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隣の芝生は、青々と生き生きと。

今年、25歳。

私は、アラサーになる。

ふと、Instagramのストーリーを見て思った。

今年、私は25歳になるのだと。

その、同級生は新しいフライパンを買ったみたい。

卵焼き、ウインナー、野菜炒めが同時にできる様に仕切りのあるフライパン。私には全く価値がないそれは、彼女には最高に意味のあるものだろう。母になり、家族を持ち、家を買い、同い年なのに私はまだ運命の人にすら出会ってない。出会い、親しくなり、やっぱり違ったとせわしなく時が去っていくばかりで、仕事もそれなりに忙しい。学びたい事も沢山、読みたい本も観ておきたい映画も、まだまだ尽きない。

でも、時々思う。

彼女、彼らたちの様に自分の子供を持つ事の幸せさ、大変を。

もう、完全に人生追い越されている。

一方、私の方が進んでいる気もする。

でも、心が少し弱っている今はフライパンで喜ぶ人生が羨ましい。

若いうち、とりわけ20代ではできるだけ色んな人・世界に触れておきたいと思っている私は、平日は一部上場企業の営業、週末は夜の世界でお酒を飲んでいる。長期休暇には国内・海外旅行に行き、英語も勉強中。そんな、時間と能力におそらく、羨む人はいるだろう。でも、時々それが正しい事なのか分からなくなる。一生、このままな気もするし。

ほぼ毎晩飲んで、お昼もほとんど外食の生活を羨む人なんているのだろうか。それを、Instagramに上げていた時期もあったけれど、不規則でだらしない生活をしているアピールにしか見えなくていつからかやめた。毎日が何気ない幸せであふれている様な、子供と旦那さんとの生活ならば私は満足するのだろうか。日々、刺激を求めて生きている私は多分満足しないと思う。だけど、時々は羨ましい。

いつだって、隣の芝生は青い。



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