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考えていたこと。

・サザンの無観客ライブ配信が18万アクセスされ、6億円超の売上を出したそうだ。
もちろんそこから様々なところにお金は分配されていって、「利益」となるお金がどれくらいあるかはわからないけど、でも、ものすごいことだなと思った。
このコロナ禍で良かったこと(という表現はなるべく避けたほうがいいけれど)は、無料もしくは安価で好きなアーティストのライブや演奏を観れることが以前よりも格段に増えたことだなと思う。
コロナが無ければナンバーガールの無観客ライブなんて一生観られなかっただろうし、ELLEGARDENのリモート生演奏なんてのも観られなかったでしょう。
音楽家たちは行動が早くてすごいなと心から思う。
星野源氏の「うちで踊ろう」にしたってそうだけど、この状況を音楽で楽しいものに変えよう、していこう、という意識がすごい。脱帽。
ライブを会場で観るというのはもちろん本当にすごい体験・経験なのだけれど、隣りにいる知らないおじさんや女性にぶつからないようにと身を細めたり、心無いダイバーに背中を踏んづけられたり、トイレに行けば長蛇の列…なんてのがない「ライブ配信」の形がこれから先、いいように進化していけばいいなと思う。
…というか、これからはそうならないといけないとすら思う。

・最近のモットーは「やらないよりマシ」。
これだけなんでもすぐに調べられてしまう時代だから、例えば「トマトが体にいいよ」なんて言われても、違うところではすぐに「だからといって食べすぎには注意☆」とかいわれてしまうことが多くて、食べる前から「でも…」と結論づけて、結果、食べないということが多くなってる気がしたんです。
これってただ脳を通り過ぎていっただけで、知る前と知った後でなにもかわってないじゃん、という。
それなら「いやもう知らん、オレはトマトを食べる!」ってなってトマト食べたほうがとりあえず前に進んでるよな、という感じ。
「○○しなくちゃな」って思ったまま何もやれてないのは、先のことを想像して、やる前から飽きたり疲れたりしているからで。
そんなことよりも「いやもう知らん、オレはやるねん。やらんよりマシやから」って思うとすごく楽になったんですよね。
これだけ多くの人が発言する世の中だから「自分」が揺らいでしまいがちだけど、一旦落ち着いて「さて、じゃあ自分はどうしようか?」って考える癖をつけたほうが良い気がしたのです。
じゃないと、インターネットという膨大で巨大な波にのまれて、その波の一部になってしまう。
それが、いちばんこわい。

・イントロが恋しい。
ふらりと流れてきたツイートで読んだのだけれど、イントロが短い曲が増えてきているのだそうだ。(元ツイートどれか忘れてしまった)
サブスクが主流になって、いろんな音楽に即アクセス出来るようになったいま、冒頭だけ聴いてスッと離れる人が多くいるのだそう。
(というか、自分がそうなっていることに気づいて冷や汗をかいた)
つまり冒頭の数秒が勝負で、そこでインパクトを与えられなかったらリスナーは離れていくらしいのだ。
これって恐ろしいことなのでは、と感じる。
今の、この時代の聴き方に合わせるために、音楽の在り方が変わろうとしているからだ。このままではイントロはどんどん簡素で短いものになり…いやもしかしたらイントロ自体無くなって、歌から入る曲がやたら増えていくのかもしれない。
「音楽の在り方」が「時代」と密接な関係にあることは理解しているけれど、これに関しては妙に危機感を覚えてしまったのだ。

この「時代の変容」のせいで、「あるかもしれなかった素敵なイントロ」がなくなっていく。もっといえば、「イントロってなに?」なんて言われる時代が来るかもしれない。
「何をバカなw」と言うかもしれないけれど、「8月6日はなんの日?」と聞かれて「ハムの日っすかw」と答えた若者を数年前テレビで観てからずっと得も知れない危機感を覚えている。ありえなくは無い。

とはいえまぁ、まずは自分から。
冒頭数秒で聴くのをやめる、という蛮行を改めようと思った。

…ということが最近考えていたことである。まる。

こんな駄文をいつも読んでくださり、ほんとうにありがとうございます…! ご支援していただいた貴重なお金は、音源制作などの制作活動に必要な機材の購入費に充てたり、様々な知識を深めるためのものに使用させて頂きたいと考えています、よ!