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割と十人十色でどうでもいいと思う

書いていて感じること

noteで文章を書いているときに,たまに感じる事がある。
それは,正直どうでもいいと言えばどうでもいいな,という事である。

文章の8割ほどを書いた時点で,この話をどう閉じるかと考える。
すると,ふと「別にこの話がどうというわけでもないんだよな」という考えが頭をよぎり,投稿する必要性を疑ってしまう事がある。

この,どうでもいいという感覚は,どこからくるのだろうか。

私にとっての視点

なんとなく,書いた文章を読み返すと,どうでもいいなと感じる。
文章が上手くないからか,上手く話がまとまらないからなのか,調子が出ていないのか。
多分これは,視点の話だ。

note自体,自分の考えを整理するために書いていることも多い。
そのため,内容は私の体験や考えになる。
私にとっての視点は,あくまでも私にとってのものだ。

そのため,正直他人から見たらそんなものどうでもいいのではと感じるのだ。

私は私だし

事実,そんなものはどうでもいいのだろう。
偶然面白いと思われれば,それはラッキーなことだ。

スキや閲覧数が伸びるのも純粋に嬉しい。
そういった数字は,書いてみたいという動機に繋がってくる。

だが,基本的に他の人がどう考えているかは割とどうでもいいのだ。

私の感じ方や視点はあくまでも私のものだ。
また,他の人の考え方や視点も,あくまでその人のものだ。
そのため,他人に強いるつもりもないし,何か無理にでも与えたいものがあるわけでもない。その逆も然り。

ただ,共感してくれたり理解してくれるのなら嬉しいという話だ。

十人十色でどうでもいい

案外,他の人は十人十色でどうでもいいのだ。
みんな違うのは当然なので,正直どうでもいい。

しかし,そう言うと,興味なさげでなかなかに冷たいことのようにも聞こえる。
だが,その逆で否定しないということでもある。
そもそも,全人類が自分に興味持って見ているとか怖いし。

どうでもよくないことは,我ごとか,何らかの問題があることだ。
そっとしておけない,何か干渉しなけれな気が済まない,そういったものはどうでもよくはない。
だが,安定していて問題なければそれは基本的にどうでもいいじゃないか。
共感や理解はあると嬉しいものではあるが,なかなかみんなとなると難しい。

悪くなければ,大抵のことはどうでもいいのだ。
しかし,どこかで何かを与えたい,操作したいという傲慢な感情を持つのが人なのだろう。

どうでもいいぐらいがちょうどいいのだ。
恐らく私のどうでもいいと感じる衝動は,こうした傲慢さへの自らの呆れなのかもしれない。


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