自由意志と生きる意味

『社会心理学は、自由意志が存在すると信じる度合いと援助行動をするかどうかの間には正の相関があること、逆に攻撃行動との間には負の相関があることを明らかにしている(戸田山和久 哲学入門p393)』

Baumeister RF.et.al.Prosocial benefits of feeling free: disbelief in free will increases aggression and reduces helpfulness.Pers Soc Psychol Bull. 2009 Feb;35(2):260-8. PMID: 19141628

上記報告によれば、自由意志に対する不信感が強まると、利他的な援助行動の現象と、攻撃行動の増加の関連が指摘されている。

しかし、生きること、それに意味を見いだそうとすることが、どんな場合でも望ましい訳じゃない。大事なのは、どんな意味なら持つに値するものなのか、よくよく考えることだ。

決定論において人生に意味はない、あらかじめ規定された運命は人生の意味と対立するから。そういう理屈は分かりやすい。決定論は僕たちの行為の起点だと考えられているリバタリアン的自由意志を認めないがゆえ、人生の意味を蝕むと言うわけだ。しかし、本当にそうだろうか。

1%の努力と99%の偶然……。自由意志による影響がたった1%しか及ばないにせよ、僕たちは自分の人生に意味と価値を見失うことはないだろう? 単なる偶然……そうではなくて、偶然という必然に僕たちは悲しみ、苦しみを感じる。ただそれだけでなく、同時に感謝や、幸福を感じることができる。

規定されているから生きていける瞬間もあって、逆に自由であることをまるで不自由だと感じてしまうこともあったりする。


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