤独になる。
物理的な距離というのは、精神的な距離も広げてしまうのだ。
「自分は世界に一人ぼっちだ」
と感じることが多くなった。すると、急に寂しさに襲われることがあり、結婚をしたいと思うようになった。いつもそばにいてくれる人がほしいと思うようになるのだ。

結婚をしたことで満たされた気持ちになった。
しかし、この心の寂しさを、完全に埋めることができなかった。この心の寂しさは、別の場所から来ているものだった。根本的な解決策は別にあったのだ。

先日、通勤電車に乗り込んだ時、発車ベルがなっていたこともあり、多くの人が急いで飛び乗っていた。
急いでいたのだろう、隣に立っていた女子高校生がワイヤレスイヤホンを電車とホームの間に落とした瞬間、ドアが閉まった。
あ、というリアクションをした彼女は、落ち込んだ様子でスマホで検索して、どうしたいいのかパニクっている様子だった。
今までなら、絶対にスルーしていた。こんなことも、社会勉強だろうと、放っておいた。
しかし『大丈夫です。今から駅長室に電話して、学校帰りに撮りに行けばOKです』とスマホのメモに書いて、彼女に見せた。過去に私も、落とした経験があったのだ。
何度も頭を下げる彼女の様子を見て、私は今までの自分とは明らかに違う自分を感じながら、私は乗り換えのために立ち去ったのだった。

時間的ゆとりの無さは、人から多くのものを奪う。
忙しいことによって、自分の人格を見失ってしまう。
私は転職をした。
今までの仕事で、忙しく時間のない日々が自分を蝕んているような錯覚に陥り、時間にゆとりのある生活を選んで、転職をした。
忙しい毎日から抜け出すことで、自分というものを取り戻すことができたのだと、確信した出来事だった

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