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松坂大輔と少年漫画

しんと静まり返った球場。この日、西武ドームに集まった観客、ベンチにいる選手たちは立ったまま祈るような思いでマウンドを見つめている。

カウントはスリーボールワンストライク。

ピッチャーは大きく振りかぶって一瞬タメを作り、反動をつけてストレートを投げ込む。

インコースに大きく外れてボール。

四球となり、少し間を置いて監督がベンチから出てきた。投手交代である。そのことを察知した球場は温かい拍手に包まれた。

2021年10月19日 プロ野球選手の松坂大輔が引退した。

1998年夏の甲子園で優勝し、プロ野球、オリンピック、ワールドベースボールクラシック(通称WBC)、MLB。野球界を背負ってきた男の最後のマウンドは打者一人に対して5球を投じ、結果は四球。ストレートの最高球速118キロにとどまった。

「もうストライクどころか、腕も振れない」
それが”平成の怪物”と呼ばれた男の最後の姿だった。

小学校5年生で夏の甲子園の活躍を目の当たりにした僕は松坂大輔に心を奪われた。大阪ドームで投げるときは何度も球場に通い、今でも中村紀洋に投じた156キロはハッキリと脳裏に焼きついている。

彼が日本の野球史において特別なのは「漫画の世界に出てくるピッチャー像」を演じ切ったからに他ならない。

こんな展開は漫画でしかあり得ない。
それを実現してみせたのが、この男なのだ。

ワインドアップとかめはめ波

松坂大輔といえば振りかぶって投げるワインドアップが特徴的だ。

振りかぶることで反動をつけて、より大きなパワーを生み出すことができる。しかし、近年では振りかぶって投げることは「動きがブレる」「制球しにくい」と考えることが一般的になり、振りかぶらない投手が増えている。

そんな時代においてワインドアップにこだわる理由を引退後のインタビューでこう答えている。

「カッコいいと思うからです。」
「何がカッコいいのかは人それぞれだと思いますけど、僕にとっては振りかぶることだったり、(中略)見てわかりやすいことを大事にしてきました。」

わかりやすくカッコいいからワインドアップ。人が見てカッコいいかどうか。それこそが松坂の美学である。

孫悟空やルフィのような少年ジャンプの主人公に通じるものがある。

孫悟空が足を開いてぐっと腰を落とし、タメを作ってから”かめはめ波”を打つ姿にカッコよさを感じるように、松坂はワインドアップからタメを作って相手をぐっと見据え、そこからとんでもないストレートを投げ込む姿に痺れてしまう。

効率ではなく、見た目のカッコよさ。マウンドで絵になるからこそ多くの人を魅了してきたのだ。

甲子園という天下一武道会

松坂大輔が国民的スターとなった夏の甲子園は強敵が次々と現れる天下一武道会だ。

春のセンバツを優勝し、春夏連覇をかけた横浜高校のエース松坂。一回戦を完封勝利し、2回戦は初戦でノーヒットノーランを達成した鹿児島実業の杉内。松坂は投げては無失点、打ってはホームランで杉内を倒す。

つづく準々決勝は伝説にもなったPL学園戦である。最大のライバルとの激闘は延長17回まで及んだが松坂は完投。球数は250球。甲子園という舞台、目の前には最大のライバル、春夏連覇がかかっている。すべてが松坂の力になっていた。

準決勝は明徳義塾。松坂が先発しなかったこともあり8回表終了時点で0−6で負けていた横浜高校。8回裏に4点返したあとの9回表。松坂がベンチの前でテーピングを外す。「本当に投げられるのか」前日に250球投げた高校生に不安な気持ち半分、「でも投げてほしい」という期待半分。そんな不安をよそに火の玉のような145キロを投げ込み無失点。その裏に3点とってサヨナラ勝利。

決勝は京都成章。春夏連覇をかけた一戦を松坂はノーヒットノーランで締め括る。

そんな98年の夏の甲子園。Wikipediaでは「PL学園戦」「明徳義塾戦」など試合ごとにページが作られている。


ピッコロやフリーザなど強敵を倒していくことで人気を集めていった孫悟空同様に、松坂大輔も漫画のような勝負が多くの人を熱狂させ国民的スターとなった。

ワインドアップから強烈なストレートを投げて、ライバルを倒し優勝する。

わかりやすく、カッコいい。それが松坂大輔なのである。

大甲子園からスーパースターズ編へ

『ドカベン』という漫画がある。

元は高校野球漫画で、県大会でのライバル同士の凌ぎの削り合いを描いた作品だった。それが作者の水島新司に清原和博が一声かけたことがきっかけでプロ野球編がスタートした。かつて高校野球で対戦したメンツとプロ野球の世界で再び対戦する。シリーズ終盤のスーパースターズ編では新球団を設立しキャラクターが同じ球団に集結し、戦う姿が描かれた。

甲子園で戦ったライバルたちは「松坂世代」と呼ばれプロでも凌ぎを削り、アテネからプロも参加するようになったオリンピックや新しく始まったWBCでは、それまでライバルだった選手たちが一致団結し海外の選手たちに挑んでいった。

ゼロ年代はプロ野球選手が日本代表として日の丸を背負って戦う機会が増えたのだが、松坂はどの大会でも日本のエースナンバーである#18を着けてマウンドに立ち続けた。

甲子園で活躍した選手たちがプロの世界でも観ることができる。

さらに一緒のチームになって世界を相手に戦う姿を観ることができる。

甲子園からプロ。そして世界へ。

「より大きな舞台」「より強力な相手」に立ち向かうことで松坂は人々を飽きさせなかった。

星飛雄馬に熱狂する時代と非難する時代

しかし、プロ野球のレギュラーシーズンと国際大会で投げまくることは容易ではない。

投球多寡から2009年の第2回WBC直前に肩を痛めたのにもかかわらず強行出場。見事、優勝しMVPも獲得した。しかし、怪我のダメージは大きく、どんどんピッチングが悪化していった。

1999年にプロ入りし、2009年までで積み重ねた勝ち星は141勝。2009年以降は29勝にとどまった。

通算170勝。

200勝が一つ大投手の目安ではあるため、この数字に物足りなさを感じる人もいるかもしれない。

もし、2009年に怪我をした時にWBCを辞退し、半年でも休んでいれば長く投げられた可能性もある。でも、「自分が松坂ではなかったら辞退していた」とWBCに強行出場するのが松坂大輔であり、漫画の主人公の生き方だ。

みんなから憧れられるヒーローになるために投げ続けた男は本当に”投げられなくなる”まで投げ続けた。

その最後の姿は巨人の星という目に見えない何かに向かって投げ続けた星飛雄馬そのものである。

限界を超えたところで勝負する姿に人々は熱狂し、それに応えるように投げ続けた結果壊れてしまった星飛雄馬と松坂大輔。

しかし、今では『巨人の星』も松坂大輔も時代遅れと非難され、揶揄されている。今では球数制限がルールで設けられたり、選手に無理はさせない。このような時代に松坂のような投手はもう現れないだろう。

では松坂のように日本を熱狂させる野球選手はもう生まれないのだろうか。

いや、海の向こうでは投げて打って走る漫画のような世界観でプレーする野球選手がいる。

平成の怪物による野球ヒーローのバトンは令和の二刀流に渡された。

時代を作り、次の世代に引き継いだ松坂大輔。
本当にお疲れさまでした。

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