『増補新版 KAWADE夢ムック 総特集 中島らも』を読んで

中島らも

シュルレアリズム

渋澤龍彦

結晶とイメージと時間

毒と呪術と旅

バロウズ『裸のランチ』

ギンズバーグ『吠える』

ケルアック『路上』

ボルヘス、南米、マジックリアリズム

自失願望

鈴木創士(EP-4)

ジル・ドゥルーズ…

なんだかバラバラだったものがつながり始めた。

 河出書房新社から出ている、中島らもさんの特集本がとても良くて気に入っている。厳選されたエッセイと交友のあった人達からのメッセージ。そして、安藤礼二「水晶が成る場所 中島らも『ガラダの豚』論」と松本潤一郎「死をもたらす生の矢 中島らもの「因果性」哲学」という二つの論考が素晴らしい。

 どちらの論考も、中島らもを「生成と破壊」や「均衡とその破れ」といった矛盾を含んだ言葉で表している。らもさんは『明るい悩み相談』のようなシュールでくすっと笑わせてくれるような本から、『人体模型の夜』のようなホラー集、『水に似た感情』のような独自の精神世界の小説、『アマニタ・パンセリナ』のような薬物と自失の本までと、様々なジャンルの本を残している。どの本にも笑い(生)と死が潜んでいて、個人的にはエッセイと短編小説がらもさんのエッセンスがつまっていて好きだ。

 らもさんは、面倒見が良くて責任感がある一方で、衝動的で醒めたところがある人だったのかもしれない。この世界に醒めた詩人が酒と薬で酔っ払って旅しているみたいだ。魂の巡礼、ジャーニー、島々、ガムラン、水……。

 二つの論考に出てきた、「生成と破壊」と「均衡とその破れ」という言葉のように。そして、ジョルジョ・バタイユの「連続と不連続」のような、矛盾するものが同居している不思議な魅力がある。また、家族や交友のあった人などの語る中島らもという人は、どれも違った面を見せてくれる。やさしくて、どこかさびしさもある。そして、人間を愛している不思議な人。

鈴木創士『中島らも列伝』河出書房新社

中島美代子『らも 中島らもとの三十五年』集英社

 そして、らもさんの言葉はどきっとさせる、空隙に放たれた痒みのように。安藤礼二さんは論考で、らもさんの小説の以下の一節を引用している。

「ただね、おれはアル中だからね、わかるんですがね。学者はどんなに何アプローチを変えてもアル中の本態にまでは近づけないですよ。それを幼児体験だの、わかったような分析をされるとおれは頭にくるんですよ。アル中のことがわかるときってのは、ほかの中毒(アディクト)のすべてがわかるときですよ。薬物中毒はもちろんのこと、ワーカホリックまで含めて、人間の『依存』ってことの本質がわからないと、アル中はわからない。わかるのは付随的なことばかりでしょう。『依存』ぅてのはね、つまりは人間そのもののことであもあるんだ。……依存のことを考えるのなら、根っこは『人間がこの世に生まれてくる』、そのことにまでかかっているんだ」

中島らも『今夜、すべてのバーで』講談社文庫より引用

 最後に中島らも的な言葉を散りばめて……

「世界で一番美しい病気」

「笑はつまるところ差別だ」

カリカチュア

シュールレアリスム

アンドレ・ブルトン

ロートレアモンの『マルドロールの歌』

デペイズマン

「手術台の上のコウモリガサとミシンの出会いのように美しい」

ティモッシー・リアリー

ジョン・リリー

「あれは笑いではなく微笑の一種である」

あまりに本質だけを抽出して、それを増幅するために、それが一種のカリカチュアになっているからだ。

言語と論理で陶酔を囲繞しようとするのだが、本質はいつも肝心要のところでつるりとゼラチンのように逃げていく。本質を掴まえられるのは「詩」だけだ。

薬物を異物視し、分析対応をしようとしているうちは薬物の本質は見えてこない。肝心なのは「受容」と「同化」である。もっともその頃には本人は立派な中毒者になっているかもしれない。

このあたりは、実は今の医学と神秘主義、そして現存する人間の生の不思議と国境線、黄金の三角地帯なのではないか。

エピキュロス

“私が生きているときには死はない。私が死んだときには私の生はない。したがって私にとって死は存在しない”

レーモン・ルーセル

アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ

アントナン・アルトー

ル・クレジオ

バタイユ

ジャコメッティ

アンドレ・ブルトン

ルイ・アラゴン

ポール・エリュアール

トリスタン・ツァラ

稲垣足穂

ボードレール

ランボー

ピカレスク

フォルマント

(終)

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