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マンガ体験記 『三日月よ、怪物と踊れ』 藤田和日郎

まずこの『黒博物館シリーズ』、現在『スプリンガルド』『ゴーストアンドレディ』、そして本作『三日月よ、怪物と踊れ』が出てますが、藤田先生の最高傑作だと思ってます。少年サンデーにおける達成が『うしおととら』『からくりサーカス』なら、青年誌に書かれた漫画のなかでは、この『黒博物館』シリーズが最高傑作。

『月光条例』『双亡亭壊すべし』に物足りなさを感じているところがあったのですが、この『黒博物館』こそ藤田和日郎の現在なのだと言いたい。

藤田先生の漫画はわかりやすさを心がけるあまり、セリフで状況を説明しすぎるきらいがあって、申し訳ないですが『双亡亭壊すべし』では裏目に出てたかな…と思ってしまいました。

しかし『黒博物館』シリーズは青年誌に合わせて演出を変えていて、さらにコンパクトな巻数の構成も相まって、すこぶる完成度が高いです。

40巻を超えるような少年漫画の大長編が死に絶えて、ネットフリックスの11話でワンシーズンが終わるドラマみたいな感じで、少数巻で終わらせるスタイルが主流になりつつある事実というのも感じざるを得ない。


あらすじ

十九世紀、ヴィクトリア朝期の英国、倫敦ロンドン
『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』を著した作家、メアリー・シェリーは、ケンブリッジ大に通う息子パーシーの学費を稼ぐことに手一杯で首が回らなかった。
ある日シェリーは、亡くなった夫の父、義父であるティモシー・シェリー准男爵の元に手紙で招かれる。
そこにはヴィクトリア女王の命を受けた近衛歩兵第一連隊グレナディア・ガーズの連隊長と、巨大な棺に似た箱だった。

11ヶ月前、近衛歩兵第一連隊は、英仏海峡の港町ドーヴァーで“七人の姉妹”と呼ばれるロシアの暗殺集団とやり合い壊滅した。相手はドレスを纏った、たった七人の女だった。鬼神のごときコサックの剣術と、踊るような足運びに翻弄され、次つぎと連隊の精鋭が倒れ、隊長は捨て身の一撃で、七人の姉妹の一人を海に突き落として撃退することに成功する。
そしてある科学者が、倒した七人の姉妹の体と、イギリスの田舎娘の頭部を接合し、復活させることに成功した。

女王暗殺を狙う七人の姉妹は、4ヶ月後に開かれるプランタジネット舞踏会に現れる。陛下をお守りするためには、並の護衛では歯が立たないだろう。
シェリーに下ったヴィクトリア女王直々の勅命とは、陛下をお守りする護衛として舞踏会に潜り込ませるために、蘇生した“怪物”を教育することだったー。

箱の中から、男の身長を上回る包帯の女が現れ、シェリーは恐怖の絶叫をあげた。

著者について

『うしおととら』『からくりサーカス』で有名な少年サンデーの漫画家ですが、今作『黒博物館シリーズ』は講談社、モーニングの連載です。
1964年北海道生まれ(北海道は有名漫画家を大量に生み出す土地)
デビューは88年のサンデーの新人コミック大賞『連絡船奇譚』
当時はサンデー全盛期で、高橋留美子の漫画に影響を受けてサンデーに持ち込みを決めたようです。

『月光条例』からは童話や御伽話への愛と怒りが、『からくりサーカス』や『黒博物館シリーズ』からはゴシック趣味みたいなものが感じられて、オートマータとか四谷シモンとかハンス・ベルメールのあれだろ、あれ…球体関節人形とか好きなんだろ……という点でガッチリ握手できそうな人です。

藤田先生に師事したアシスタントが次々にプロデビューして巣立っていくというのも有名な話で、『金色のガッシュ』雷句誠先生、『烈火の炎』安西信行先生、『ムシブギョー』福田宏先生など多数。
なぜこんなにも多くの漫画家をデビューさせることができたのか。ということを語った藤田和日郎流、創作論『読者ハ読ムナ(笑)』という本もあり、『三日月〜』を読む前にこっちを買って読んだんですが、これは新人漫画家は絶対に読むべきやつですね。

藤田先生の創作論であると同時に、担当編集者とどう付き合っていくのかという攻略本にもなっているという。笑
『うしおととら』が18回も練り直された企画だったり、読み切りのネームが通らなくて苦労したりとか、決して天才ではない感じなんですね。
読者を喜ばせたいという、ひたむきなエンターテイナーで、地道な努力を重ねてきた人です。

