STAY DREAM。

「STAY DREAM」
これは、長渕剛が作った造語(和製英語)である。
「夢をステイさせろ」つまり、「夢を持ち続けろ」、「夢があることで強くなれる」、「あきらめるな」なんていうふうに意訳出来るかも知れない。

この曲が大好きだった父は、自身の病気が発覚してからはじめた闘病ブログのタイトルを「STAY DREAM」とした。
その闘病ブログは、病気に対するものというよりは、「いかに生きるか」を体現していたブログなのではないかと今になって思う。
病気に効く食物や行動。それらを日々意識すること。
そしてそれを、「楽しむ」こと。
あちこちへ出向いて最愛の人と色んな景色を観ること。過去を思い出して笑ったり、明るい未来を想像してワクワクしたり。
病は気からというけれど、あながち間違いでは無いと思う。「生きる」ということに素直にどん欲になり、じゃあどうしたらいいかを考え、実行すること。
もちろん、その気概があっても病気の進行状況などによっては気休めの詞に成り下がってしまうかもしれないけど。

それでも父は、父の病気は、発見された当初から肺がんの7段階あるステージの7段階目だった。所謂、末期ガンというものである。
そのステージの患者の余命は、(もちろん個人差があるけれど)半年くらいなのだと、よく聞く。

父は、そこから6年も生きた。
半年が、6年である。しかもその6年のうちの、5年と半年くらいはとても元気に生きた。
これはものすごい事だと思う。とてつもない生命力だと思う。主治医の先生も、「(父みたいなケースは)稀ですよ」と言った。
ある治療においては、長崎の国立医療センターの中でも初めてのケースのものもあったのだそう。

父は人生を謳歌したのだと思う。
心残りは沢山あると思うけれど、それでも、納得のいく生涯だったと思う。

息子として、「あっぱれ!」と言いたい。
最後は少し苦しかったけど、ほんとの最期はものすごくかっこよかった。

ほとんど虫の息の状態に関わらず家族全員の到着を待ち、みんなが揃ってから、おのおのかける声が聞こえていたのか(聞こえていたと信じている)、左目から一縷の涙を流し、父の携帯に入っている長渕剛の「STAY DREAM」を流し、それをワンコーラス聴き終わったところで、すぅっと息を引き取った。

くよくよするなよ
あきらめないで
Just like a boy
その痩せこけた頬のままで
果てしない迷路の中を
人はみんな手探りしてでも
STAY STAY DREAM
そう
STAY STAY DREAM
STAY STAY DREAM

うん、僕らも、生きることを諦めないよ。
父さんも最期まで諦めてなんか無かったよね。
最後の2ヶ月、物が食べられなくて、飲めなくて頬がこけるほどやせ細ってしまっても、ずっと諦めてなんか無かった。それは、僕ら家族がよく知ってる。ほんとにすごい。強い。びっくりする。

病気には負けてない。
むしろ、勝ったよ。大勝利。
だって6年だよ?6年も長生き出来たと思えば、ものすごい密な年月だったじゃん。
娘と息子の結婚を見、初孫を抱き、家族みんな一緒に働けて。
大好きな旅行やご飯、温泉も沢山行った。
仕事は忙しくて、なかなかしょっちゅう深い話出来なかったけど、それでも伝わってたよ。苦しさも、辛さも、喜びも、楽しみも。

もっともっと一緒に生きて、もっともっと色んなものを見たかったけどさ、けど、みんなの中にきちんといるよ。
この目が、耳が、肌が、なにかに触れる度に、父さんにも伝ってるんだよね。今ならそれが分かるよ。

ありがとうね。ほんとにありがとう。
めちゃくちゃかっこいい父親だったよ。誇りに思う。
ワガママで、せっかちだったけど、そんなのも今となれば愛おしくて仕方ないよ。

お疲れ様。ほんとよく頑張った。
父さんだから今日まで生きてこれたんだよ。これは快挙なんだよ。すごいよ。

ひとまず、お疲れ様。
また会おうね。
こんな事いつもは照れくさくて言えなかったけど、大好きだよ。愛してるよ。

たくさんの愛をありがとう。
今度は僕らがそれを伝えていく番だね。

任せて。父さんの事を思えば、大抵の事は怖くなくなる気がしてるんだよ。

沢山沢山、ありがとう。

ずーっと、愛してる!

2018.3.10
(日付が変わって、通夜を終えた11日の早朝05:06)

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