ルーツの話。

うちの実家は熊本で両親は地方〇〇藩の人間である事に誇りを持ってるのだが、
私は親が「うちは〇〇藩だから」なんて言う度何故かムカついてた。
そんな私は家族の中で1人だけ大阪産まれ。大阪の端、石切劔箭神社の近くに住んでいたらしい。
5歳の時、熊本に戻りたい両親の願い叶って熊本は天草へ引っ越す。切支丹殉教の地で小学校時代を過ごし、その後〇〇藩の親の地元へと更に引っ越した。

ぶっちゃけ〇〇藩とは多分相互に相性悪かったと思う。多くは語らんが、最終的にその地を出る時の初詣で「私はもういいので、この地に縁の両親の事だけお願い申し上げます」とお別れしたくらいなので。

その後、進学で私は熊本城下へ。
熊本城が大好きになり、築城した加藤清正を慕い、清正神社に節においてお参りしてた。
が。
なーんか、清正様からは持て余してる感感じてました
嫌われちゃいないけどなんとなく親戚の子が遊びに来た時の叔父みたいな感覚を抱かれてる感を、お参りすると感じる事があって。

しばらくの後。
ちょっと奇跡的なご縁で、小倉城下へ住むことに。
(※現在はまた違う所にいます)

これは赤間神宮さんのご縁、春日大社さんのご厚意もあると思うんだけど、
そこで思ったのが

あ、私、加藤清正ではなく細川家の方でしたか…!

清正様多分、お参りする度
(この子細川のとこの子なんやけどなぁ)
って思われてたのでは、なんて妄想もしたり。

どちらも太閤縁、細川忠興様は清正様の後に熊本に入られたので、勘違いしてました。
通りで切支丹大名にも何故か親しみを抱いてしまったり、なんかこまごました歴史関係の己の好みそこにルーツを感じます。

ちなみに妹たちは不思議と大友家や立花家に惹かれたり縁があったりする様子。
平定した側の家臣たる私が姉というのもなんか上手くできてる気もする。

……
というような話を、もっとざっくりとした話し言葉で人に告げたら

「令和に戻ってきて下さいw」

と言われました笑

細川にお仕えしてる気分でいると、ものすごく気分がなんというか引き締まりつつ高揚して、鞘に収まるというかしっくりくるというか
とにかくメンタルに良いのでこれからも細川忠興についていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?