すごく情報の多い方なので、ウィキペディアを読むだけでも結構分かる。

レビュー

マンガのレビューのやり方として、本編で気になった箇所に付箋を貼って、後から振り返ってそのシーンについて語るというスタイルをとってみました。みんなどんなふうにマンガを読んでるんでしょうか……。

まず舞台から。十九世紀、ヴィクトリア朝期のロンドンと聞いただけで一定層の人間が興奮します。私がそうです。
今回はあの、ブライアン・オールディスがSFの元祖と位置付けたメアリー・シェリー『フランケンシュタイン』のトリビュート作品ということで、実在の人物を主人公に、蘇った怪物を一人前のレディに仕立てる、ゴシックホラーmeetsオードリー・ヘップバーン主演『マイ・フェア・レディ』のような漫画になっています。もちろんバトルもあります。

エイダ・バイロンとかも登場して、ついでと言わんばかりにディファレンス・エンジンを見せたりもするので、さんざギブスン&スターリングの例の本で十九世紀脳を鍛えられた僕は、エイダが出てくるだけでニヤけます。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ3』第25話 ラヴレス伯爵夫人 より モーニングKC

本作の主役は二人いて、一人は小説家のメアリー・シェリー。そして“怪物”、エルシィ。
藤田先生は『読者ハ読ムナ(笑)』のなかで、キャラクターはギャップが大事だとおっしゃっていました。
まず主人公のメアリー・シェリーは、このような感じで現れます。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ1』第1話 フランケンシュタインの怪物 より モーニングKC

それでも、学芸員キュレーターさんが先生の小説をベタ褒めするもんだから、次のページでこうですよ。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ1』第1話 フランケンシュタインの怪物 より モーニングKC

たった10pでシェリー先生が好きになっているという、あまりにも手際のいい魔術みたいな仕掛け。落として上げるという好感度のコントロールが巧みすぎる。笑

メアリー・シェリーは当然作家なわけで、自然、藤田先生自身と重なる部分がありますね。
『月光条例』では物語論を、『双亡亭壊すべし』では芸術論を展開していて、『三日月〜』は作者とその被造物という関係で、少し創作論的なテーマもありそうな感じなんですよねー。

そしてもう一人の主役、“怪物”。彼女はシェリー先生にエルシィという名前を与えられます。(これがすごく重要。後述)
肉体は恐ろしい殺し屋、おそロシアですが、頭は田舎っぺの娘なので、喋り方が「あたしゃ〇〇だよ」とか「〇〇してくだせぇ」みたいな感じです。さらに、顔は傷だらけで、包帯ぐるぐる。常時白目を剥いています。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ1』第3話 怪物の名前より モーニングKC

これがヒロインなんだぜ!?
でも読み終わってることには、エルシィがかっこよくて可愛くて、大好きになってるんですよ奥さん…!

そんな彼女ですが、初めはシェリー先生自身も恐怖しおぞましい存在だと感じます。ですが、この怪物をなんとか教育し、礼儀作法を教え舞踏会に立たせなくてはいけません。
怪物が脱走し、使用人たちに見られてしまい、銃を向けられてしまったとき、シェリー先生はなんとかその場を収める嘘をつかなくてはなりませんでした。このシーンが最もこのマンガの核心をつくシーンだと思ってます。

ダメ! あの〈怪物)が死んだら困る!
〈怪物〉は私の仕事だもの! どうしよう!?
今 この場で〈怪物〉を怪しくなく! 怖くなく!
日常にあってもいい 普通の存在にするには…!?
考えて! 私は『フランケンシュタイン』を書いた小説家!
どうしたっけ? あの人造人間をどうやって〈怪物〉にした!?
それとは逆に! 反対に!
どうすれば〈怪物〉は人々の日常に溶け込める…!?
今 そのアイデアが必要なの!
教えて! 私が書いた……〈怪物〉

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ1』第3話 怪物の名前 より モーニングKC

これは泣く。
そうだ、そうだった。『フランケンシュタイン』の怪物は、作者から名前さえ与えられないキャラクターだった。
ここでエルシィという名前が与えられて、怪物は初めて人になったんだ。
これは藤田先生の、メアリ・シェリーへの意趣返しだ。
あの哀れな怪物が幸せになる結末があってもいいではないか!という想いがこのマンガの全てな気がする。

