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いない世界。

「父さんがいない世界ってどんなんなんだろう」

父がどんどん衰弱していっている時期に(今年の2月くらいか)、姉が切なげにつぶやいた言葉が妙に頭に残っている。

父の病気が発覚してからのこの5,6年、いつも頭の中に父の病気のことがあったと思う。
とはいえ、父はいつも元気だったし、誰よりもパワフルだったから「心配」というものとは少し違うけど、病気が身体の中にある以上は「完治」する事をずっと願っていた。そう、これは「願い」だったんだ。

水野敬也著の「夢をかなえるゾウ」という本の中に、神社へのお参りについて書かれたエピソードがある。

インドの神であるガネーシャは、主人公にこう説く。


「神様の所にはな、毎日毎日、世界各国津々浦々から『健康になりたい』『お金がほしい』『恋人がほしい』『幸せになりたい』て、お便りが寄せられるんや。まあ好き勝手願いよるなあ自分らは。しかもその願い事かなえるために差し出すのが小銭て。自分の幸せどんだけ安上がりですかーいう話や」

「そんな中でやで、たまに、もう、ほんまのたまにやで、こんなんがおるんや。『いつもいつも良くしていただいて、神様ありがとうございます』」

「ぐっとくるよね。神様側からしたら、そういうの、ぐっとくるよ。」


僕はこのエピソードを読んでから、神社に参拝する際に願い事を願わなくなった。そうしていつしか、願うよりも、感謝しているほうが気が楽になっていった。

それが、今年の年始に参拝した(初詣だ)地元の神社では「父の病気が良くなりますように」と何度も願った。今まで感謝して来た分、どうか叶えてくださいと願った。

それは神社という場所だけでなく、常に頭にあった願いで、例えば自分の身がどこか壊れたとしても、そうあって欲しいと願った。

父が良くなるなら、一生ギターが弾けない身体になったとしても、僕は後悔しなかっただろうと思う。それくらい、父の存在は大きかった。おそらく姉や母にとってもそうだろうし、父をよく知る沢山の方々にとっても、きっと。

結果、その「願い」は叶わなかった。もちろん、本の内容を100%信じ切って行っていた行為では無いけれど、願ったってどうしようもないことはあるのだと心底思い知った。


父がいない世界を、今僕たちは歩いている。

この一ヶ月の間に桜が咲き、散り、そして緑葉に変わった。

季節は紛れもなく春に移り変わってしまってゆく。


「もうそこにいない」という現実が不意に胸を締め付けて、涙が溢れ出す。

悲しみは、怖い。泣くのも、怖い。

一度悲しみの奥底に落ちてしまうと、昇ってくるのにものすごいエネルギーが必要になる。だからいつもはそんな瞬間をグッと堪えて過ごしている。

それでもやっぱりまだ悲しむことしか出来なくて、必死で一日一日を終えていく。今日も大丈夫だった、しんどくなかった、まだ頑張れる、と。


最近は、死後の世界をよく想像するようになった。

天国だとか地獄だとか、宗教的な事も何も分からないけれど、ひとつだけ思っているのは、「父に会えるなら死ぬのが少し怖くなくなった」ということ。

僕がこの世を去ってしまったその後で、いろんな事を父からまた教えて貰えるのかなぁと思うと、少し安心する。

「天国のメシは美味かとぞ」なんて言って天国メシをおごってくれるかも知れないし、「地獄の風呂は熱かけど気持ちよかとぞ」なんて言って驚かせるかもしれない(地獄に行ったなんて思いたくないし、僕も行きたくないけれど。笑)。

死後の世界にギターがあるといいな。そしたら二人で長渕剛の「ガンジス」という曲を歌いたい。

「『死んだら灰になるだけさ』と笑ってみた」と。



脈絡なく書き連ねてしまったけれど、「父のいない世界」は、そんな、「どうしようもなく父がいる世界」だった。

至る場所に、至る文章の中に、至る空気の中に、至る心の中に、常に。

今自分の中に流れている血液にも確かに居て、僕をこうして生かしてくれている。


火葬場で「また会おうね」と投げかけた言葉を胸に抱いて、いつか来るであろうその日まで、懸命に生きよう。胸を張って会えるように。


そんな、一ヶ月でした。

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こうして悲しみについて文章を綴ることも「グリーフケア」というものの一環だという事を知った。怪我をしたらリハビリをするように、傷ついた心にもそういったケアが必要なのだということ。それを知って、少し楽になった。

まだまだ知らないことが沢山ありますね。いつか誰かの役に立てたらいいな。

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