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私が考える”勇気”の出し方

まずは自己紹介

はじめまして、しょうりちょーです。

プロフにも書いているように、都内在住の創価学会男子部員です。
一応、小さい時から入会はしていたのですが、信仰に対する熱はというと、あったりなかったり。本格的に活動し始めたのは、男子部になって少ししてからです。
大事なきっかけをくれたのは、男子部大学校(発心して間もない人たちのために1年間、信心の基礎を教えるグループ)のメンバーの面倒を見る、「勝利長」という立場に就いたことでした。
自分もさほど信心があるわけではないと思いながらも、1年間、そのメンバーと一緒に基礎を学び直せたことは、貴重な経験になりました。
そして今も、別のメンバーの勝利長を務めています。

ということで、名前はしょうりちょー(勝利長)にしました。(今のところ)

noteを使って、大学校での出来事や、男子部のメンバーと活動する中で感じてきた学会の素晴らしさや、後輩や友達からの疑問や質問に対する答えを、自分なりにつづっていきたいと思います。
note初心者ですが、宜しくお願いします!

「私、無慈悲でしょうか」

では早速、今回は「勇気」についてです。最近、後輩から「駅で視覚障がいの方がいて、困っているように見えたんですが、声を掛けられなかったんです。私、無慈悲でしょうか」と質問されました。

声を掛けるべきか否か。確かに、自分も迷うときがあります。

「私、無慈悲でしょうか」と言った後輩くんは自分を顧みている時点で無慈悲ではないと思います。ただ、コミュニケーションに正解を求め過ぎるから、失敗しまいと慎重になっちゃうんだと思います。そもそもコミュニケーションに絶対の正解なんてないのだから、実はもっと気楽にいっていいはず。でも、それでも慎重になり過ぎるのなら、それはもしかしたら、シンプルに「勇気を出すことの経験が不足している」だけなのかもしれません。

そういうときは、「勇気を出す練習」をしてみてもいいのかなと思います。
自分もやってみたことがあるんですが、日常で「小さなチャレンジ」をやってみる。例えば、玄関先に荷物を届けてくれる配達員に「ありがとうございます」と言ってみるとか。それこそ、学会活動は最適な練習になります。
友達に仏法対話するために話し掛けたり、男子部宅を訪問して、一から人間関係を構築したりと、けっこう勇気をつかう場面が多いですから。

少しずつ、勇気を出す練習をしていくと、いざという時に勇気が出せるようになると感じています。

視覚障がいの方に聞いてみた

ちなみに、駅で視覚障がい者の方をサポートするには、どうすればいいのか。ある日、視覚障がいの方に直接、聞いてみたことがあるんです。

こんなことを言っていました。
「多くの人は〝助けたい〟という気持ちは持っていると思います。でも、『どのように行動したらいいのか分からない』『声を掛けて断られたらどうしよう』という気持ちが先行しちゃうんですよね。

私は、『どうするか迷うでしょうが、声を掛けることをオススメします』と周囲には伝えています。断られても、それはその時、たまたま手助けが必要なかっただけです。でも、状況が変われば、助けを求めたい時もあるんです」

断られても、それはその時、たまたま手助けが必要なかっただけ−−そう捉えると、なるほど、ずいぶんと気持ちが楽になりました。身構えるより行動することの方がずっと価値がある。それからは駅で困っているように見える人がいたら声を掛けられるようになりました。

今日も出社する途中、駅にいた、あるお母さんのサポートをしました。階段でベビーカーを持って運んだだけなんですが、お母さんからとても感謝されました。「声を掛けてよかった」と嬉しい気持ちになりました。
こうした小さな成功体験を積むことも、勇気を出す上でプラスに働くじゃないかと思います。

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