まあそれだけじゃないんですけどね。
まず女性のエンパワメントと自立の問題がある。

シェリーは、他人の「死」を利用して生きていたという負い目を感じていて、それが内なる怪物となって彼女の心を蝕んでいます。
シェリーの母親は、自分を出産したときに死んでしまい、夫パーシー・ビッシュ・シェリーと駆け落ちして結婚できたのも、パーシーの前の奥さんが自殺したからだった。そのあとさらに夫と、子供を二人亡くしている。

「死」に取り憑かれたシェリーにとっては、命を生み出すことが自身の再生なのだ。
生み出す方法は二つある。女性として子供を産むことが一つで、もう一つは創作物を通して自分の分身を作ることが一つ。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ1』第2話 二人の怪物 より モーニングKC

この19世紀当時でいえば、出産して子供を作るのが真っ当な道なのかもしれませんが、シェリーの母親がフェミニズムの創始者とも言われるすごい母ちゃんだったりしたので、シェリーは死んだ母親の本を通して、女性としての自立という価値観に目覚めています。
なので、出産して男のいいなりなるような人生には納得できませんでした。

ならもう一つの方法はどうだったかといえば、苦労して執筆した我が子『フランケンシュタイン』は、おぞましいと批判され、自分自身が抱えていた怪物=創作物を世間に受け入れてもらえなかった。男と同じくらいすごいものが書ける!と意気込んだにもかかわらず、思っていた形では評価してもらえなかったんです。
そしてそのおぞましいと言われ、誤解された小説を読んで、泣いてくれるのがエルシィだったりするので、もうね……。
ただ一人わかってくれるんですよね………。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ5』第44話 月と地球 より モーニングKC

女として生きることも、男のように生きることも断念したシェリーが、じゃあどうしたのかというと、最後の最後にたどりつくのが、“怪物”として生きることだった。これ、すごーく面白い結末だと思いました。クィア的なところを突いていくんだ。

今年は『バービー』がフェミニズムの総括をやった年で、男と女の対立軸というのが、一旦ここで整理されたのだと思う。いま思えば。
さらにルカ・グァダニーノ監督の『ボーンズ・アンド・オール』、未見なのですが朝井リョウ『正欲』など、ちらほらクィア的な映画も目立ちました。これが今の気分というものです。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ6』最終話 三日月よ、怪物と踊れ より モーニングKC

藤田先生のこうしたテーマは、本人が内側に抱えていたものというより、メアリ・シェリーを取材するなかで、外部から取り入れたテーマなんじゃないかと思います。だとしたら恐ろしいことです。フィクションにおける最新の潮流を読んで創作しているということになりますから。藤田先生の漫画には、いつも巻末に大量の参考文献が記載されるのがお約束なのですが、そういうところからも、一線で活躍する漫画家のプロフェッショナリズムが伺えて、ただただ恐れ入る。

絵に関して

やはりデッサンの取り方が独特で、特に女性の体の描き方がしなやかで人形のようでもある。そこが美しいポイント。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ1』第4話 怪物の仕事 より モーニングKC

本人も(確か『漫勉』だったと思います)可動域の多いデッサン人形をぐねぐねしながら絵を描いていたので、人形ぽさが図らずも出ているのでしょう。

あとエルシィというキャラは、常時白目なので、瞳で表情を作れないという制約がある。にもかかわらず、すごく複雑な表情を浮かべるので、神わざという他ない。
というかよく考えれば、とらの表情もそうだったなぁ……。

藤田和日郎『三日月よ、怪物と踊れ6』最終話 三日月よ、怪物と踊れ より モーニングKC

『からくりサーカス』の「いないないばぁ」とか『月光条例』の赤ずきんの「だって あたしのおひさまだもん」とか、数々の笑顔にやられてきましたが、また歴史が更新されるのか……。「えへへ…」
クライマックスのドレスを着たエルシィとかも、あまりにかっこよくて痺れる。

あとがき

十九世紀が舞台で、なおかつ冒険小説のような話というのが、まず僕の心を捉えた。さらに怪物への賛歌ときたら、手放しで絶賛以外あり得ない。

知らない人もいると思うので、一応言っとくと『黒博物館シリーズ』はゴシックホラーオマージュな19世紀を舞台にした連作で、各シリーズはつながりがなく単体で完結していているというマンガです。なので今作から読んでも全然問題なし。どれか一作だと『ゴーストアンドレディ』がおすすめです。

シリーズを知っている人は、『スプリンガルド』のあのキャラが出てきてニヤッとしますよ。
いつかシャーロック・ホームズとかやって欲しいなぁ。謎の格闘技バリツで幽霊か妖怪をボコボコにするマンガ。

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