漫画家が死ぬということ

漫画家の芦原妃名子さんが亡くなった。自殺だという。

「セクシー田中さん」を巡る一連をトラブルは知っていた。ネットニュースで流し読みしていた程度だが、なんだかんだで丸く収まってほしいなあと呑気に思っていた。セクシー田中さんは、芦原さんの作品の中で最も好きな作品だからだ。

「セクシー田中さん」クスっとは笑える内容ながら「こういう気持ち、分かるなあ……」と、誰にも感情移入できる優れた作品だ。漫画家さん自身がとても観察眼が鋭く、また愛情深い方なのだろうと思った。

地味OLだけど夜はセクシーなベリーダンサーの田中さん。
そんな彼女に憧れて友人としてどんどん距離を縮めていくあざとい女子、朱里。
対照的な二人がどう女の人生を生きていくか、とても現代的かつ普遍的なテーマだと思った。
どの登場人物も可愛らしく、たまに愚かで、人生を一生懸命生きている。

だから、信じられなかった。

仕事帰りの電車の中で知った訃報に息が止まった。

信じられなかった。信じたくなかった。

なぜ、なぜ?

原作者である芦原さんが亡くなる必要があったのか?

どうして?

なんで?

セクシー田中さんはもう読めないってこと……?

気づくとマスクの中に涙が溜まっていた。

作家が死ぬというのは、一人の人生が終わるという単純なものではない。

未完の作品があれば、その登場人物たちの人生もいったん終わる。代わりに描ける人などいないからだ。少なくともわたしは芦原妃名子以外が描いたセクシー田中さんは認めない。それほど漫画を描くという才能は尊いのだ。物語を紡ぎ、登場人物の人生を進ませるのは膨大な体力と精神力を要するのだ。誰にでもできることではない。選ばれた才能と情熱の持ち主だけが、漫画という方法で作品を作ることができる。



もう、田中さんにも朱里にも会えない。

2人の恋と人生を知ることはできない。

芦原さんが亡くなったこと、もう田中さん達に会えないこと。
まるでいっぺんにたくさんの友人を亡くしたかのように悲しい。

お願い、戻って来て。

わたしには泣くことしかできない。

せめて芦原妃名子さんとその作品について記すことが供養になればと思い、この記事を記します。

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