服部文祥さん(サバイバル三部作)と角幡唯介さん(『狩りの思考法』など)の3冊を読んで

はじめに
 クレイジージャーニーという番組が好きで、佐藤健寿さん、ヨシダナギさん、高野秀行さん、服部文祥さん、竹内洋岳さん、荻田泰永さんの辺りをずっと追いかけています。服部さんと竹内さんはメディアによく出ているから冒険や登山に関心が無い人も知っているかもしれません。
 余談ですが、最近は魚の鮮度(水分量)にこだわる魚屋さんの前田尚毅さんがプロフェッショナル仕事の流儀に出ていて、その考え方と実践に関心を持っているところです。過去では、猪をわな猟で生捕りする片桐邦雄さんの回が考えさせられました。

出来る限り自分の力だけで山に登る
 服部文祥さんという人は誤解されやすい人かもしれないです。いや、むしろそういう自分の映り方も含めてメディアでも振る舞っているところがあるかもしれない。とはいえ、他人の評価を気にしているというより、服部さん自身の登山という体験(それは山に登ることだけではなく、シェルパの人との交流や海外遠征で現地の人の生活を垣間見た瞬間に生じた疑問なども含めて)から生じた問いに対して自分の身体で表現して、文章にしている(時には編集者として)人だと、私は理解しています。
 そんな服部文祥さんは、登山家としてのK2の体験を経て、登山家として自らを型にはめようとする不自由さから解放され、フリークライミングの考えを発展させて、テンカラ釣りや狩猟という営みを取り入れながら、自らの登山を実践してきた人だと思います。その実践は、山(環境)を変えるというベクトルを、自分自身を変えるというベクトルに変え、出来る限り山(環境)を変えずに、自分自身を変えていくという発想に基づいているように思います。そして、現地の人や、過去の人が残した記録からも学んでいるのです。

※服部文祥さんの登山についての考え方を知りたい方はこちらの動画が参考になると思います。

SHIMANO Fishing Caféより
源流を極め、“歩むために釣る” 登山家・服部文祥(前編)

源流を極め、“歩むために釣る” 登山家・服部文祥(後編)

狩猟というローカルな営み
 狩猟という行為は、服部文祥さんにとってもインパクトのある体験だったと思います。猟友会に入り、その土地の人達のコミュニティに参加しながら獲物の捌き方など様々なことを教えてもらったと思います。自分が生きていくために、自分と同じ生命を殺す。そんな行為を実践している服部さんの家族にとってもインパクトのある体験だったようです(服部小雪著『はっとりさんちの狩猟な毎日』河出書房新社より)。
 おそらく狩猟という行為は、その土地で生活していく為の営みであることが大前提となっていると思います。ですから何処か特別な場所へ行って狩猟をするというよりも、自分自身が生活している環境で、生きていくために狩猟をして、その獲物をいただくということに、つきつめると辿り着くのだと思います。このことについては、服部文祥さんだけでなく、冒険家の角幡唯介さんも著作やインタビューなどで触れています。
 おそらく、お二人は狩猟という行為自体が実は土地に根づいた行為で、その土地の環境を受け入れて、自分達が生きていく分だけいただくということの意味を知っていて、自分の人生の後半を過ごす場所を探している雰囲気を感じます(この辺りのことを角幡唯さんは自身著作の中で、狩猟の考え方だけでなくユクスキュルの環世界やロバート・キャンベルの「神話の力」を出しながら考察しています)。

現実に組み込まれることを受け入れながら生きる
 角幡唯介さんは『狩りの思考法』の中で、現実に組みまれながら、自ら立てた計画よりも、その現実で起こることを受け入れて生活しているイヌイットの人達の思考を、彼らの使う「ナルホイヤ(わからない)」という言葉を取り上げ、私達が日頃生活しているシステムの思考と比較しながら考察しています。私達はシステムから外れてしまえば、実は未確定な未来があり、死と生の境界は実に曖昧であることを忘れているのかもしれません。
 そういった意味では、イヌイットの人達の思考法は環境に対して謙虚であることの現れのようにようにもみえます。私達のように、均一化され、インフラも整った中で生活をしていると、計画通りコントロールすることばかりに意識が向いてしまうのかもしれません。でも、実際に起きていることは均一ではないし、コントロールできない多様な出来事なのだと思います。

システムの外に出る
 角幡唯介さんは、システムの外に出ることを繰り返して述べています(「極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~」というNHK製作のドキュメンタリーの中でも出てきます)。とはいえ、便利な生活に慣れてしまった私は、冒険や危険な登山に出かけることよりも、ファストフードの新作やSNSの事の方が気になってしまうような気がします。    
 また、世代として服部文祥さんも角幡唯介さんも人生も折り返しのご年齢になるはずです。もっと若い世代からはシステムの外に出ることに対して、違った意見が出てくるのでは、と私は思います。多様性や持続可能性が問われる中で、人間の認識(システム)の外に出るということについて、いろんな人達の意見を聞いてみたい気もします。

おわりに

 私の勝手な印象だと、服部文祥さんは自然で遊ぶのが大好きなガキ大将で、しかも実は繊細なところがあるように思います。誤解を生むような歯に物を着せぬ言いようも、実は日頃から厳しく自分に問いかけていることの現れにもみえます。
 そして、角幡唯介さんは、人間的で面白い人という印象を様々な著作から感じますが、参考文献にあげた3冊は、自身の冒険の体験を哲学的な領域まで考察し、今自分が置かれている環境でどんな冒険が出来るかを人類学的に問いかけているようにみえます。この違いは作家としての在り方といえますし、何処かで両者がそれぞれ自らに問い続けた問いが、重なったり影響を与え合っているようにもみえるのです。
 こうしたことは、最初にあげたプロフェッショナル仕事の流儀に出ていた魚屋さんの前田直尚毅さんや、なわ猟の片桐邦雄さんにも通じるところがあるように感じます。

参考文献
角幡唯介『そこにある山 結婚と冒険について』中央公論新社
角幡唯介『狩りの思考法』アサヒ・エコ・ブックス
角幡唯介『裸の大地第一部 狩りと漂泊』集英社服部小雪『はっとりさんちの狩猟な毎日』河出書房新社
服部文祥『サバイバル登山』みすず書房
服部文祥『狩猟サバイバル』みすず書房
服部文祥『ツンドラ・サバイバル』みすず書房

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